礼拝説教要旨 2025年2月9日

バアルに膝をかがめぬ者たち

列王記第一19:1-18

<はじめに>

一昨年の11月からほぼ一年間、日本長老教会30周年記念宣言の読み合わせ会を第二週の礼拝後に開くことができた。(全9回)その時、改めて心に迫られたのは、私たちの長老教会が戦後に歩み始めたとき、どんな思い、どんな志があったのか・・・であった。その志の一つに、日本のキリスト教会が戦前に犯した過ちを二度と繰り返すまい、という強い決意があったことを覚えさせられた。この決意は決して忘れてはならず、繰り返し思い返さねばならないと痛感する。その過ちとは、大半の教会が天皇を神とする国家神道に抵抗することができず、神社参拝を認めてしまったことであった。そして今週、11日は「信教の自由を守る日」と覚えて、社会委員会から各種の集会の案内が届けられている。どの集会に参加できるかどうかは別として、事柄の大事さを忘れずにこの国でクリスチャンとして生きることを導かれたいと願わずにおれない。今朝は、そのような思いをもって御言葉に耳を傾けることにする。

1、

今朝の聖書の御言葉は、預言者エリヤが経験した出来事の一コマである。信仰の父と言われるアブラハムの時代から、神の祝福の約束をはっきりと受け伝えて歩んでいた神の民イスラエルが、モーセの時代に出エジプトを経験し、その後、カナンの地に定住するようになってから、士師たちが治める時代を過ぎ、サムエルの時代の最後には、近隣の諸国の王制を民は求めるようになった。紆余曲折を経て神ご自身はそれを良しとされ、サウルが王となり、ダビデによって王国が安定することになった。ところが統一された王国はソロモンの代までで、レハブアムの時代に王国は分裂。神の民の祝福の約束は、南ユダ王国の王位継承を中心に受け継がれることになった。その歩みは「士師記」、「サムエル記」、「列王記」、「歴代誌」に記されている。ダビデ王の登場は紀元前1000年頃、王国の分裂は前922年とされ、北王国のアハブ王は前876年頃に登場、当時、北王国は物質的に栄え、異教のバアル礼拝がはびこっていた。神の民イスラエルの歴史において、物質的に栄えるとき、霊的な退廃が進むことが特徴として現れている。やがて外敵が迫り、物質的な存亡も脅かされると、ようやく悔い改めて神に立ち返るということを繰り返していた。やや大雑把な捉え方ではあるが・・・。※バアル:フェニキヤ地方の太陽神

2、

エリヤが遣わされたのは、アハブ王の絶頂期、王国全体が生ける真の神に背いて、バアル礼拝に染まった最中であった。(列王Ⅰ17:1以下)神からのことばを告げたエリヤは、直ちに「身を隠せ」との指示に従わねばならないほどに緊迫していた。その後、バアルの預言者たちとの対決に勝利したものの、彼自身は極度の恐れに襲われている。勝利の確かさに比例するかのように、恐れが彼を取り囲み、自らの死を願いさえしている。確かに勝利したにも拘わらず、反対勢力の強大さに怖気づいていた。(18章、19章1~4)そのように弱りはてたエリヤを、主は生かし、励まし続けておられた。そしてようやくエリヤは主からのことばをはっきりと聴くことができた。エリヤ自身は、未だに自分一人が残っただけと嘆いていたが、主ご自身は、「わたしはイスラエルの中に七千人を残している。これらの者はみな、バアルに膝をかがめず、バアルに口づけしなかった者たちである。」と告げておられる。たった一人と恐れるエリヤであったが、主の目には、はっきりと七千人が見えていた。エリヤはようやくではあったが立ち上がって、主に命じられた通りに務めを果たし、後継者エリシャとの出会いも果たしている。(5~18、19節以下)神の前に、自分がどれだけ弱々しく、無力としか思えないときにも、神ご自身は、ご自分に忠実な者たちをしっかりと見出し、目を留めていて下さる。その確かな守りを知るとき、神を信じる者は力をいただいて前に進める。その事実がはっきりとここに記されている。そのことを決して忘れないように!

3、

真の神を忘れて、異教の神々に仕える人々がどんなに増し加わろうとも、生ける真の神、主に仕えて生きる民は、神ご自身によって覚えられ、守られる。問題は、そうであっても現実の厳しさに押しつぶされ、神の絶対的な守りを見失うことにある。戦前の日本の教会の過ちは、その実例の一つであろう。明治以降、プロテスタントの宣教師が来日し、以前に増してイエス・キリストの福音が広まる一方で、日本社会は天皇を神として祀る国家神道を国民に強いる道をひた走った。富国強兵を掲げて戦争に突き進んで、教会もその流れの中に組み込まれた。遂にはキリストにつくか天皇につくかを迫られ、教会の指導者の多くが神社参拝をして、正しく「バアルに膝をかがめて」しまった。「あなたには、わたし以外に、ほかの神々があってはならない」という、十戒の第一戒に明らかに背く過ちを認めることができなかった。その頃、日本の統治下にあった朝鮮半島に出向いて、神社参拝をするようにと、日本基督教団の指導者たちが勧めた事実も、しっかりと記録に留められている。私たちはそうした事実を忘れないよう心したい。その思いを忘れずに、新しい教会として出発しようとしたのが「日本基督長老教会」であった。1956年12月9日のことである。二度と同じ過ちは犯さないように、との願いがあったことを読み合わせ会を通して確認できたのは、誠に幸いなことであった。

<結び>

その願いや志は、その後、靖国神社国家護持法案が国会に提出されようとしていたとき、1968年2月に「靖国神社国家護持問題対策委員会」を設置し、私たちの教会においても、来るべき事柄に備えるよう導かれた。委員会は「靖国問題対策委員会」と改称されたり、超教派の「靖国神社国家護持反対福音主義者のつどい」の始まりに加わりながら、長老教会内に向けては、「バアルに膝をかがめぬ者」との小冊子を数年おきに発行し、事柄の理解を深めた。天皇を現人神と仰いで、教会までが神社参拝を行い、それが過ちと気づかなかった事実を忘れないためである。「基督長老」の時代から、「福音長老」と合同して「日本長老教会」となった後、1999年11月には「ヤスクニと平和委員会」と委員会名が変わった背景には、日本の政治状況が大きく右傾化したことがあった。その後委員会は「社会委員会」と名称を変えて今日に至っているが、その間に委員会の取り扱う範囲が広がったからか、初期の思いや志が薄れているように思われるこの頃である。私たちは、たとえ少数であっても生ける真の神、主への信頼をいささかも忘れずに、この国の社会にあって主を証しする者でありたい。

私たち人間の罪の凄まじさは、物質的な繁栄の下で一層激しさを増すのかもしれない。神なしで十分と人は思うからであろう。貧しさや困難の中では、不思議と真実なるものを求め、また捜すことになるのかもしれない。いずれにしても、私たちは主イエス・キリストの十字架の御業によって、罪の赦しと魂の救いに与ることができた。それは実に、恵みより、信仰によることで、私たち人間の側ではどうすることもできないことを、神が成し遂げて下さったのである。その救いの恵みを忘れることなく、何事が襲い来るとしても、心を騒がせないで、「バアルに膝をかがめず、バアルに口づけしなかった者たちである」と、神ご自身に証言していただける者でありたいと願わずにおれない。より分かり易くは「バアルに膝をかがめぬ者たち」と。日本の社会は、ついつい周りを見回し、周りに倣うことを良しとしがちである。そんな社会であるからこそ、私たちは神が共におられることを忘れず、神にあって私たちは強いとの証しを導かれたいものである。※ローマ8:31以下、ピリピ4:13、ヨハネ16:13