礼拝説教要旨 2024年10月6日

ともに山を下り

ルカの福音書6:12-19

< はじめに >

今日の個所は、イエス様がいわゆる十二使徒を選ばれたところです。使徒とは、元々の意味は「遣わされた者」で、大使のように特別な使命と権威を与えられて遣わされた者のことを言います。使徒たちは、いわば、神の国から遣わされて、人々に救いを宣べ伝える人で、神の国の大使というわけです。その十二使徒を選任するのですが、それはイエス様にとっては、ただの人選ではなく、重い意味のあることでした。

< ① イエス様でも祈りが必要だった:12-13節 >

「そのころ」(12節)は、パリサイ人たちの、イエス様に対する殺意が明確になった頃(11節)。ここにきてイエス様は、状況が一歩、十字架に近づいたことを見て取ったのでしょう。それで、やがてご自分が世を去る時に備えて、あとを任せる十二使徒を選任する段階に来たことを悟られたのでしょう。自分が世を去った後のことを考えて、手を打っておいたわけです。そして、十二人を選ぶにあたって、イエス様は夜通し祈られたと言います(12-13節)。一晩中でも祈らずにいられない何かがあったということ。それは何か。ただ誰を選ぶかというだけだったら、こんなに時間がかからないように思います。もしかしたら、イスカリオテのユダを使徒として任命するということを受け入れるのに、これだけの祈りが必要だったのでしょうか。やがてイエス様を裏切って、祭司長たちの手に渡すユダを、使徒に任命するということ。それは、イエス様ご自身が十字架にグンと近づくことを意味します。自分で十字架へのステップを進めるようなものです。もちろん、イエス様はそのためにこの世に来たのであって、はじめからそのおつもりでした。とはいえ、このことを受け入れるのは、イエス様にとっても簡単なことではなかった。あの十字架につけられる前夜、ゲッセマネの園で祈られた祈りにそれがあらわれていました。汗が血のしずくのように滴って、恐ろしさのあまり死ぬほどです、と仰いました。ただ単に死ぬのが恐いというのとは違います。アダム以来のすべての人の罪を背負って、身代わりとして十字架にかかられて、神の裁き、御怒りを受けるのです。私たちを救うことは、神の御子にとってはお安い御用と、何の苦もなくできることではなかったのです。ゆめゆめ、いい加減な気持ちでこの救いの恵みを取り扱ってはいけないと戒められます。

それと、もう一つ。自分にとって受け入れるのがつらいこと、だけどもそれが神のみこころということがあるなら、私たちも、祈りのうちに神のみこころを受け入れる必要があります。そのような十字架を担う道は、祈りなしには不可能だと思います。祈りは、自我を十字架につけて、神のみこころに従うための必要な手段です。

<② 思ってたのと違う十二使徒たち?:14-16節>

14節以下、十二使徒の名前が一人一人記されます。ザっと見ていきます。

まず十二使徒の筆頭に挙げられますは、おなじみのペテロと呼ばれるシモン。「ペテロ」ギリシャ語で「岩」。シモンは、旧約聖書によく出てくる名前シメオンをギリシャ風にするとシモンとなります。彼は十二使徒のリーダー的存在で、一番年上と思われます。結婚していて、子供のことは記されていないのでわかりませんが、おしゅうとめさんと一緒に暮らしていたようです。彼の特徴の一つとして、彼の話す言葉はなまりが強くて、一言いえば一発でガリラヤ出身とわかってしまうほどでした。耳障りなガリラヤなまりでしか話せない人を、福音を宣べ伝える使徒として立てるとは、イエス様は不思議なことをなさいます。ペテロは失敗することが多く、イエス様にたしなめられることもしばしばでしたが、めげない性格で、鼻っ柱が強くて、自信家でもありました。それがあのイエス様が十字架にかけられる前夜、木っ端みじんに砕かれました。自分でも気づいていなかった弱さ、醜さを見せられた。しかし、そんなペテロをイエス様はお見捨てにならず、復活されたあとペテロに会われ、彼を受け入れ、再び立ち上がらせて下さいました。イエス様はペテロから離れませんでした。ペテロはかつては弱くてもろくて、そのくせ肉のプライドだけは人一倍あるような、始末に悪い者でしたが、召してくださった方は真実でした。伝承によれば、彼はローマ皇帝ネロの迫害によりローマで殉教したと言われます。

次はアンデレ。男らしいの意。ペテロの弟と思われます。彼は、よく人をイエス様に連れてくる人でした。ペテロの手を引っ張って、イエス様のところに連れてきたのも彼でした。使徒ペテロを世に出したのはアンデレ。アンデレあってのペテロなのです。また、空腹の群衆を前にして、パン5つと魚2匹を持っていた少年をイエス様のところに連れてきたのも、彼です。そのおかげで成人男子だけで五千人の大群衆を、わずか五つのパンと二匹の魚だけで満腹にされたという、あの五千人の給食の奇跡が行われました。陰の立役者です。さらに、彼は当時、ユダヤ人が嫌っていた異邦人、ギリシヤ人のためにも一肌脱いでいます。イエス様に会いたがっていたギリシャ人たちが来ていることを聞くと、彼はさっそくそのことをイエス様に話しました。アンデレは、あいだを取り持つ賜物の人。

それからヤコブとヨハネ。彼らも兄弟。ヤコブが兄、ヨハネが弟と思われます。彼らは気性が激しく、あるとき、一行がある村を通ろうとしたところ、村人が一行を受け入れなかったのに腹を立て、「天から火を呼んで、この失礼な村人たちを滅ぼしてしまいましょう」とイエス様に言って、逆にイエス様にたしなめられた一幕もありました。彼らはイエス様から「ボアネルゲ」(「雷の子」の意)というあだ名を頂戴しました。そんな彼らも、ペテロと同様、あの夜、おのれの弱さを思い知らされ、のちに復活のイエス様に会って、再起させていただきました。ヤコブは、紀元44年にヘロデ・アグリッパの手によって、使徒の中で最初の殉教者となりました。他方、ヨハネは、伝承によると100歳くらいまで生きて、キリストの証人また教師の務めを果して、エペソで眠りについたそうです。晩年のヨハネは、口を開けば「幼子たちよ、互いに愛し合いなさい」と言っていたと伝えられます。あの雷の子と呼ばれた人が。変われば変わるものです。主のみわざです。ヤコブとヨハネ、一人は早々に殉教して神の栄光をあらわし、一人は1世紀ほども長生きして、キリストを伝えて神の栄光をあらわしました。神のみこころのままに、生きるにしても、死ぬにしても、キリストに仕えるということを身をもって教えてくれた使徒たちと言えるでしょう。

次、5人目、ピリポ。彼もまたガリラヤ湖畔のベツサイダという町の出身。彼は、ナタナエルという人をイエス様のところに連れてきたことがヨハネの福音書に記されています。さらに、先ほども触れました、イエス様に会いたいというギリシヤ人が来ると、アンデレに取り次ぎ、そしてイエス様に取り次いでもらっています。「ピリポ」は純粋なユダヤ人の名前ではなく、ギリシャ風の名前です。もしかしたら異邦人の血が混じっていたのかも知れません。それが、福音を異邦人に伝えるのに用いられたのでしょう。

6人目、バルトロマイ。彼は十二使徒の名前がリストアップされる、こういう個所に出てくるだけです。他の福音書でも、いつもピリポの次に記されていることから、彼はピリポによってイエス様に紹介されたナタナエルではないかと言われたりもしますが、確証はありません。後の歴史家の証言によれば、彼はインドにまで伝道したと伝えられます。

7人目はマタイ。マタイの福音書を書いた人。当時、罪びとの代名詞だった元取税人。他人から、あいつらは神の国には入れてもらえない罪びとと言われ、自分でもそう思っていたような人。そんな良心の咎めを感じている人をこそ、イエス様はあわれまずにはおきません。キリストは罪人を招くために来たのです。その恵みに応えて、彼も良い働きをしました。伝承によると、エチオピヤ、マケドニヤ、シリヤ、ペルシヤで宣教したと伝えられます。

8人目、トマス。一般的には、「疑い深いトマス」と枕詞がつくくらい、最初、イエス様の復活を信じなかったことで有名です。しかし私は彼が深く傷ついていて、信じられなかったのではないかと思っていますが。ともかく、他の弟子たちが、復活のイエス様にお会いしたといくら言っても、「いや、私は自分の目で、釘を刺し通されたあとを手のひらに見、自分の指を釘の穴に差し入れ、また自分の手を槍を刺されたわき腹に差し入れてみないかぎり、絶対に信じない。」と言い張っていた人でした。そんなトマスにも、復活のイエス様が現れてくださり、御手を差し伸べて、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と語りかけ、信仰に導いてくださいました。彼は、固く心を閉ざす者でもイエス様はあわれみ、お救い下さるという事を示した使徒と言えるでしょうか。伝承では、ペルシヤ、インドで宣教し、そこで殉教したと伝えられます。現在もインドの聖トマス教会は、トマスの宣教によって設立されたと主張しているそうです。

9人目、アルパヨの子ヤコブ。彼については、ほとんどまったくと言っていいほど、手がかりがありません。わずかに、先のヨハネの兄弟ヤコブを「大ヤコブ」「年長者ヤコブ」と呼んだのに対して、こちらは「小ヤコブ」「年少者ヤコブ」と呼んで区別されたということがわかるのみです。どこに宣教に行ったとかの記録も見つかりません。そのような人が十二使徒の中にいたということも意味深い。何もない人も何もないなりに用いられる。目立った活躍はない。でも教会の柱たる十二使徒。地上では目立たたず、知られず、天において輝きを放つ隠れた聖徒も、教会には多くいることも暗示しているのかもしれません。

10人目、熱心党員シモン。熱心党とは、当時のユダヤにおけるいわば右翼団体のようなもの。当時、ローマの支配下にあった祖国の状態を嘆き、武力による一斉蜂起をも辞さないという過激な集団でした。こんな身元の人まで十二使徒に入れるとは、イエス様の懐の深いこと。ちなみに、取税人と熱心党は犬猿の仲でした。取税人はローマの手先となってうまい汁を吸う輩ですから、熱心党からすれば売国奴。こんな正反対の人たちが、こうして十二使徒となり、ともにイエス様に仕えるとは、なんとも不思議な神のお導きです。

11人目は「ヤコブの子ユダ」マタイの福音書では「タダイ」となっています。タダイは「母の胸」を意味するアラム語からきているそうです。彼は、エデッサというところの王アブガルスという人に伝道するために派遣されたとする伝承があるそうです。

最後はイスカリオテのユダ。「イスカリオテ」は「ケリヨテの人」の意。彼は一行の財布を預かっていましたが、いつも預かっていた金を盗んでいたとヨハネの福音書で暴露されています。やがて、イエス様を銀貨30枚で敵に売り渡し、それによってイエス様は十字架につけられることになりました。イエス様のそばにいながら、良心が麻痺して、常習的に盗みをするまでになっていた。良心の麻痺は信仰の破船です(第一テモテ1:19、新約p.419)。

以上、十二使徒の面々をざっと見ましたが、改めて思うのは、キリスト教会の柱とも言うべき使徒たちは、私なんかが近づくこともできないような、雲の上の人ではないのだなあ、ということです。むしろ普通の人。何かが際立ってすぐれているとかでなく。むしろ、弱さをもった普通の人。主は弱さをもった普通の人を用いられる。主ご自身がともにいてくださって。そのことを示すために、彼らを選んだのではないかとさえ思います。教会の歩みも、私たち一人びとりの歩みも、主がともにおられること。これに尽きるのだと思います。

「妙なる御恵み 日に日に受けつつ 御跡を行くこそ こよなき幸なれ」新聖歌300番

「イエスは、彼らとともに山を下り」(17節)。イエス様は、こんにちも日曜日ごとに、会堂を去るみなさんといっしょに、それぞれのところに伴われます。私たちはイエス様とともに世に遣わされる者です。このとき、イエス様が山を下りると、そこには罪の世の現実がありました。私たちもそこに遣わされていく。ひとりでなく、イエス様とともに。それぞれ遣わされた所で、普通の私たちがみこころに仕えるために。なすべき務めをなすこと、そして身近な人にやさしくすること、寛容、忍耐、赦すこと。これらはキリストの愛を具体的な人間関係の中で実践することです。主がそのことを通して栄光をあらわされますよう。