礼拝説教要旨 2024年9月29日

すべてにまさって価値のあるもの

マタイの福音書13:44-46

<はじめに>

さきほど読んだところには天の御国ということばがあります 天国について2つのたとえから教えているところです 死んだ後のことをどう考えるかは今を生きる上で大きな影響があります。 希望をもって慰めを与えられ 力を与えられます。 また別な考えで虚無的になることがあります。 今日は天の御国 天国についてのお話です。

<① 畑に隠された宝>

掘り起こすとお宝だった。 金銀財宝がザクザク。 その人は他人に取られないように 全財産を売り払って買ったという話です。 このたとえのポイントは その宝は全財産よりもはるかに価値があったということです。 よほどのことです。 どうでしょう、みなさん すべてを売り払って手に入れたいもの 何か思いつくでしょうか。 命でしょうか。 イエス様はそれほど価値あるものは天の御国 天国だと教えています。 永遠の命と言ってもいいでしょう 天国という場所 あるいは永遠の命が本当にあるのだとしたら これこそかけがえのないものではないでしょうか。 死なない 死を見ることがない。 体の機能は停止するのですが 魂はそのまま死を見ることなく生きたまま天国へ導かれて そこで神とともに生きる。 気休めでなく実在するとしたら それが自分のものとなるとしたら どうでしょうか。

誤解しないでいただきたいのは 天国を手に入れるために全財産を捨てなければならないと言っているのではありません。 また功徳・功績を積んで永遠のいのちを得なさいといっているのではありません。 お金で永遠の命が買えるといったらおお間違えで 何百万・何億積んでも買えません 必要なのはイエスキリストに対する信仰だけです。 ここで強調しているのは そこに喜びのあまりとあるように その宝がとても価値あるものだということです。 持ち物すべてを売り払うというのは 価値がとても高いことをあらわす表現なのでしょう これ以上表現のしようがないというのでしょうか。

また別のたとえをあげると 飴玉をにぎりしめている子どもの前にケーキをおいたら その子は飴玉を放り出してケーキに飛びつくでしょう このたとえも天の御国には そのように喜んだ 全財産を手放すほどの価値があると教えています。 それが気休めではなく本当に実在するとしたら 喜びに踊るのではないでしょうか。 でも多くの人がそんなものはあるわけがないと思い込んでいる。 疑いが覆っていて 天の御国は隠された状態になっている。

<② 高価な真珠のたとえ>

45-46節 13:45 天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。 13:46 高価な真珠を一つ見つけた商人は、行って、 持っていた物すべてを売り払い、それを買います。

当時のユダヤ地方では 真珠は遠いアラビア海 紅海でとれるものでした。 とはいえ 一粒の真珠のために全ての財産を売り払うのは 違和感があります。 改めてよく読むと このたとえは それを取り扱っている商人 というのが みそだと思いました。 商人= 目利き です。 持ち主が気づいていなくても手に入れる価値があるとわかった 全財産よりお価値があると思ったから買ったのです。 彼は愛好家ではなく商人ですから はるかに高く売れると思って買ったのでしょう。

高価な真珠も永遠のいのちを表しています。 地上にもっているものをはるかに上回る価値があると教えています。 このたとえでも持ち主はその価値に気づいていませんでした。 手元にあっても価値に気づかないことがあります。 気づていない。 身近にあるのに気づかない。 天の御国 永遠の命を話を聞いて知識はもっていても価値に気づいていない ことがあります。 わたしたちが残念な畑な持ち主 残念な真珠の持ち主だとしたら残念至極です。

<③ すべてにまさって価値あるもの>

お金は積んでも価値がない。 わたしたちが天国に行くために必要なことはイエスキリストがすべてしてくださった。 付け加える必要はない。 わたしたちはそれを信じるだけです。 それで天国行きに必要なものが受け取れるのです

イエスキリストは十字架で死に 三日目に死者の中から復活されました。 イエスキリストは罪のないお方でした。 わたしたちの罪を背負って わたしたちの身代わりに十字架の上で刑罰を受けました。 キリストは私たちを愛して ご自分から進んで 罪を引き受けてくださったのです。 私たちに対する刑罰はキリストの上になされました。 このことを信じるならば誰でも罪赦されると神は定めています。 だからキリストを信じる人は罪赦され 神に受け入れられて天国に行けるようになり 神とともに永遠に生きる命を与えられました。

さらに説明すると 神が最初に世界を造った時 死は存在しませんでした。 最初の人アダムが神に背いたときに死が入ってきました。 罪の結果もたらされたものです。 神様は最初から死ぬようには人をお造りにはなりません。 人が失ったのです。 神は人に互いに愛しなさいと命じました。 愛する関係の中に造られたのに 愛する人に死の悲しみをなさるはずがありません。 死の原因は罪 ということは 原因である罪が処分されれば 死もなくなること。 腐った生ごみから 鼻が曲がるような匂いがします ごみを処分すると臭いにおいがなくなります。 腐った生ごみが罪です。 キリストは罪という原因を十字架にもっていって ご自分の身をもって処分されました。 それでキリストを信じたものは 罪が処分され 命を回復します。

イエスキリストは十字架にかかり 三日目に復活されました。 論より証拠です。 神はキリストを復活させました。 もともと罪のないかたが ただ私たちの身代わりに死んでくださった 神は復活させました。 同じようにキリストを信じたものも 神は復活させてくださいます。 死者の中から復活して見せてくださいました。 キリストが復活したことについては証人がたくさんいます。 聖書を調べるとキリストが復活したことは 信憑性の高いものです。

キリストを信じた人はやがて復活します。 栄光の体に復活します。 今の状態でずっと永遠に生きるわけではないのです。 腰が痛かったり 目が見えなくなったり 頭痛や歯痛がすることもない。 完全な体。 永遠に生きても衰えず 疲れず 元気で健康なからだ。 天国は神様が中心におられて そこに住む人は罪きよめられ 罪のない状態で生きます。 人生相談でもっとも多いのは人間関係の悩みといいますが 天国では人間関係で悩むのは全くなくなる。 お互いに信頼し 貴び 愛し合う。 そこに入るとき みんな清められます。 そうじゃないと罪をかかえたまま永遠に生きるとなると苦しいと思います。 そしてイエス様を信じた人たちは復活した状態で会うことができる。 もう二度と死によって離れ離れになることはない。

最後に 救いの主はハレルヤ よみがえりたもうハレルヤ

本当に実際にリアルに天国 永遠のいのちがあるとしたら どうですか 必要なことはすべてイエス様がしてくださった あとは信じるだけで永遠の命が与えられるのに もらいそこねているとしたら どうでしょう 聴いていたのに隠されていて価値に気づかず 疑いという土に埋もれてかくれて 見えなくなって あとから悔やんでも悔やみきれないのではないでしょうか。 永遠の命の反対は永遠の滅びです。 永遠の苦しみです。 罪にふさわしい刑罰になります。 そこで苦しむのは自分自身です。 神様が イエス様がみなさんにそういう思いをしてほしくないと思っています。 永遠の命を買い戻すためにキリストがご自分の命を差し出されました。