礼拝説教要旨 2024年5月26日

幼子のことを語った

ルカの福音書2:21-38

<はじめに>

前回は、イエス様のご降誕のところを見ました。家畜小屋でイエス様がお生まれになったその夜、野宿をしていた羊飼いたちに御使いが現れて、救い主の誕生を告げると、彼らはすぐに会いに来て、すべてが御使いの告げた通りだったと、神をあがめ、賛美して帰っていきました。今日の個所は、その一週間後のことです。

<あらすじ>

「八日が満ちて」は、ユダヤ式の数え方で当日も含めるので、今でいう一週間後のことです。今日が日曜日なら、来週の日曜日のこと。ここには当時行なわれていた律法の定めが三つ記されています。一つめは割礼(21節)。生まれてから八日目に施し、この時に名前を付けるというのが習慣だったようです(1:59)。そこでヨセフたちは、御使いに命じられていた通り「イエス」と名付けました。「主は救い」という意。返す返すも、なんと、すばらしい、希望に満ちた名前でしょうか。イエス様はこの名の通り、私たちの救いとなって下さいました。天地を造られた主が私たちの救いとなって下さったとは、なんと心強いことでしょう。 割礼は、肉体の一部を切り取る外科手術ですから、当然、出血・痛みを伴います。しかしこれは神の民であることを表わすしるしでしたから、とても大切なものでしたし、またユダヤ人はこれを誇りとしてもいました。しかしイエス様は本来、永遠の神の御子ですから、こんなことをしなくてもいいのですが、他のユダヤ人と同じように受けられました。これは痛いからパスとしないで。それから二つめは、22-23節、第一子長男は、主にささげられなければならないと律法に定められていて、これは実際には、贖い金5シェケル(およそ銀50グラム)を神殿に納めたそうです。当時の銀の価値はわかりませんが、ある資料によると労働者の日当20日分と言われます。それから三つめは、きよめの儀式。22節の「モーセの律法によるきよめの期間」は、男の子を出産した場合、40日間、血のきよめのために家にこもらなければなりませんでした。この間は、聖なるものには一切触れてはならず、神殿に赴く事も出来ませんでした(レビ記12:4、旧約p. 196 )。もっとも、産後の肥立ちのために、女性を守る意味もあったのかもしれません。で、この40日が満ちたら、きよめの儀式として定められたものをささげなければなりません。で、24節の「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」とあるのは、実は羊を飼う余裕のない、貧しい家庭の場合の定めでした(レビ記12:8)。ということは、イエス様は貧しい家庭にお生まれになったということ。イエス様は、贅沢とは無縁の子ども時代、青年時代を過ごされたのです。のちにヨセフ・マリヤ夫婦には、たくさんの子供が与えられましたから、生活も楽ではなく、マリヤも、からっぽの油壺や小麦粉の入れ物を覗いては、天を見上げて祈った事もあったでしょうか。イエス様は神の御子、何にも不自由のない方でいらっしゃるのに、こうして貧しい家庭の苦労というものも、身をもって味わわれたのでした。もったいない、神の御子のへりくだりを思います。私たちを愛して、私たちの救いとなるために、自ら進んで貧しくなられたのです。私たちもイエス様のために、少しは貧しくなってもいいのかもしれません。

以上、少々面倒な…、と言ってはいけませんが、旧約時代の律法の規定をヨセフたちはすべて満たしました。ヨセフは正しい人であったと言われている通り(マタイ1:19)、きちんとこれらイエス様の誕生にかかわる律法を定めの通りに行いました。パウロは後に、キリストは律法の下にある者(=ユダヤ人)を救い出すために、ご自分も律法の下にある者となって下さったと解説しています(ガラテヤ4:4-5、新約p. 379))。イエス様はユダヤ人の代表として、一つも落ち度なく完璧に律法の要求を満たしていました。

ところで、これらの儀式を、彼らがエルサレムの神殿で行うことになったのも、不思議な神のお導きでした。もし彼らが自分たちの住んでいるナザレで出産していたら、これらの儀式は地元の会堂でしたでしょう。それが、はからずも、皇帝アウグストの勅令によって、彼らはベツレヘムまで足を運ばせられ、そこでイエス様がお生まれになったため、近くのエルサレム神殿で、となった。まさにそこに、です。幼子イエス様を待っていた人たちがいたのです。救い主を待望していた老シメオンと、老女預言者アンナです。彼らは、聖霊によってこの幼子が救い主であることを示され、証言しました。イエス様は、生まれる前も御使いとザカリヤ、聖霊に満たされたエリサベツとお腹のヨハネから、生まれたときも御使いと羊飼いたちから、生まれた後も二人の老聖徒から、救い主であると証言されたことになります。十分な証人です。歴史家ルカは、念入りに、イエス様が救い主であることの証言を積み上げ、信憑性を十分に高めてくれました。この方が、旧約聖書で預言されていた救い主なのか、どうか、ということは、信じるすべての人の永遠の運命が、文字通り、実際に天国となるか地獄となるかを左右する、究極の一大事ですから、こうしてルカが多くの証言を記して、万全の証言を残してくれたのは、とてもありがたい事です。私たちも改めて、イエス様がお生まれになったときに、神はこんなにたくさんの人たちに証言させて、私たちが確信をもって信じることができるようにして下さっていたのだ、と感謝したいと思います。

さて、シメオンは「主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた」(26節)という書き方からして、老人だったと思われます。彼は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいました。イスラエルが不信の罪のゆえに、異邦人の支配下に置かれ、横暴なローマ兵に不条理なふるまいをされる状況を日々、見聞きしては深く嘆き、早く神が慰めて下さるようにと、祈りをささげ、待ち望んでいたのでしょう。敬虔な人は、自分のことだけでなく、神の国のことを思っていると言いますか。神の民が悲惨な状態に置かれて、神の御名がさげすまれるのが、つらいのでしょう。

そんなシメオンが御霊に導かれて宮に入ると、ちょうど先ほど言ったような慣習を守るためにヨセフ、マリヤが幼子イエス様を抱いて入ってきました。すると、シメオンは、御霊が示したのでしょう、この幼子が救い主とわかり、幼子を腕に抱いて、神をほめたたえました。主よ、かねてからあなたが語って下さっていた通り、あなたは今こそ、私を安らかに去らせて下さいます、私の目があなたの御救いを見たからです、と感謝の祈りをささげました。感無量だったでしょう。願いに願っていた救いが来た。そしてこの救い主が、「万民の前に備えられた救い」また「異邦人をも照らす啓示の光」と言いました。ここでヨセフたちは初めて、幼子が異邦人も含めて全世界の救い主であると知り、驚いたと言います。イスラエル一国の救い主なる王というだけでも大変なことなのに、全世界の異邦人も、すべての国々に救いをもたらすとは、あまりのスケールの大きさにめまいがしたでしょうか。

しかし続けてシメオンは、これもヨセフとマリヤには初めて聞くことですが、この幼子について不思議な事を告げました。この幼子が、イスラエルの多くの人が、倒れたり立ち上がったりするために定められているというのです。確かに、のちに祭司たち、律法学者、パリサイ人たちは倒れ、取税人や遊女といった罪びとたちが立ち上がることができました。さらに「人々の反対にあうしるしとして定められている」。これも、祭司長、律法学者たちからは敵意を向けられました。そして「あなたの自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。」マリアはドキッとしたでしょう。不吉な影が差します。これは、のちにキリストが十字架につけられることを暗示しているのでしょう。さらに「それは多くの人々の心のうちの思いが、あらわになるためです。」と続きました。キリストを十字架につけるのが、多くの人々の心の思いの表われ?どういうことでしょう。人の心の奥底には、神を拒絶する思いがあるのです。罪を犯したとたん、アダムとエバが、神の御顔を避けるようになったように。本能的、反射的に、神を避ける。キリストを目の上のタンコブのように感じる。そして神抜きの、自分の思い通りの自分の楽園、自分の王国を作ろうとする。特に、この世で宝のある人、いい思いをしている人にとっては、神なんか、いない方がいい。罪を指摘し、悔い改めを迫る救い主は目障り、耳障り。で、神をなき者としようとする。心の中で神を葬り去る。その思いが十字架にあらわれた、ということでしょうか。他方で、虐げられている人は、神に救いを求めるしかないので、神を求めます。自分の罪に気付かされ、神のさばきを恐れる者は、神のあわれみを、神の救いを求めます。そしてそんな彼らこそ、その乞い求めていた神の恵み、あわれみをあふれるばかりに与えられ、神の子として受け入れられます。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるのです(ヤコブ4:6、新約p. 462)。

さて最後に、この場面に居合わせたもう一人の幸いな老聖徒。女預言者アンナ。36節に「この人は非常に年を取っていた」とあり、次の37節には「八十四歳になっていた」とあって、八十四歳はまだまだ若いのに、これからもう一花も二花も咲かせようと思っているのに、と抗議の声があがるかもしれません。ここは別の解釈があって、七年間夫とともに暮らしたあと、やもめとなってから84年生きたとも解釈されるそうです。そうすると、余裕で百歳を超えていたでしょうから、これなら許して頂けるでしょうか。「彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。」とあります。私の恩師、小畑進先生は、このような姿は、宗教の極致と言っていました(第一テモテ5:5、新約p. 422)。そして彼女もシメオン同様、「エルサレムの贖いを待ち望んでいる」一人だったのでしょう。そんな彼女に対するご褒美であるかのように、神は幼子のイエス様に出会わせて下さいました。シメオンとヨセフ、マリヤが話している所に、アンナが近寄って来て、話を聞いたのでしょう、神に感謝をささげました。

そして彼女は、救い主を目にすることができただけで満足したのでなく、このよい知らせを、彼女と同様、エルサレムの贖いを待ち望んでいる「すべての人に」伝えました。シメオン、アンナのほかにもエルサレムが贖われることを待ち望んでいた敬虔な仲間たちがいたのでしょう。アンナはその「すべての人」にこの幼子のことを語ったと言います。十人、二十人ではきかないでしょう。何百人、もしかしたら何千人でしょうか。そのすべての人に。おしゃべりは女性の賜物かもしれませんが(?)、もしかしたら、アンナもその仲間の会う人会う人をつかまえては、「救い主がおうまれになった」、口を開けば「救い主が…」と片っ端から伝えたのかもしれません。義務感からというよりも、喜びがあふれて、伝えずにはいられなかったのでしょう。百歳を超えていたとしても、すばらしい花を咲かせました。

<幼子のことを語った>

人々に幼子のイエス様のことを語りまくったアンナのような方は、いつの時代にもいるようです。改革派のどこかの教会だそうですが、ある長老の高齢の奥様が、入院している病院で、人を見たら「教会に行きなさい。イエス様を信じなさい。神様にすがりなさい。」ばかり言って、付き添いの方が困ってしまうほどだったという話がありました。また以前、紹介しましたが、病院で口を開けばイエス様のことを伝えるので、「アーメンおじさん」と呼ばれた兄弟もいました。ちょっと私とはタイプが違うというか、私にはできないかなという気がします。もっとも、今はそういうことは禁止されているのかもしれませんが。

しかし、幼子の救い主のことをさえ、アンナが喜びをもって仲間内の全ての人に熱心に伝えたのなら、この救い主がどのように救いを成し遂げたかを知っている私たちは、なおさら熱心に、喜びをもって、このイエス様のことをお伝えする者でありたいと願わされます。自分には勇気がないと思う方もいるかもしれませんが、初代教会のペテロたちも、そうでした。それがペンテコステの日に聖霊が下って、彼らは大胆にキリストを宣べ伝えるようになりました。宣教の主体は聖霊なる主です。私たちは器に過ぎません。ですから、宣教の主である聖霊が私たちを満たし、導いて、愛するイエス様をあかしさせて下さるよう、また聖霊が、語るべき時に、語るべき言葉を私たちの口に与えて下さるよう、祈りましょう。