礼拝説教要旨(2021.8.22)
モーセの半生
(出エジプト記2:1-10) 横田俊樹師 
<今日の要点>
私たちの人生は、神の御心を行うために与えられている。
自分中心から神中心の人生観へ。

<あらすじ> 
 前回の1章の最後22節。
「また、パロは自分のすべての民に命じて言った。
『(イスラエル人の)生まれた男の子はみな、ナイルに投げ込まなければならない。
女の子はみな、生かしておかなければならない。
』神の祝福によっておびただしく増えたイスラエル人を恐れたエジプト王パロは、ついにこんな、とても人とは思えない命令を発しました。
狂気の沙汰でした。

ヒットラーがユダヤ人狩りをしていたときのドイツのように、イスラエル人に生まれたというだけで、常に命を狙われなければならない、そんな重苦しく、真っ暗闇の時代でした。
おそらくこの命令は、それほど長くは続かなかったと思われますが、悪魔が支配していたかのようなこの最暗黒のときに、神の御業は始められていました。
後にイスラエル人をエジプトから解放し、約束の地へ導くために、神がお立てになる指導者モーセが誕生するのです。
往々にして、人の絶望的な状況の中で、神の救いの御業は始まります。

レビの家のひとり、すなわちヤコブの三男レビの子孫のひとりが、同じレビ族の娘をめとりました(1節)。
父の名はアムラム、母の名はヨケベテと言います(6:20)。
彼らが結婚したのは、あのパロの命令が出される前のことです。
というのは、モーセには、アロンという3歳上の兄がいましたから。
アロンは、あの命令が出される前に生まれたのでしょう。
さらに、年はわかりませんが、その上にミリヤムというお姉さんもいました。
わかっている範囲で、モーセは第三子次男ということになります。

そして、あのパロの命令は、もしかしたらモーセを身ごもっていた間に、出されたのかもしれません。
モーセがおなかの中にいた間、両親は不安で、恐れていたでしょう。
どうか、お腹の子が、女の子でありますように、と切実に祈らされたのではないでしょうか。
ところが、時満ちて、無事生まれると、男の子だった。
普通なら喜んで迎えるはずが、この状況では、とりあげた産婆さんも、沈んだ声で「男の子です」と言ったでしょうか。

しかしその子を抱いて、顔を見ると、これが非常にかわいかったと言います。
赤ちゃんは、みんなかわいいと思いますが、超自然的にかわいかったのでしょう。
それで両親は、信仰を奮い起こして三か月の間、家に隠しました。
このときのことをヘブル書の記者は次のように記しています。

11:23 (新約439p)
信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。
彼らはその子の美しいのを見たからです。
彼らは王の命令をも恐れませんでした。

前回見た助産婦たちと同じく、彼らは王の命令をも恐れず、従わず、信仰によってモーセをかくまっていたのです。
先週の招詞の御言葉ももう一度。

箴言29:25(旧約1097p)
人を恐れるとわなにかかる。
しかし【主】に信頼する者は守られる。

 彼らは三か月の間、赤ちゃんをかくまいました。
しかしやがて泣き声は大きくなり、どうしても声が外に漏れるようになります。
パロのあの命令によって、五人組のように、近所の人が監視しています。
このまま家に置いておいて、ばれたらナイル川に投げ込まれてしまいます。
そこで、少しでも生き延びる可能性の高い方法を選んだのでしょう。

パピルスという、当時ナイル川に生えていた草の一種でできたかごに、瀝青(アスファルト)と樹脂で防水加工し、そこに赤ちゃんを入れて、ナイル川のほとりの茂みに置いたのでした。
パピルスは、加工して紙のように字を書きとめるために使われて、のちにpaperの元となった言葉です。
また、ここの「かご」と訳された言葉は、ノアの「箱舟」と同じ言葉です。
そして姉ミリヤムは、どうなるかとしばらくの間、遠く離れて見ていました。

 するとそこへ、なんとパロの娘が水浴びをしに来ました。
そして茂みにあるかごをみつけ、人をやって取って来させると、そこにはこの世のものとは思えない、かわいらしい男の赤ちゃん。
赤ん坊ながらに何かを感じてか、一生懸命泣いています。
その姿に、パロの娘はかわいそうに思って、これはヘブル人の赤ちゃんに違いないと言いました。
その姿と泣き声に、神が与えた母性本能が、彼女の心を動かしていました。
そのときです。

その様子を見ていた姉ミリヤムは、すかさず走っていき、その子に乳を飲ませるため、ヘブル女のうばを呼んで参りましょうか、と申し出ました。
ミリヤムは、目端が利いて、物おじしないタイプのようです。
パロの娘は、おそらく、事情を察したでしょう。
狙ったようなタイミングで、こういうことを申し出て来るなんて、きっとこの子のお姉さんが、心配して見守っていたに違いないと。
きっとこの子の母親を連れて来るだろうと。

わかった上で「そうしておくれ」と答えると、ミリヤムは、目を輝かせて、嬉々として走って帰りました。
母親に事情を説明し、すぐに連れてくると、パロの娘は、自分が賃金を払うから、その子を連れて帰って、お乳を飲ませて育ててくれるよう、言ったのでした。
この日、この家に大きな喜びがあったことは、言うまでもありません。
地獄から天国とは、このこと。
絶体絶命と思っても、人生、何が起こるか、どんな展開が待っているか、わからないものです。

ある人は、ヨケベテは、もしかしたらこういう展開に一縷(いちる)の望みを託していたのではないか、とします。
エジプトは暑いですから、パロの娘がナイル川に水浴びに来る習慣があることを知っていて、場所も大体わかっていて、そのあたりに置いておけば、この子の可愛さは尋常ではないから、もしかしたら心を動かされてくれるかもしれない。
ヨケベテたちは、神がパロの娘を引き合わせ、この子を愛する心を与えて下さるようにと、祈ったでしょう。
そのために、ミリヤムを様子を見に残したのだろうとも言われます。

ちなみに、この時の王は諸説ありますが、仮にトトメス1世だとすると、この娘はハトシェプストと言われます。
後に、まだ幼いトトメス三世と共同統治を始めながら、彼女が長い間、実権を振るいました。
有能な人だったようです。
彼女は、公的な場では男装して、顎に付け髭をしていたと伝えられています。
それくらいの女性ですから、父パロの命令も恐れずにこんなことができたのかもしれません。
この時、そんな助け手を備えて下さっていたのは神です。
神のなさることに、抜かりはありません。

 こうしてモーセは幼少期を両親のもとで育てられました。
そこでたっぷりと愛情を注がれ、ー一度は、失いかけただけに、なおさらたっぷりと愛情を注がれー神のこと、神の約束のことも教えられたでしょう。
そして自分がイスラエル人であることも。
この人格形成の土台となる時期に、このようになったのは、神の守りでした。
それは彼の使命のために必要だったでしょう。
そして10節に、その子が大きくなったときとありますが、何歳ころだったのか、わかりません。

乳離れするまでだとすると、向こうでは5〜7歳くらいになります。
王女の所に連れて来られて、正式に彼女の養子になりました。
彼女はモーセと名付けました。
これは脚注にあるように「引き出す」という言葉から取った名前のようです。
私が、水の中からこの子を引き出した、というのが由来です。
後に、このモーセが、イスラエル人をこのエジプトから引き出すことになろうとは、夢にも思わなかったでしょう。
そして、パロの王宮でモーセは、当時一流の教育を受けました。
初代教会の執事ステパノが聖霊に満たされて語った中で、こう言っていました。
使徒7:22(新約p239)
モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。

賢そうな子だと見抜いて、将来、モーセを王の側近か、将軍か、そんな国家の要職に就かせるつもりもあったのでしょう。
当時の大国エジプトで最も進んだ教育を受けたのでした。
リーダーシップ論、軍隊を統率する方法、それに法律も学んだでしょう。

法体系の学びは、のちに十戒をはじめとする膨大な律法を神から与えられた時に、それを理解して、民に教えるのに役立ったでしょう。
伝言ゲームのように、意味も解らず右から左では、人に教えることはできません。
その他、あたかも敵の懐に送り込まれたかのように、エジプト人の価値観、考え方、文化等々、学びました。
すべては、使命を果たすための備えでした。

そしてもう一つ、王宮で過ごしたモーセが与えられたものがあります。
モーセは自分がイスラエル人であることを知っていました。
私は20代の頃、マレーシアに二年間、滞在しましたが、むしろその時の方が「俺は日本人だ」と自分が日本人であることを意識していたように思います。
モーセも、他のイスラエル人から切り離されて、エジプト人の中に置かれることによって、一層、自分がイスラエル人であるとの思いを強くされたと思います。
さらに、モーセの場合、それだけではありません。

同胞イスラエル人が虐げられているのを、見聞きしなければなりませんでした。
自分は同じイスラエル人なのに、王宮でぬくぬくと暮らしていて、平気でいられるモーセではありませんでした。
むしろ、王宮で暮らすことは、モーセにとっては苦しいことだったでしょう。
物質的には豊かで、何不自由なく暮らして、むしろ、偽りの楽しみ、快楽に逃げ込むことも、しようと思えばできたでしょう。
しかしモーセは、良心を失いませんでした。
むしろ、ますます同胞への思いを募らせました。
そして、それは単なる同胞愛以上のものでした。
彼らも自分も、神の民という思いでもありました。

ちょっと次回の先取りになりますが、モーセは、同胞イスラエル人を鞭で打ち叩いていたエジプト人を打ち殺してしまいます。
それは、肉の思いによる暴走で、神の御心ではありませんでしたが、彼の思いの表れでした。

ヘブル書11:24-26(新約p439)
11:24 信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、
11:25 はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。

11:26 彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。
彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

暴走してしまったことは、悔い改めるべきことですが、同胞を愛する思い、救いたいという願いは、将来、エジプトの解放者としての使命に召されるための、備えにもなっていたのでしょう。
自分は彼らと関係ない、自分さえ良ければ…ではない、崇高な心。
虐げられている同胞を救うために、王宮の安全で豊かな環境を捨て、自ら苦しみの中に飛び込む姿は、まさしくイエス・キリストの似姿そのものでした。

「主にありてぞ われは生くる」(新聖歌511番)
今日読んだところには、神という言葉が一度も出てきませんが、神の守り、神の配剤が感じられるところです。
それは、単にモーセを守るためというより、使命のために整えていたということでした。
それは、モーセ自身にとっては、必ずしも快適なものではありませんでした。
生まれた時の状況は、最悪。
エジプトの王宮での数十年間は、屈折した思いを抱えながら、パロの家の釜の飯を食わなければいけませんでした。
しかし、それはすべて、あたかも陶器師が陶器を作るように、神がモーセを使命のために形作っていたのです。

私たちの人生にも、良いことばかりではないかもしれません。
しかし、神には目的があるはずです。
モーセがそうだったように、私たちが苦しいと思うことも、神のご計画の中の一部なのでしょう。
自分にとって、快か不快かという自分軸でなく、神の御心を軸に置きましょう。
その聖書の人生観に従って、自分の人生をとらえ直すと、新しい視界が開けてきます。
ポイントは、神が、私たちに与えている人生は、神の御心を行うために与えられているという人生観です。
それは、自己中心を悔い改めること、自分を十字架につけることに、他なりません。
あるいは、自分がしっかり握っているものを手放すと言ったらいいでしょうか。
そのとき、世界が新しくなります。

神の御子は、私たちを愛して、ご自身の命を捨てて下さいました。
それによって、私たちに、永遠のいのちが与えられたのです。
私たちはキリストを心に迎え入れ、キリストの似姿を宿す者とならせて頂きましょう。

ガラテヤ書2:20、(新約p366)
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。