礼拝説教要旨(2019.04.28)  
破れ口に立つ人
(詩篇106:23) 片岡由明師 

序:地球の南極の上空にポッカリと見えない穴が開いている。オゾンホールである。人類の飽くなき欲望と文明発達が原因している。人類が豊かさ・便利さを追求した結果である。フロンガスの大気圏放出でオゾンホールに穴が開いた。地球の破れ口と言えよう。
今回は旧約時代の「破れ口」というたとえを学ぶ。「破れ口」とは、欠陥・綻び・失敗を示唆し、それをたとえた言葉である。罪ある人間の営みには常に「破れ口」が存在する。

1、破れ口に立つモーセ 「それゆえ神は『彼らを滅ぼす』と言われた。もし神に選ばれた人モーセが、滅ぼそうとする激しい憤りを避けるために、御前の破れ口に立たなかったなら、どうなっていたことか」(詩篇106:23)。旧約時代の「荒野の教会」にも破れ口は存在した。イスラエルの民は出エジプト後、シナイ半島で金の子牛像を造り、偶像礼拝の罪を犯した。霊的「破れ口」である。神は民を滅亡させようとされたが、神の人モーセが「とりなし役」となり、自分の生命を懸けてその「破れ口」を塞ごうと祈った。神の厳しい審判は回避された。
問題は「破れ口」を作らない事ではなく、どう対応するか?だろう。破れ口は常にいつでも、どこにでも存在するのだから。その為に危機管理体制が我々に問われている。

2、破れ口に立つ人の不在 「私がこの国の為に、私の前で石垣を築き、破れ口を修理する者を彼らの間に探し求めたが、見つからなかった」(エゼキエル22:30)。時代は進み、エゼキエルの時には、破れ口は存在しても、破れ口を修理する人物が不在だった。城壁に破れ口があると、そこから敵の攻撃や侵入をゆるし、国家存亡の危機に陥る。  
日本のことわざにも「蟻の穴から堤の崩れ」があり、破れ口は最初小さくても、放置すると徐々に拡大化し、ついには敵軍侵略の呼び水になるきっかけとなりえる。破れ口を防ぐには、レンガや石材・木材ではなく「人材」が必要だ。破れ口を造るのも人なら、破れ口を防ぐのも人である。神の人の熱き祈りや、修繕しようとするキリスト者のマンパワーが最終的に必要になる。

3、破れ口をふさぐキリスト ではキリストと12弟子達が構築する新約時代の「初代教会」には破れ口が存在しただろうか? キリストは完全無欠のパーフェクトな神であった故に破れ口は存在しなかったが、12弟子達の中に破れ口をつくる者が二人もいた。ユダとペテロである。彼等はキリストを否み、かつ裏切った。ユダは金銭でキリストを売り渡し、ペテロは三度もキリストを知らないと否定した。
この破れ口に対して、主は未然に防ぐ行動に出た。ペテロに対して「私は、あなたの信仰がなくならないように、あなたの為に祈りました。だからあなたは立ち直ったら、兄弟を力づけてやりなさい」(ルカ22:32)と祈った。また、ユダに対しては「友よ」(マタイ26:50)と呼びかけ、最後まで悔い改めに導こうとされた。主は必死になり、破れ口を修繕する努力をみせた。またパウロは「ですから私は、あなた方の為に受ける苦しみを喜びとしています。そしてキリストのからだの為に私の身をもって、キリストの苦しみの欠けた所を満たしているのです。キリストのからだとは教会の事です」(コロサイ1:24)と。