「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。
主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。
あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、
それはむなしい。
主はその愛する者には、眠っている間に、
このように備えてくださる。」
この詩篇のみ言葉を掲げて、新会堂を主に求めて歩んだ私たち所沢聖書教会は、ようやく今日の献堂式を迎えることができた。同じ主題聖句を掲げて、三年が経過しており、主ご自身のご計画はこうであったのか・・・と、今更のように思う。この会堂は主が建てて下さったもの、主が建てて、私たちに与えて下さったもの、私たちは主のご用のために、この会堂を使わせていただくとの思いを、この感謝礼拝を通して、一層明確にさせていただきたい。私たちが建てた会堂を、主にお献げするのではない。主が備えて下さったものを、主を礼拝するためにこそ、使わせて下さいとの祈りを込めて。
1、所沢聖書教会の始まりは、聖書によれば、世の始まる先、主なる神の永遠のご計画にあるが、この地上においては、1958年頃のこと、カナダ人ベネット宣教師による開拓伝道が、そのスタートである。1968年に横山幹雄師に引き継がれ、1969年にソルトー宣教師、1970年に再び横山師、その年の途中から柳が関わるようになり、1971年に伝道師として招かれ、今日に至る。当初は、伝道に熱く燃える群れとして歩みながら、教会を建て上げることには余り関心がない、単立の群れであった。その群れが、教会として看板を掲げ、教会形成を祈り始めたのは、ソルトー師との出会いからであった。それは、私たちが思う以上に大きな変化であり、全ては、教会のかしらキリストがみ手の中で、この教会を導こうとしておられたことにあったと確信する。教理的な面で、改革主義あるいは長老主義との出会いである。
2、正式に長老教会に加わったのは1975年のことで、その頃から、霊的な教会形成と現実的な教会堂の建設は、二本の柱か二つの車輪かのように、大きな関心事となった。そして、第一期と第二期の会堂建設の献堂式を1978年に迎え、1979年5月に長老政治における教会設立を迎えることができた。いずれも詩篇127篇1節を主題聖句と掲げての、主の尊いみ業であった。教会がこの地上で果たすことは全て、主の業であることをいつも心に留めさせられての歩みであった。実際に事に当たるのは私たち一人一人であっても、主が生きて働いておられるので、必ず実を結ぶとの信仰、また確信がなければ、一歩たりとも前に進むことはできなかった。私たちが考え、実際に行動に移したとしても、「主が家を建てるのでなければ、建てる者と働きはむなしい」とのみ言葉の通り、主が成して下さることが、私たちの喜びとなるのである。
3、今回の新会堂の建設では、「私たちにはその力はありません。でも主の業として、主が私たちに喜びを与えて下さい」との祈りを、繰り返し導かれた。以前の会堂建設は、同じように、私たちに力はないことを思い知らされながら、実際には、献金の他に、教会債や銀行からの借入をして、力以上のことを導かれた。今回は、借入はしない、いやできない、との思いでスタートした。するとしても、それは長老教会からのみと。そのようにして始まり、導きを願いながら、主が私たちに、献げる心を導いて下さり、つい先日、最後の支払いをすることができた。献金と教会に備えられた預金等をもって満たされた。足り過ぎず、足りなさ過ぎることもない不思議を、経験させていただいている。
<結び> 2節の言葉の最後が気になっている。「主はその愛する者には、眠っている間に、そのように備えてくださる。」主のみ業は、途切れることはない。私たち人間は、昼間働き、夜は休まなねばならない。休みなしに働くなら、いつか必ず力尽きるに違いない。けれども、私たちを守り導いて下さる主、生きておられる真の神は、私たちが眠っている間も、生きて働いておられるお方である。この神に守られている私たちの幸いは、全く測り知れない。その幸いを忘れず、イエス・キリストの福音の証しのため、教会の交わりの中で、一層前進させていただきたいと願う。この会堂に集う方が増し加えられるように。また、キリストを信じる方が起こさるように。教会に連なり、キリストと共に歩む日々が、何と幸いであるかを証しできるように。
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