礼拝説教要旨(2017.08.20)
あなたの罪は赦されました
 (ルカ5-17~26 ,渡辺信男牧師)

1 はじめに
 今朝は、「中風」の人が癒された出来事から神様の御心を学びたいと思います。    主イエスによってどのような御業が起きたのでしょうか。主イエスが群衆に教えたり、癒したりしておられるところに、4人の男たちによって中風の病人が床のままで運ばれて来ました。しかし、主イエスの周りには、沢山の人が集まっていたので、この病人をみもとに連れて行くことができませんでした。
 それでどうしたかと言いますと、男たちは屋根に上って穴を開けて、主イエスの御前に病人を床ごと吊り下ろしたのです。男たちは「何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとした」とあります。そこで主イエスは、彼らの信仰を見て、「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われたのです。
 ところが、それを見ていたユダヤ教の律法学者やパリサイ派の人たちは、これは神を冒涜している「神のほかに、だれが罪を赦すことができよう」と言い始めました。そのことを見抜いておられた主イエスは、「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらがやさしいかと言われ、そして中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われました。すると、たちどころにその通りになったと言うのです。

2 「中風」とは、どのような病気なのでしょうか。
 辞書には、「脳出血などで運動神経がマヒし、全身または半身不随になる病気」とあります。病気によって引き起こされる身体的障害を指す言葉とも理解できます。この病気の初期症状としては、脳の血の巡りが突然悪くなって、意識障害や手足のしびれ、言葉が話せなくなるなどの症状が現れるようです。そして中風と言われる、運動神経がマヒして、全身または半身不随の状態になるわけです。
 この脳卒中とも言われる脳血管の病気には、大きくは2つあるようです。脳の血管が詰まる「脳梗塞」と、脳の血管が破れる「脳出血」です。日本人の脳血管疾患(脳卒中)になる人の約7割は、脳梗塞が原因と言われています。この病気の主な原因として、高血圧や高脂血症、糖尿病などの生活習慣病が挙げられています。
 日本は高齢化社会に入っていますが、それに伴い要介護の人口も増しています。要介護の原因の第1に挙げられのが、この脳血管疾患(脳卒中)です。そして2番目には関節疾患、3番目に転倒・骨折と続きます。
 脳卒中の約7割にあたる脳梗塞(ノーコウソク)について、次のような話しを聞いたことがあります。(この話しはユーモアなので、文章は割愛します)。

3 ところで、聖書にもどりますが、この要介護の人は、4人の男たちによって主イエスの所に運ばれて来ました。
 何のためにこの人は運ばれて来たのでしょうか。何とかして中風を癒してもらいたいという一心でやって来たのです。そしてこの人の友人たちは、どうにかして助けてあげたいと思いました。そこで、中風の人を床のまま運んで来たわけです。病気になった時には、それを受け入れることも大切でしょうが、このように何とかして「良くなりたい」という思いを持ち続けることは、もっと大切であることを教えられます。
 この友人たちの具体的な行動には、思いやり、友情、愛を見ることができます。一方、主イエスは「彼らの信仰を見て」とあります。
 中風の人はもちろんのこと、4人の友人たちの信仰と愛には、どんな障害をも乗り越えさせる様子が分かります。主イエスがおられる家まで、中風の人を運んで来たのはいいのですが、そこにはすでに大勢の人がいて、とても主イエスのみそばにまで行けそうもありませんでした。そこで、なりふりかまわず屋根に上って屋根瓦をはがして、主イエスの前にその中風の人をつり降ろしたのです。
 そこに集まっていた人たちは、どんなに迷惑して驚いたことでしょうか。しかし、緊急を要する時や命にかかわるような非常事態の時には、このようなこともあり得るということです。救急車が信号を無視して現場や病院に直行するように、常識やルールを破ってでも行動しなければならないことを教えられます。そうでないと、この中風の人も癒されないままに帰ることになったのではないでしょうか。

4 それでは、このような非常識とも見える彼らの行動に対して、主イエスはどのように言われたのでしょうか。
 主イエスは彼らの信仰を見て、「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われました(20節)。主イエスは、中風を癒していただこうとして連れて来られた人に対して、「あなたの罪は赦されました」と言われたのです。中風の人も4人の友人も、その意味することがよく分からなかったのではないでしょうか。
 しかし主イエスが、「あなたの罪は赦されました」と言われたからには、その理由があったはずです。この中風の人は、脳卒中で倒れ半身不随になった時に、どうしてこんな目に遭わなければならないのかと悩んだと思われます。そして、過去の生活を思い返しては、どんな罪のためにこのようになったのかと、思い悩んだのではないでしょうか。ユダヤ人は、ある病気は罪の罰であるという考え方を持っていました。この中風の人も、自分の罪のことで思い悩んでいたと考えられます。主イエスは、「もしあなたがたが、わたしのことばを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです」と言われています(ヨハネ8・24)。神の御前には、病気よりもっと深刻な問題として、私たちの罪の問題があります。そのような訳で、主イエスは「あなたの罪は赦されました」と宣言されました。

5 ところが、そこにいた律法学者やパリサイ派の人たちは、心の中で次のようなことを考えていたのです。
 「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう」(21節)。律法学者たちは、旧約聖書を人々に教える学者であり、旧約聖書についてはよく知っていました。ですから罪を赦す権威と力は、神以外にはないということも知っていたのです。その点では良かったのですが、彼らの問題は、主イエスを神と認めていなかったことにあります。
 また彼らは、神の言葉を自分にあてはめるのではなく、人を裁くために用いようとしています。思いやりや憐れみもなく、すきがあれば人の弱点や落ち度を取り上げているのです。
 「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます」と言われている通りです(Tコリント8・1)。まさしく彼らは、知識は持っていましたが、愛は持っていませんでした。
 ところで、律法学者やパリサイ派の人たちが、主イエスがおられたカペナウムに「ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから来ていま」した(17節)。それは、すきがあれば主イエスを訴えようとして集まっていたのです。そのような態度こそ「罪」であることが、彼らには分かっていませんでした。信仰において重要なことは、どれだけ多くの聖書知識を持っているかということよりも、どれだけ、それを自分のものとしているかどうかということです。

6 主イエスは、律法学者やパリサイ派の人たちの心を見抜いて言われました。
 「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言われ(23―24節)、それから中風の人に、「『あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい』と言われました」(24節)。
 すると、この要介護の中風の人は、みんなの見ている前で起きあがって寝床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰って行ったのです。人々は、中風の人の癒しは難しいと考えていました。私たちもそう思うのではないでしょうか。しかしながら、罪の赦しの方がはるかに難しいことでした。なぜならば、それは神にしかできないことだからです。
 そのような訳で主イエスは、彼らが難しいと考えていた癒しの奇跡を難なく行い、ご自身が神であり、罪の赦しの宣言を行うことができるということを人々に示されました。
 それを見ていた人々は、非常に驚いて「私たちは、きょう、驚くべきことを見た」と言って、神をあがめ、恐れに満たされました(26節)。ところが、律法学者やパリサイ派の人たちはどうだったでしょうか。中風の人が癒されても、心から一緒に喜ぶことができなかったのではないかと思われます。どんなに聖書知識を持っていたとしても、これでは何の役にも立ちません。
 主イエス・キリストの教会は、律法学者やパリサイ派の人たちのような者の集まりではありません。中風の人やその友人たち、そして、癒しの御業を見て神をあがめ、恐れる人々によって構成されています。教会の頭なる主イエス・キリストは、罪を赦す権威を持っておられるばかりでなく、私たちの病を癒し、慰めに満ちた憐れみ深いお方でもあります。私たちの苦しみや悩みを解決してくださるお方です。

7 主イエス・キリストの福音とは、どのようなものでしょうか。
 主イエス・キリストを信じる者は、だれでも主イエスの御名によって罪の赦しを受けられます。主イエス・キリストを信じる者は、罪を赦されたのです。もう裁かれることはありません。「御子を信じる者はさばかれない」(ヨハネ3・18)。また、「永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(ヨハネ5・24)。これが信じる者に約束されている素晴らしい人生であり、死後の運命です。
 私たちは罪の赦しをいただき、心と体の病を癒された者たちです。またイエス・キリストの福音の中に選ばれて、恵みの中に生かされている者たちです。私たちもまた、中風の人やその友人がしたように、多くの未信者の人や病める人を、主イエスのみもとにお連れする者でありたいと願います。そのことは、すなわち教会の具体的な愛の働きでもあります。

8 さいごに、私の体験した病の癒しについて証しします。
 私は17才の時にイエスさまを信じ救われました。昨年の春に、ステージ1(初期)の肺がんと前立腺がんが見つかり、肺がんは昨年8月に放射線治療を受けて癒されました。前立腺がんは、来月から放射線治療を受ける予定です。最先端の現代医療を通しても、主イエスさまが働いておられることに、心から感謝して御名をほめたたえます。