先週は、2017年度主題聖句の詩篇127篇1節を思い新たに覚えた。「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」今週は、いよいよ新会堂の建設工事が始まることを覚え、感謝をもって礼拝をささげたい。日本長老教会設立記念礼拝でもあり、教会が教会であり続けることの尊さを覚えながら、御言葉に耳を傾けたい。建物としての教会堂が、確かに建て上げられるのを見ながら、神の家としてのキリストの教会が建て上げられるのを、目の当たりにできるのは大いなる祝福である。また特権である。神ご自身の御業をしっかり見届け、これに参加し、神が備えて下さる祝福と恵みを、十二分に受けたいと願うばかりである。いささかも見落とすことのないよう心したい。
1、エペソ人への手紙は、パウロがローマの獄中から書いたものと考えられている。使徒の働きの最後でローマに到着し、それ以後に書かれたもので、ユダヤ人も異邦人も神の家族とされたこと、キリストの教会に迎え入れられた恵みの大きさを説く手紙となっている。教会はキリストのからだであり、キリストの栄光が満ち溢れる特別なもの、と語られている。「私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(2:18-22) 教会は礎石であるキリストの上に建てられる「聖なる宮」である。一人一人は、キリストにあって組み合わされるようにして、建物の全体が成長するのがキリストの教会であると言われる。教会はキリストのからだであり(1:23)、御霊によって建てられる「神の御住まい」「聖なる宮」であると。
2、パウロは、イエス・キリストを信じる信仰に導かれた聖徒たちが、信仰に堅く立つことを願っていた。その信仰は、教会の中でどのように振る舞うのか、一人一人の生き方に表れるので、4章以下に具体的な勧めが語られる。「・・・謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。・・・」(4:1-10)キリストの教会にとって肝心なのは「一致」である。けれども、その「一致」は画一化したものではなく、神が一人一人に与えられた、恵みの多様さを見落としてはならない。聖徒たちには、それぞれに様々な賜物が与えられていて、教会には多くの働き人が立てられている。「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。・・・」(11〜15節)奉仕には多様性があり、様々な働きをしているようでいて、一つのからだを建て上げることにつながるのがキリストの教会である。それこそが神が成さる不思議である。
3、からだがバランスよく一致を保つように、また建物がバランスよく建つようにして、キリストの教会が「一致」を保つなら、それによって、人の悪巧みや、偽りの教えに翻弄されることはない。心を合わせ、愛をもって真理を語り続けるなら、それによって「あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達する」ことができる。(15節)そして「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(16節)キリストの教会には、多くの聖徒たちが召し集められていて、それぞれが賜物をいただいているのに応じて、その力量にふさわしく働くことによって、からだ全体がしっかり組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられる、と言われる。この事実は、目に見えることにおいても、目に見えないことにおいても、確かに起こっていることである。その事実を実感できるのが、具体的な会堂建設である。実際の工事の過程を見届けながら、私たちの一人一人が、祈り、献金をささげ、奉仕に加わって、教会が愛のうちに建て上げられるのを経験できるからである。こんな幸いな経験は、そうそうできることではない。愛のうちに教会が建てられるのを、私たちは喜びと感謝をもって、経験させていただきたいと思う。
<結び> 毎年、5月第一週の礼拝は、日本長老教会設立記念礼拝である。今朝は、新会堂起工感謝礼拝と共に、「日本長老教会」が主によって建てられた教会であることを、改めて覚えたい。1993年5月3日にスタートした教会がここまで導かれている。昨年も触れたが、この日本の社会にあって、会議を通して神の御心を探る「長老制」による教会形成は、「最も困難な道」であって、「日本の社会にはなじまない」と言われながらのことである。困難ではあっても、それが教会のかしらキリストの願っておられることと信じて歩んできた。これからも歩み続けるのである。やや大きな群れがあり、小さな群れもあって、それぞれが抱えている課題は様々である。お互いを覚え合って、また支え合って歩み続けたいと心から願う。日本長老教会も、「成長して、愛のうちに建てられるのです」と言われているように、「あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです」と、キリストの教会の証しを導かれたいと思う。主の日ごとの礼拝を、喜びと感謝をもってささげ続けたい。
|
|