十字架の死からよみがえられた主イエスは、その日の夕方、弟子たちの前に姿を現しておられた。その幸いな時に、彼らと一緒にいなかったトマスはどうしても信じられなかった。けれども、八日後、トマスも他の弟子たちといっしょにいる時、主が現れて言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇に差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」トマスは、よみがえった主イエスを心から信じる幸いへと導かれた。(ヨハネ20:24-29)主イエスは、弟子たちの一人一人の心の思いを知って、その上で彼らを確かな信仰へと導いておられた。その後も彼らの信仰を一層固くするため、お姿を現しておられる。ヨハネの福音者の最後に、ガリラヤ湖畔でのこと、その時ペテロに語られたことが記されている。今朝は、ペテロに語られたことに目を留めてみたい。
1、主イエスがよみがえられたことを信じ、また理解していた弟子たちであったが、これから何をするのか、何が自分たちの務めなのか、必ずしもよく分っているとは言えなかった。その日、「私は漁に行く」と小舟に乗り込んだペテロであったが、魚はとれず失意の中でイエスに出会い、イエスが言われた通りに網を降ろして大漁となった。彼らはとった魚を焼いて食べ、パンも食べて一息ついていた。何を話してよいのか言葉がつながらず、沈黙が続いたのかもしれない。(21:1-14)食事が終わって、イエスはペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」いきなりのことで戸惑ったかもしれないペテロは、言葉を選びながら答えた。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」(15節)「はい。あなたを愛します」とは、とても答えられなかった。十字架の前、あれ程に強がった自分が、イエスを知らないと三度言ってしまったことは、消し難い失態として、ペテロの心に刻まれていた。それでも、主イエスを心から愛して止まない気持ちは変わっていなかった。その思いを伝えるのに、「私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と、主ご自身に知られている自分のことを語った。イエスは「わたしの小羊を飼いなさい」と、主の民を養うのがあなたの務めである、とペテロに命じられた。
2、しばらくしてイエスは、また同じように、「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか」と問われた。先に「この人たち以上に」と問われたことは省かれていたが、ペテロは、今度も「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と答えた。(16節)彼は懸命に答えていた。自分が失敗するのを、主が知っておられたなら、私のことを全て知っておられるわけで、その主にお任せするしかないと、ほぼ全面降伏するのを良しとして答えた。主からの言葉は、再び「わたしの羊を牧しなさい」であった。主は、ご自分の民をペテロに託すことを、やはり語っておられる。ところがもう一度、主はペテロに言われた。(17節)「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」三度目はさすがに堪えたようである。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」主イエスご自身、ペテロに先の失敗を思い出させ、彼が、自分の弱さや限界を知る者となるよう導いておられた。その彼に「わたしの羊を飼いなさい」と命じられた。更に、ペテロの将来について、苦難の道のあることを告げておられる。主イエスに従う彼もまた、苦難の死のあること、それによって神の栄光を現すことになる・・・と。(18〜19節)
3、そして言われた。「わたしに従いなさい。」主イエスがペテロに求めておられたことの中心、肝心なことは、真心から主に従うことであった。イエスが歩まれた道を弟子たちも歩むことが、弟子たちの務めであり、本気で従うことを求めておられた。この時、ペテロは近くにいた弟子のことが気になってイエスに尋ねた。「主よ。この人はどうですか。」(20〜21節)しかし主は、その弟子のこととは一切関わりなく、「あなたは、わたしに従いなさい」と言われた。(22〜23節)もちろん、弟子たちが互いに愛し合い、支え合い、助け合って歩むことは尊い。それぞれが単独で何かをするのではなく、共に主イエスに従い、仕えるのである。けれども、大事なことは、ペテロ自身が、周りの誰かを気にしながらではなく、自分が主を信じて、主に従うこと、これが明確であるかが大事であった。主は、他の弟子たちにも同じことを求めておられたが、ペテロには弟子たちの代表となるように、特に丁寧に接しておられた。十字架の前に失態を演じたことも関連して、それを乗り越えさせ、本当に立ち直ったペテロを用いようとされた。そのために、三度問い掛け、三度、同じように使命を告げ、「あなたは、わたしに従いなさい」と言われた。こうして、弟子たちは、一人一人、主イエスに従う者となって福音を証ししたので、福音は全世界へと届けられたのである。
<結び> 「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか」と問われて、「私はあなたを愛します」とは、決して答えられなかったペテロであった。彼は、「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです」と、三度答えた。私たちも、主イエスを愛して、この方にお仕えしたいと心から思っている。そのような信仰に導かれ、感謝するばかりである。けれども、「私はあなたを愛します」と言えるかどうかより、ペテロと同じように、欠けのある自分、主によって知られている自分を認めることが大切と気づきたい。そして、心を低くすることを導かれたい。心から主に仕え、「あなたは、わたしに従いなさい」との言葉に、心から従うことである。ペテロは命の限り、主からの言葉、「わたしの小羊を飼いなさい」との命令に従って、教会に仕え、神の民に仕えた。私たちもそれぞれ、どのようにして主に従うのか、どのようにして神の民に仕えるのか、一人一人が祈り、考え、教会の中での役割を担うよう期待されている。周りの人に気を取られることなく、生涯変わることなく、自分はどのように主に従うのか、その大事なことを心に刻みたい。今日は、信徒総会が開かれるが、「あなたは、わたしに従いなさい」との主イエスの言葉を聞いて、主によって用いられる一人一人となれるよう祈りたい。 |
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