礼拝説教要旨(2016.09.18)
励まし支え合う教会
(使徒の働き20:1〜7)

 主イエスをキリストと信じて仰ぐ教会、すなわちキリスト教会は、紀元第一世紀の半ば以降、かなり目覚ましい勢いで成長していた。パウロによるエペソでの三年に及ぶ伝道があり、パウロ自身、いよいよローマを目指す思いが明らかになっていた。エペソでの「ただならぬ騒動」が治まると、「パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向って出発した。そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。」パウロは、諸教会を巡回し、それぞれの必要に応え、聖徒たち一人一人を励まし、また力着けたいと、心を込めて語り続けていた。(1〜2節)

1、手短に要約されたような記述であるが、その働きの期間はかなりの長期に渡っていた。「パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。」(3節)最初に向かったマケドニヤにはピリピの教会があった。その地方を通って、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、この旅の主要な目的であったギリシヤに来た、その地はアカヤ州のコリントであった。マケドニヤでどれ位過ごしたのか、ほとんど記されていないが、コリント教会の課題の深刻さのゆえに、準備の時を過ごしたようで、時が来るまで、イルリコ地方にまで足を運んでいたようである。(ローマ15:9) すなわち、その間に一年近くを経ていた可能性があり、やっとギリシヤ、すなわちコリントに来て、「ここで三か月を過ごした」のである。コリント教会で起っていた問題を解決するため、また聖徒たちを励まし、キリストの教会は一つであることを教えるため、ローマの教会に手紙を送ったり、休む間を惜しむようにして、福音を宣べ伝えていた。パウロが語る勧め、また教えは、いつも聖徒たちを励まそうとするもので、教会の交わりにおいて、互いの励ましや支え合うことが大事であると、いつも説いていたのである(コリント第一12:25-27)

2、いよいよ「シリヤに向けて船出しようとした」のは、諸教会から集めたエルサレム教会への救援献金を、それぞれの教会からの代表者と共に届けようとしたからであった。七人の同行者の名前が記されているのは、そのことを物語っている。ユダヤ人の陰謀によって、予定変更を余儀なくされたものの、一行は尊い使命を帯びて、エルサレムを目指していた。キリストの教会は一つであること、群れの大きい小さいや、富んでいるか貧しいかはほとんど無関係に、互いに励まし支え合うことは、教会のいのちそのもであることを、具体的に考え、経験していたのである。キリストの教会はエルサレムから始まり、ユダヤとサマリヤの全土を経て、地の果てにまで広がって行く事実を、喜びをもって経験していた。異邦人を中心とする教会は、エルサレムのユダヤ人を中心とする教会を覚えて献金を届けようとしていたが、パウロは異邦人の聖徒たちには、福音が彼らにも届けられた不思議を忘れないようにと、互いの交わりの尊さを教えていた。(ローマ15:25-27) エルサレムでの聖徒たちの顔合わせに、一人一人が胸を躍らせていたに違いない、そんな旅が続いていたのである。

3、ベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンドは、ピリピを含むマケドニヤの諸教会からの代表、ガラテヤの諸教会からはデルべ人ガイオとテモテ、エペソを中心としたアジヤの諸教会からはアジヤ人テキコとトロピモと、七名がパウロの同行者であった。パウロはアカヤ州のコリント教会からの献金を携え、この一行にルカが加わった、少なくとも八名が、パウロと共にエルサレムを目指していた。しかも、エルサレムでの「五旬節」に間に合うように、陸路と航路を組み合わせていた。当時の旅は天候に左右されるもので、その天候は季節によって全く状況が変わる、やっかいなものであった。先を急ぐ気持ちとともに、諸教会の聖徒たちとの交わりは、何としても大事にすべきことであった。トロアスで全員が揃ったところで、その町に七日間滞在する、とても貴重な時が備えられた。幾らかの休息と共に、週の初めの日に、パンを裂くために集まるという、真に幸いな一日が備えられたのであった。この頃までに、教会は週の初めの日に礼拝をささげ、それも聖餐式のために集う礼拝が、異邦人教会において定着するようになっていた。その礼拝の形が今日に及んでいることを思うと、言葉に表せない大きな感動を覚えるものである。(4〜7節)

<結び> ローマ帝国の各地を巡って、イエス・キリストの福音を宣べ伝えたパウロの伝道は、多くの実を結びながら前進していた。パウロだけでなくペテロがいてヨハネもいて、それぞれが主イエスご自身によって用いられていた。パウロは、いつも教会を励まし、互いに支え合うようにと教えた。特にエルサレム教会を覚えて、異邦人教会からの献金を届けることには、心を配っていた。「パウロは弟子たちを呼び集めて励まし」、「多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た」との伝道旅行の特徴は、「励まし」こそが中心であった。大きな教会も小さな教会も、力があってもなくても、キリストの教会は、互いに励まし支え合うことが、その働きの中心だったからである。今日の私たちが学ぶべきことは、このことなのではないかと思われる。マケドニヤの諸教会は、それほど豊かでもなく、力が強かったわけではなかった。ところが、マケドニヤの諸教会は喜んでささげていたと、パウロは証言している。(コリント第二8:1-5) 救援のための献金は、単なる救援に止まらない、教会にとっての本質に関わること、主にある支え合う交わりそのものなのである。私たちは、献金に限らず、教会の全ての業が、互いに励まし支え合う交わりに、具体的に関わっていることを覚えたい。私たちの教会の単位でのこと、また長老教会全体としてのこと、更には近隣の諸教会とのこと、日本中、世界中の諸教会とのことなど、キリストの教会は、励まし支え合う交わりを尊ぶところであると、はっきり覚えていたい。その交わりを心から喜ぶ者として。