礼拝説教要旨(2016.09.11)
この道のこと
(使徒の働き19:21〜41)

 パウロのエペソ伝道は、およそ三年の渡るもの、大きな成果を挙げるものであった。エペソのみならず、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキアの教会、そしてコロサイの教会も含め、アジヤ州の全域に福音は届けられていた。「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」(20節)ほぼ三年に渡る働きが一段落することを感じたのか、あるいは具体的な導きを感じたものと思われる。「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとで、エルサレムに行くことにした。そして、『私はそこに行ってから、ローマも見なければならない』と言った。」(21節)

1、「御霊の示し」とは、何か特別なことと思いがちである。しかし、実際には、その時の様々な事情を総合して、今、このことを果たすよう導かれていると判断する、極めて常識的で、また理性的な事柄であったと思われる。その頃、マカヤ州のコリントの教会は困難な課題を抱えていた。またエルサレムにある教会はいつも他の教会からの助けを必要としていた。そしてマケドニヤのピリピの教会は、いつも救援の献金をささげようと心が開かれていた。パウロはそれらを心に留めながら、福音をなお遠くに届けたいと願い、それぞれの教会を巡回することが主からの導きと確信したのである。こうして、テモテとエラストを先にマケドニヤに送り出して、「パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。」(22節)準備を整え、相応しい時を待っていた。「そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。」(23節)銀細工人のデメテリオが、パウロのおかげで自分たちの商売が上がったり!と、同業者たちに語って人々を扇動した。エペソには、大女神アルテミスの神殿があり、彼らはその恩恵に与って商売をしていた。ところが、イエスを信じる者が増えるにつれ、利益が減ると心配し、苛立ったからである。(24〜28節)

2、人々が、しっかり偶像から真の神に立ち返っていた事実があった。その事実が、アルテミス神殿の模型を作って商売している人々を脅かしていた。これ以上邪魔はさせないと、怒った人々はパウロの同行者であるガイオとアリスタルコを捕え、劇場になだれ込んだ。パウロはその中に入って行こうとして、弟子たちに止められていた。アジヤ州の高官でパウロの友人もいたからであろうか、騒ぎはパウロ抜きのまま推移した。群衆の多くは何の騒ぎか分らないまま、ただ「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫び続け、何と二時間が経過した。町の書記役は、そのような騒ぎに慣れているかのようである。群衆が熱気を発散し終わった頃を見計らって、エペソの町には大女神アルテミスがいるではないか、この女神がいるなら、皆さんは騒ぐことなく、静かにしていなければいけません・・・と言った。その上、パウロとその仲間たちについて、「宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです」と余裕を見せ、文句があるなら正式に訴えるよう、このままでは「騒擾罪」に問われると威嚇し、群衆を解散させてしまった。「ただならぬ騒動が持ち上がった」ものの、パウロたちは何もしないまま、騒動は収束したのである。主のみ手の守りは確かであった。(29〜41節)

3、この町での大騒動は、「この道のことから」と記されているように、主イエスを救い主キリストと信じる人々が、驚くほどに増えていたからである。十字架で死なれたイエスこそキリスト、罪からの赦しと救いをもたらして下さる方と信じる信仰は、信じた人々の生き方を変えるものであった。デメテリオが「あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです」と、懸命に語ったように、パウロは、万物を造られた神がおられることを告げていた。アルテミスのご神体として何かの物が祭られていたとしても、物にいのちはなく、何もできないと分かった人々は、次々と生ける真の神に立ち返って行ったのである。その結果として、銀細工人たちの儲けが脅かされたわけで、それだけ多くの人が生活の仕方を変えていたことになる。町の人々が、どれだけ有り難い思いで女神アルテミスを仰いでも、人の手によって作られた神は何一つ事を起こせないと、この騒動は明らかにしていた。そのようにして、「この道」をしっかりと歩む人々は励まされ、力着けられ、いよいよ、この信仰に生きる覚悟を固くすることになったのである。

<結び> 主イエスをキリストと信じる信仰について、「この道のこと」と言われるのは、その中身は、人が「生きる道そのもの」だからである。何をどのように信じているのか、そのことも大事であるが、肝心なのは、その人が日々、どのように生きているのか、何を語り、どんな行いをしているのか、実際の生活が伴っているか、その事実は思いのほか重い事柄である。エペソの町では、クリスチャンとなった人々の生活が変わり、そのために、アルテミスの神殿から恩恵を受けていた者たちが、危機感を覚えたわけである。偶像礼拝を通して生活を支えていた者たちが狼狽えていたとは、今日の日本では、ほとんど考えられないことである。けれども、70年ほど遡ると、その頃の日本社会は幾分か、それに似た状況があったのかもしれない。最近の状況は、偶像礼拝が力を盛り返して、教会はほとんど無力さを味わっているかのようである。それでも、私たちは「この道」をしっかりと踏みしめ、世にあって証しを立てることができるように祈りたい。頭でだけ理解する信仰ではなく、生き方に表れる信仰であること、生き方が変わったこと、変えられたことを証しして歩む者となるように。たましいの救いは、全くの賜物として与えられるものである。そして、どのように生きるのか、歩むのか、その生き方や歩み方も、神によって備えれ、導かれることを信じて、日々歩めるように!!(エペソ2:8-10、4:17-24、25-32)