エペソの町のユダヤ人は、珍しくパウロに好意的だったのか、「人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで」、エペソから船出した。パウロはなぜか、エルサレム行きに拘っていたようである。特別な祭りに間に合うように、また、諸教会からの献金を早く届けたい等々があったのかもしれない。一人でも多くの人にイエス・キリストの福音を伝えたい、キリストを信じて罪の赦しをいただくことが、全ての人にとっての幸いと信じていたが、教会が教会として、主に在る豊かな交わりの中に一人一人がいることの大事さを、パウロは決して忘れなかった。主に在って前を向くパウロは、福音宣教のために進みつつ、弟子たちとの交わりを喜び、その交わりによって、彼自身も力づけられていたからである。
1、パウロが去った後のエペソに、「アレキサンドリヤ生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がやって来た。」(24節)神は、パウロがいなくなって、少々寂しい思いをしていた人々の前に、有能な働き人を送っておられた。アレキサンドリヤは、アテネ、タルソと並ぶ学問の都市として栄えた町である。紀元前200年頃に、ギリシヤ語訳旧約聖書がこの町で完成していた。その町で育った彼は、「聖書に通じていた」ばかりか、「主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教え」ることができた。旧約聖書が預言する教えが、ナザレのイエスにおいて成就し、イエスをキリストと信じる信仰に、アポロ自身も立っていた。彼は「雄弁」で、学識があり、豊かな教養を身に着けていたので、人々を十分にひきつけ、よく教えることができた。けれども、十字架の死からよみがえったキリストのことや、ペンテコステの日の出来事や、それ以降の弟子たちの歩みについては、ほとんど何も知らないでいた。「ただヨハネのバプテスマしか知らなかった」とは、神の前に罪を悔い改めてキリストが来られるのを待つよう教えることを中心にして、イエスのことを語っていたのである。彼は大胆に、また力強く語っていた。(25節)
2、その話を聞いていたプリスキラとアクラは、すぐに何かを感じ取った。彼らは、パウロから聞いたこと、すなわち、イエスの十字架と復活の出来事、ペンテコステの日の聖霊降臨のこと、その後の弟子たちの目覚ましい歩みなど、初代教会の福音の拡がりについて、一つ一つ丁寧にアポロに語り、彼が語っている「神の道」のことを、「もっと正確」になるよう説明した。この時、プリスキラとアクラは、とても大事な心配りをしていた。アポロの弁舌は爽やかで、その内容は力強いものであったが、何かが足りないと気づいたので、その欠けを補おうとしたが、二人は、それを会堂で人々のいる前ではなく、自分の家に「彼を招き入れて」した。そのようにしてアポロは、彼が説く教えを、一層確かなものとされ、イエスのことを、もっと確信をもって語ることになった。ところが、教会のかしらである主ご自身は、このアポロをアカヤ州のコリントへと遣わそうとされた。彼自身が、次は「アカヤへ」と思っていたのか、誰かが「アカヤへ来てほしい」と願ったのか不明であるが、エペソの兄弟たちは彼を励まし、またコリントの教会への推薦状を書いて彼を送り出した。コリントに着くとアポロは、「すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。」コリントの人々は彼を歓迎し、彼自身も、神の恵みによって救いに導かれたことを喜び合うことができた。「彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。」(26〜28節)
3、パウロが去った後のエペソにアポロが来た時、主は、その町にプリスキラとアクラの夫婦を残しておられた。この夫婦とアポロの出会いと、実際の主に在る交わりは、キリスト教会における「聖徒の交わり」の基本、また模範である。プリスキラとアクラは、パウロと出会って、イエスをキリストと信じる信仰を一層確固たるものとされていた。そしてパウロを支え、助け、共に労する者となった。パウロは、エペソを去る時、群れを二人に託すようにしたのであろう。そのパウロのいない町にアポロがやって来た。彼は有能で、良い働きをしたものの、足りない所があると二人は気づいた。多分、プリスキラが先に気づいたと思われる。彼女は、アポロを家に招き入れて、「神の道をもっと正確に彼に説明した。」(26節)この時、二人から話を聞いたアポロも、素晴らしい感性を持っていた。足りないことを指摘され、それを素直に聞くのは、案外難しいことである。しかし、彼は聞いた。彼はもっと豊かにされて、次の働きの場へと向かうことになった。キリスト教会は、実にこのような互いの励まし合いによって、確かな歩みを続けている。誰もが、完全なわけではなく、互いの励ましや、互いの助けによって、支え合い、補い合うことを喜んでする所、それがキリストの教会なのである。(コリント第一12:4-27、ローマ12:3-8)
<結び> パウロの後にアポロが来たこと、そして、アポロもまた尊い働きのために用いられるという図式は、アポロが次に行った町、コリントでも同じことが起こることである。けれども、キリストの教会においては、誰が指導者で、誰の弟子であるかについては、さほど大きな事柄ではない。コリントの教会では、この後、残念ながら誰につくのかと争いが起こっているが、大事なことは、救いは、実に、恵みにより、信仰によるとの原則である。主のために働くのも、恵みによって、主がさせて下さることである。主によって用いていただく一人一人、互いに励まし合い、支え合ってのみ、教会は前進できるのである。プリスキラとアクラが、アポロを家に招き入れたこと、そして、アポロに向って、神の道をもっと正確に説明したこと、その一つ一つのことに、主に在る聖徒の交わりの、大切な部分が込められていることを、私たちは読み取りたい。二人は、心を注いで主に仕えていた。そして、アポロもまた、主ご自身がプリスキラとアクラを通して、自分に語って下さることを聞く、確かな耳、霊の耳を持っていた。彼は、霊に燃えて、イエスのことを語ろうとしていたが、自分の考えに固守せず、実に柔軟に、人からの教えを受け入れていた。そのように、教会は互いの励ましによってこそ成長し、前進できることを、私たちも心に刻みたい。主に従う忠実な僕にならせていただきたい。
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