礼拝説教要旨(2016.07.17)
前を向くパウロ
(使徒の働き18:12〜23)

 コリントの町で、パウロは主イエスから直接の励ましを受けた。「『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから』と言われた。」(9〜10節)パウロは、どんなにか力づけられたことであろう。一年半の間、腰を据えて、神のことばを教え続けることができた。主の言葉の通り、ユダヤ人たちの反撃や抵抗があっても、危害を加えられることがなかった事実が、12節以下の出来事である。パウロは、ユダヤ人たちの反抗にによって、アカヤ州の地方総督ガリオの前に引き立てられ、法廷に立たされることになった。「『この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています』」と訴えられたのである。(12〜13節)

1、ユダヤ人たちは、パウロが福音を語るのを止めさせたかった。暴動を起こすよりは、法廷に訴え、総督の裁定を期待した。ユダヤ教は公認されており、その枠を逸れた教えを説いている。だから止めさせて欲しい・・・と。反論をしようとパウロが口を開こうとした時、ガリオはそれを制止して、ユダヤ人たちに向かって、はっきりと告げた。(14〜15節)訴えには、何らの犯罪性を見出せない。ユダヤ人の間での宗教上の事柄であるなら、自分たちで始末をつけよ。私を煩わさないでくれ。これがガリオの結論であり、裁定であった。パウロが何か言うこともなく、事は決着して、皆、法廷から追い出されてしまった。パウロは、全く何の危害を加えられることもなく、これまで通り、福音の証しのために労する、公的な保証を得たかのような結末である。ユダヤ人たちは、苛立ちを会堂管理者ソステネネに向け、彼を捕えて、法廷の前で打ちたたいた。この時までに会堂管理者は、クリスポからソステネに交代していた。ソステネもまた、パウロの教えに心をひかれていたものと思われる。一方、総督ガリオは、人々の騒ぎを一向に気にせず、何ら問題視することはなかった。コリントでの福音宣教の業は尚も前進し、やがてパウロはこの町を去る時が近づくのであった。(16〜17節)

2、コリントの町を去る時のパウロに、どのような考えがあったのかは不明である。考えられることの一つは、エルサレムへ行こうとする思いであったのか、それで「シリヤへ向けて出帆した」のかもしれない。パウロの思いは、他に何かあったのかもしれない。それは、途中「ケンクレヤで髪をそった」ことに現れていた。神への特別な感謝を表したり、特別な願い事をする思いを込め、「ナジル人の誓願」を立てていたからである。(18節、※民数記6:1-21 誓願の期間が満ちた時、神を切って、神の前にささげるという儀式)コリントから陸路でケンクレヤに着き、そこから船に乗ってエーゲ海を西から東に横切り、到着したのがアジヤ洲の首府エペソである。恐らく以前に目指しながら、先ずはマケドニヤへとなったことがあり、パウロにとって、ここでも福音を伝えたい思いが、強く湧き上がるのであった。早速に「自分だけ会堂に入って、ユダヤ人たちと論じ」ることになった。コリントからは、プリスキラとアクラが同行していたが、パウロは一人、会堂へと入って行った。この町のユダヤ人たちは、それ程の抵抗を見せることなく、また異邦人で福音に耳を傾けた人々も好意的だったのか、パウロの長期滞在を願う人々がいた。けれども、パウロは人々の頼みを退けて、エペソから船出した。航海に適さない時期が迫る中、エルサレム行きを優先したものと考えられている。(19〜21節)

3、エルサレムで、パウロは何をしたのか。この箇所の記述は「教会に挨拶をしてからアンテオケに下って行った」と、実にそっけない。しかも、原文では「エルサレム」の地名も省かれている。間違いなく「エルサレムに上り」と言われる旅であったが、パウロにとっては、そこに留まるのが目的ではなく、そこからまた出発して、イエスこそキリストとの教えを広めること、これが自分の務めであると、どこにあっても自覚して止まなかった。エルサレムからアンテオケに戻り、しばらくしてから、先に福音を伝えた地方へと、また出かけて行った。各地の教会が、どのように歩んでいるのか、その町にいる弟子たち、聖徒たちを、何としても力づけたい、励ましたい、顔と顔を合わせて喜び合いたいと、パウロの心は熱く燃え続けていた。(22〜23節)第二回の伝道旅行を終えてアンテオケに帰っていたパウロは、ほとんど休む間もなく、第三回の伝道旅行に出発したのである。諸教会の弟子たちは、彼によってどんなにか勇気づけられたに違いない。けれども、弟子たちとの出会いによって、パウロ自身が力づけられていたのも事実である。そのようにして、キリストの福音は、今日の私たちにも届けられているのである。

<結び> 「人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、『神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってきます』と言って別れを告げ、エペソから船出した。」(20〜21節)この記述を読む時、頼みを聞き入れてもらえなかった人々のことが、気になってしかたがない。随分と寂しい思いをしたに違いない・・・と。「神のみこころなら・・・」との言葉を出されては、たっての願いも引っ込めるしかなかった。パウロは、ただ人々にそっけなかったわけではない筈である。彼にしては、その時に優先すべきことがあったわけで、「必ず戻って来ます」との思いを告げたのであろう。彼にとっての優先事項は、福音の宣教であり、一人でも多くの人に、イエスをキリストと知らせることであった。十字架で死なれたイエスは、私たちの罪の身代わりとなって死なれた方、私たちの罪を赦すために死なれた方である。そして、三日目に死からよみがえって、私たちに永遠のいのちを与える約束をして下さったのである。この方を宣べ伝えること、これがパウロの務めであった。(コリント第一9:19-23)

 福音を宣べ伝えるために、常に前を向くパウロの姿は、私たちの教会も倣うべき姿である。また一人の人間として、私たちの生きる姿勢としても大事なことである。何かと迷うことが多くある時、神に向かって顔を上げること、前に向かって進むことなど、それは神を信じて、また信頼して歩むことであると気づかされる。どんなことであっても、神がともにおられることを信じて、神の導きに信頼して、この地上の日々を生き抜くことができるよう、祈りをもってこの週も歩ませていただきたい。