礼拝説教要旨(2016.07.10)
恐れないで、語り続けなさい
(使徒の働き18:1〜11)

 アテネの町では、必ずしも思ったように伝道の実を刈り取ったわけでなかったパウロは、そこを去ってコリントへ行った。コリントは、当時、アカヤ州ではアテネより栄えた商業都市であった。東西の貿易の要所となって繁栄した町として、それに伴って町の風紀が乱れるという、やっかいな問題も抱えていた。現代社会が抱える課題と極めて似ていて、パウロは初めから、この町で伝道しようと考えていたのかもしれない。アテネから西へ約70キロ、陸路だったか航路だったか、必ずしも明らかでないが、次はコリントと考えていたのかもしれない。(※紀元前146年、ローマへの反逆の理由で、ローマの将軍ムンミウスによって破壊され、約100年間荒廃のままであったコリントの町は、紀元前44年にユリウス・カエサルによって再建されたが、復興と共に栄えた町は、「コリント風にふるまう」という言葉が「不品行な行いをする」を意味するほどに乱れたいた。)

1、大変な町にやって来たパウロであったが、主なる神ご自身は、そのパウロにアクラとプリスキラの夫婦との出会いを備えておられた。この場合も、主は、絶妙なタイミングで人と人を出会わせておられる。ポント生まれのユダヤ人アクラは、妻プリスキラとローマに住み、そこで生計を立てていたが、クラウデオ帝がユダヤ人に対して、ローマからの退去令を出したため、つい最近コリントに移り住んでいた。ローマの町に既に福音が届いたのか、ユダヤ人たちの間で騒動が起こっていたようである。(※ローマの歴史家スエトニウスによると、ユダヤ人たちがクレストスにそそのかされてたえず騒ぐので、皇帝が退去令を出した、とのこと。ユダヤ教もキリスト教も明確な区別のないまま、ユダヤ人退去令が出されたのであった。紀元49年または50年のこと。)アクラとプリスキラは既にキリストを信じていたか、あるいは、パウロに会ってその信仰が明確になったのかもしれない。この夫婦にとってパウロとの出会いは、イエスをキリストと信じる信仰の確かさを知る機会となり、二人はパウロの大事な支援者、また協力者となった。信仰の面のみならず、職業の面においても、最適で最善の同労者を、主は備えておられた。そんなことがあるのか・・・と思うほどに。(1〜3節)※天幕作り:羊毛の布のほか皮革を扱うので、皮細工人とも考えられている。

2、コリントの町でも、「パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。」(4節)先ずは、安息日ごとに会堂でとの原則に従い、「イエスこそキリスト」と説き明かした。恐らく熱弁をふるい、時には説き伏せようとする勢いであった。そして、シラスとテモテが到着してからは、「みことばを教えることに専念」することができた。「イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。」それまでは、日々の必要のため、パウロ自身も働いていたが、諸教会からの支援の物資や献金が届けられたので、週日も日夜、福音を説き明かすことに専念することになったのである。熱心に、そしてはっきりと語れば語るほど、ユダヤ人の反抗が強くなり、遂に決裂の時が来た。ユダヤ人たちの暴言に対して、最早これまでとパウロは覚悟した。着物を振り払って「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人の方に行く」と言って、会堂を出た。行った先は、「神を敬うテテオ・ユストという人の家」で、「その家は会堂の隣りであった。」反抗して暴言を吐くユダヤ人が大勢いた中で、何と会堂の隣りに心を開く人がいた。また、会堂管理者クリスポも、「一家をあげて主を信じた。」パウロの伝道は、着実に実を結んでいた。「また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。」(5〜8節 ※コリント第一1:14 クリスポとガイオ=テテオ・ユスト)

3、このようなコリントで、「ある夜、主は幻によってパウロに、『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。・・・』・・・」と語られた。主イエスご自身がパウロに語りかけ、励ましておられる。働きの実を刈り取りながらも、ユダヤ人の反抗の激しさを思うと、果たして働きを続けられるのか、かなり心を痛めていた。ユダヤ人の暴言に対抗して、パウロも激しく応戦しながら、いよいよ異邦人への伝道を視野に入れ、ユダヤ人への責任はもう十分果たしたと、そんな思いでいた時である。反動のように、気持ちが沈んで、弱気になっていたと思われる。そんな時、主が現れて語られた。「恐れていてはならない。」また、「黙ってしまってはいけない。」「語り続けるのだ。」「わたしがともにいる。」「あなたを襲って、危害を加える者はいない。」「この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」パウロでさえ、恐れに包まれ、気持ちが弱ることがあった。そのような時に、主イエスは「わたしがあなたとともにいる」と励まし、主のための労苦は、「わたし自身が分っていること、心配せずに前に進みなさい」と力づけておられた。(9〜10節)パウロは大いに勇気づけられた。

<結び> パウロが、勇気百倍!となって前進した様子は、「そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた」と明白である。(11節)どっしりと座り込むように、コリントの町に滞在した。課題は多く、悩みも激しかったと思われる。だからこそ「腰を据えて」、神のことばを語ったのである。紀元50年の秋から52年の春になる頃までと考えられている。そして、このパウロの経験を通して、代々の教会、また多くの牧師や教師たち、伝道に携わる人々が、教えと励ましを受けて今日の教会がある。私たちの教会も、折に触れ、その時々に主がパウロを励ました同じ言葉によって励まされ、力づけられ、導かれて来たのである。

 福音の宣教、また伝道において、私たちは、一人でも多くの人に福音を届けて、たましいの救いを得て歩む人が起こされてほしいと、心から願っている。主イエスこそキリストであり、十字架の死からよみがえったキリストを宣べ伝えるのであるが、人々が心を開いて信じるのかどうか、これほど不確かなことはない・・・と思うことがある。どんなに説得したとしても、それで人の心が動くわけではない。人が心を開いて信仰に進むには、聖霊なる神が働いて、その人の心を捉え、また導いて下さる以外には、何も起こらない。だからこそ、伝道は神ご自身のみ業であり、私たちは、神の約束を信じて、神に従うのである。「この町には、わたしの民がたくさんいるから」との約束に従って、私たちも、「恐れないで、語り続ける」ことを導かれたい。主イエスが共におられることを忘れず、また危害からも守られることを信じて、前進できるなら幸いである。この町での証しのために、一人一人、上よりの力をいただきたいと、心から願っている。