ピリピの町を去ることになったパウロたちは、エグナチア街道を西に進み、テサロニケにやって来た。「そこには、ユダヤ人の会堂があった」と記されている。途中にある主要都市のアムピポリスとアポロニヤを通過したのは、そこにユダヤ人の会堂がなかったからかもしれなかった。次の伝道の場所はここと決め、「パウロはいつもしているように、会堂に入って行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。」(1〜2節)テサロニケはエーゲ海の北西端、テルマ湾に面する海港で、マケドニヤ州の首府として栄え、ユダヤ人も多く住んでいたので、彼らの会堂があり、そこで聖書を説き明かし、人々と論じながら福音を語ることができた。
1、パウロたちは、どこの町に行っても、会堂を見つけるか、ユダヤ人の祈り場があるのかを探して、福音が伝わり易いように心掛けていた。また、いきなり福音を語ろうとあせることなく、安息日に会堂に行って、そこに集まっている人々に聖書を基にして語り始めた。何を語ったのか。その中身は「キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないこと」であり、旧約聖書が預言しているキリストとは、十字架の上で死なれ、三日目に死からよみがえった方、ナザレ人イエスのことである、と説き明かすのであった。天の神が、旧約聖書を通して、人々に真の救いの道を説いておられるのは、十字架で死なれ、三日目に死からよみがえった主イエスのことであり、イエスこそキリストである、この方を信じて、罪の赦しをいただくこと、この福音を信じるようにと、パウロは熱弁をふるうのである。(3節)
2、「三つの安息日にわたり」、パウロたちは会堂で人々に語った。その前後を入れると、半月以上、20日位の間、テサロニケの町で伝道したものと思われる。ピリピでの苦しい経験を踏まえた上で、いよいよ大胆に福音を語っていた。滞在中は、町の人々に負担をかけないようにと、自ら働らきながら福音を宣べ伝えていた。(テサロニケ第一2:9)その働きは着実に実を結び、イエスをキリストと信じる人々が増し加えられていた。ユダヤ人の中の幾人かが、また神を敬うギリシャ人の大勢が信仰に導かれ、その中には貴婦人たちも多くいた。ごくわずかの間に、主イエスを信じる人々が次々と起され、町にいたユダヤ人たちは、たちまち危機感を抱くようになった。それは多分に妬みと怒りからのものであって、多くのユダヤ人にとっては、自分たちが信じていること、また行っていることが、根底から覆されるのを恐れたからと思われる。十字架で死んだイエスをキリストと信じるなど、到底できないと思いこんでいた。パウロは、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」、よみがえったキリストこそ、信ずべきお方と、語って止まなかった。(4節)
3、ユダヤ人たちの妬みと怒りは、遂に爆発した。彼らは、町のならず者たちの力を借り、「暴動を起こして町を騒がせ、ヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。」パウロたちは、ヤソンの家に泊まり、彼のもてなしによって支えられていからであろう。騒ぎが大きくなる前に、パウロたちは、その家を去っていた。人々は仕方なく、ヤソンと兄弟たちの幾人かを引き立て、町の役人たちに訴えた。世間を騒がす不穏分子が、この町にも入り込み、それを迎えたのがこのヤソンである。彼らは、「イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行いをしているのです」と、カイザルへの反逆を企てていると訴えた。この訴えは、主イエスに対してなされたものと同じである。ローマの統治下にあって、宗教上のことでは何ら問題とならず、政治上の反逆罪で訴えるしかできなかった。役人たちは、その職務上、暴動には警戒を怠らず、訴えを聞いて不安になったものの、具体的な証拠もなく、罰を下すこともできず、ヤソンたちから保証金を取った上で、釈放することにした。責任をもって、これ以上騒ぎを起こすなと言うわけである。パウロたちは、止む無く町を去って行った。(町を去ってしばらくして送ったのがテサロニケ人への手紙第一である。「兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたのでーーといっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが、ーーなおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。」(2:17))
<結び> テサロニケの町で、主イエスをキリストと信じた人々は、パウロたちが語る福音に耳を傾け、十字架で死なれたイエスは、確かに死からよみがえられたこと、そのよみがえったキリストこそが救い主と信じたのである。彼らは、福音が語られた時、聖霊に導かれて信じることができた。「聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ」たのである。実際に信じるのは、ある意味で不思議である。同じ言葉を聞いても、反発する人がいて、また、全く興味を示さない人がいる。少し興味を示しても、その場を離れるとすっかり忘れる人もいる。そうした中で、心を開いて、喜んで受け入れる人は、少数であっても、必ず備えられている人々である。彼らは、パウロが語る言葉に耳を傾け、十字架で死なれたイエスは、死からよみがえったことを信じた。よみがえったキリストこそが、救い主と信じて、虚しい偶像礼拝から神に立ち返り、生ける真の神に仕えるようになったのであった。(テサロニケ第一1:1-10)
今日、私たちが信じるのも、十字架で死なれた主イエスは、私たちの罪の身代わりとして死なれたのであり、そのイエスが三日目によみがえられたこと、そのイエスこそ、私の救い主と信じるのである。よみがえったキリストこそが私たちの信仰の中心である。パウロは、以前は死人の復活など有り得ない、そんな教えが世に広まってはならないと、イエスを信じる人々への迫害を続けていた。ところが、復活して、確かに生きておられるイエスご自身が、彼の前に現れて、彼を、ご自分のために生きる者と、全く変えて下さったのであった。こうして、福音が全世界に広まっているのである。主イエスをキリストと信じて歩む人々が、この日本で、この所沢で広まることを祈りつつ、福音が一人でも多くの人々に届くよう励みたい。死からよみがえったキリストこそ、信ずべきお方、真の救い主であると信じる人々が起こされるように。ますます増し加えられるように。
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