ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルべと、パウロとバルナバの伝道旅行は続けられていた。ルステラでは、足の不自由な人が癒され、町中が大騒ぎになり、二人が神のように崇められる一幕があった。ようやくその騒ぎは収まったものの、ユダヤ人たちによる反抗は、ルステラの町でも激しく、パウロは死の危険に直面した。イエス・キリストの福音を宣べ伝えることには、いつも苦難が伴い、上よりの確かな守りなしに、パウロたちの働きが前進することはなかった。主イエスを信じる弟子たちの歩みは、神の御手に守られ、支えられて、確かな実を結びながら、全世界へと広がっていたのである。それにしても、ルステラでの迫害は激しく、パウロは、九死に一生を得るような経験をしていた。(19〜20節)
1、ユダヤ人たちがイエスの復活を信じることなく、イエスこそキリストと宣べ伝えるパウロやバルナバたちに反抗するのは、エルサレムから始まったことであった。キリストを信じる弟子たちは、ユダヤ人たちによる迫害によってエルサレムから散らされ、サマリヤ地方に逃れ、更に北へと向かいながら、フェニキヤ、キプロス、そしてシリヤのアンテオケに進み、アンテオケでギリシャ人にも主イエスのことを宣べ伝え、その町に、異邦人伝道の拠点となる教会が生まれたのであった。パウロとバルナバはアンテオケ教会から送り出され、キプロス島で伝道し、そこからペルガに渡り、次にピシデヤのアンテオケに行った。パウロたちの伝道が成果を挙げると、途端にユダヤ人たちが騒ぎ出すのは、どの町でも同じであった。二人を町から追い出すだけでなく、追いかけてでも止めさせたい、それほどの怒りを募らせていた。そして怒り狂ったユダヤ人たちは、遂にルステラで群集を抱き込み、パウロを石打ちにし、「死んだものと思って、町の外に引きずり出した」のであった。その怒り狂った様は、とても読み過ごせない激しさである。人々は、パウロは死んだと思って、町の外に放り出し、厄介者を始末したというわけである。
2、けれども、天の神のご計画は、ここでパウロのいのちを終わらせなかった。「しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。その翌日、彼はパルナバとともにデルべに向かった。」そして、「彼らはその町で福音を宣べ伝え、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、『私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない』と言った。」(21〜22節)石で打たれて、死んだと思われるまでの仕打ちを受けても、そこから立ち上がると、何事もなかったかのように、主イエスを宣べ伝えていた。しかも、町々を順次めぐり、信仰を持った弟子たちを励まし、「また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」(23節)ユダヤ人たちは、パウロは死んだものと思い、油断していたのかもしれない。自分の町、自分の家に戻って、ゆめゆめパウロが生きているとは考えもしなかたのであろう。こうしてパウロとバルナバは、やるべきことを果たしてアンテオケに戻り、伝道旅行の報告をした。その報告は、二人がしたことと言うより、「神が彼らとともにいて行われたすべてのこと」であり、一番のことは「異邦人にも信仰の門を開いてくださったこと」であった。(24〜27節)
3、パウロが勧めたのは、主イエスをキリストと信じる弟子たちには、天の御国に入る望みに生きる幸いがあるとしても、この地上では、「多くの苦しみをへなければならない」と、ズバリ覚悟についてであった。パウロ自身が迫害され、いのちの危険にさらされながら伝道していたのを、人々はよく知っていた。だからこそ、恐れて逃げ出すのでなく、「この信仰にとどまるように勧め」たのである。苦しみがあっても、その先にある報いは大きく、「神の国に入る」幸いは、何ものにも代え難いものである。この地上で報われずとも、天においての報いは、遥かに大きいこと、これが主イエスを信じる者に約束されていることなのである。この点で、聖書が教える救いは、世の多くの宗教が説く「現生利益」とは、全く違うものである。私たちは、そのことをはっきり覚えておかねばならない。主イエスは言われた。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」(ヨハネ14:1)「あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(同16:33)主イエスを信じて、罪を赦され、たましいの救いを得ること、これに勝るものはない。この信仰に生き抜くことができるように。
<結び> パウロは、新しく信仰に導かれた人々のために、自分のいのちの危険を厭わず、常に全力で歩んでいた。人々の信仰が保たれるように、また豊かに育まれるように、心から願い、労していた。彼は弟子となった人々に言葉をかけて励まし、その上で、「教会ごとに長老を選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」長老を選ぶことには、「手を挙げて選ぶ」という意味があった。選挙による長老選出の形を取り、そのようにして、群れを「主にゆだねた」後、次の町に向かったのである。今日、私たちが行う長老政治による教会の在り方の元が、この時行われていたと考えられている。形に幾らかの違いがあるとしても、教会には長老が立てられ、その群れの全体は、今も「主にゆだねられた」ものとして、主の御手に支えられて歩み続けている。そこに私たち人間が、それぞれの役割を担いながら関わっている。一人一人、時に、不完全で、不十分なことしかできず、また多くの苦難に直面して、行き詰まることがあっても、それでも、主ご自身が私たちとともにおられ、事を成して下さるのが教会である。必ず恵みを注いで、教会としての務めを果たさせて下さるに違いない。パウロたちは、それから「かなり長い期間弟子たちとともにいた」と記されている。(28節)シリヤのアンテオケにて、しばらくそこにいて、福音宣教に携わっていた。私たちの教会は、この所沢の地で、「多くの苦しみを経なければならない」としても、それを耐え忍び、やがての天の御国を仰ぎ見て、教会の務めを果たさせていただいているのである。天の御国での救いの完成を望み見て!(ペテロ第一1:7-9)
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