礼拝説教要旨(2015.12.27)   
救い主の誕生 =喜びの知らせ=
(ルカ 2:1〜21)
 
 救い主の誕生という喜びの知らせは、野原にいた羊飼いたちに届けられていた。その同じ喜びの知らせは、私たちにも届けられた。私たちは、「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました」との知らせを、私に届けられたものと、しっかり聞くことができたであろうか。今朝のこの礼拝においても、クリスマスの喜びの出来事を覚えながら、聖書に耳を傾けたい。救い主の誕生から時間は経過しているが、それに引き続く出来事として、ルカの福音書はイエスが十二歳になった時、エルサレムの宮であったことを記している。

1、イエスの生涯について、誕生のことを記すのは、マタイとルカの福音書の二つである。どちらも誕生直後に何があったのか、幾らかは記すものの、その後にどのような日々を過ごしたのか、ほとんど触れていない。およそ三十歳になって、公の生涯を歩み始めるまでのことで、ただ一つ記されているのが今朝の個所である。ルカの福音書は、クリスマスの出来事の締めくくりとして、エルサレムの宮で少年イエスが何をされたか、そして、その後どのように歩まれたのかを、成長とともに、知恵に満ちて行かれたこと、神に愛され、人にも愛されておられたことと書き記している。マリヤとヨセフは、幼子イエスを連れてナザレに帰り、ヨセフは大工として働いていた。二人は神を恐れ、敬虔な信仰者として歩んでいた。毎年、過越の祭りにはエルサレムに上り、神に礼拝をささげていた。宮でいけにをささげ、神を礼拝するには、過越の祭りの七日間と、それに続く八日ほどの日々、エルサレムに留まる必要があった。通常、町や村から一団となって都上りするので、十二歳になったイエスも、他の人々とともにその一行に加わっていた。ユダヤ人の社会では、十三歳で成人と見なされるので、その年のエルサレム行きは、イエスとその家族にとっては、特別な時、意味のあるエルサレム行きであったと考えられる。(39〜42節)

2、心配なことが起こったのは、「祭りの期間を過ごしてから、帰路についた」時のことであった。「少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。」マリヤとヨセフは、ナザレからの一行の中にイエスもいるものと思い込んで、一日の道のりを行き、それから捜し回り、とうとうエルサレムまで引き返した。「そしてようやく三日の後、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。」その様子に驚いたのは、マリヤとヨセフであった。母マリヤは、こんなにも心配したのに、一体、あなたは何とも思わないのですか・・・とばかり、「父上も私も、心配してあなたを捜し回ったのです」と、告げていた。イエスご自身は、全く冷静であった。「どうしてわたしをお捜しなったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存知なかったのですか。」マリヤが「父上も私も」と言ったのに対して、イエスご自身は「わたしが必ず自分の父の家にいる」と告げておられた。エルサレムの「宮=神殿」は「父の家」である、と認識しておられた。自分は、ずっと自分のいるべき所にいて、そこで教師たちから、父なる神の教えを聞いていた・・・と仰っていたのである。少年イエスは、父なる神とご自分との関係について、明確な理解を示しておられた。神を知り、自分を知ることの、肝心な知恵を十分に身に着けておられた。(43〜49節)

3、マリヤとヨセフは、事の真相を理解できないまま戸惑っていた。けれども、イエスご自身は、そんな二人に対して、自ら仕えることを選び取られた。エルサレムの宮に留まると言い張るのではなく、「いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。」(50〜51節)少年イエスは、ご自分が「神の子」であることを、はっきり理解しおられた。けれども、時が来るまで、自ら進んで両親に仕えることを、喜んでそのようにしようとされたのである。母マリヤは「これらのことをみな、心に留めておいた。」彼女は、事柄を十分に分からないままであったが、しっかり「心に留める」ことができた。母マリヤの証言をもとにして、福音書記者のルカは、十二歳の少年イエスについて記そうとした時、イエスの確かな知恵に驚いたに違いなかった。それで幼子イエスの成長について、「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちていった。神の恵みがその上にあった」と記し、更に「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された」と、イエスの知恵に焦点を当てたのである。その「知恵」とは、自分と神との関係を知る確かな知恵であった。それは「主を恐れることは知識の初めである」、また「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである」と言われる、人としての一番大事な知恵のことである。(箴言1:7、9:10)

<結び> 生ける神を父として仰ぐ「知恵」、その知恵を十二歳にして、はっきり身に着けておられたのが少年イエスである。また、そのイエスが、神であることを振りかざすのではなく、人としてお生まれになったことを忘れずに、時が来るまでは「両親に仕えられた」と言うのが、今朝の聖書個所の中心である。私たちは、何を、どのように学ぶべきであろうか。先ずは、神を神として仰ぐ知恵、または知識を得ているのか、そのことが問われている。どんなに多くのことを知ったとしても、天と地を造られた神を恐れることがなければ、私たちの人生は空しいものとなる。神によって造られた私たち人間は、神との関係をはっきりと認め、神によって生かされていることを知ることがないなら、自分を正しく見つめることはできないからである。

 その上で、イエスが「仕える」ことを選び取られたことを、自分の課題とすること、それが何に増しても大事なことである。イエスが「仕える」者として歩まれたのは、十字架の死に至るまでのことであった。もちろん、復活後も、天に昇られた後も、今に至るまで、「仕える者」として歩んでおられる。イエスを信じ、イエスに従う者は、その歩みに習うように勧められているのである。「仕える」ことは、もともと仕えるベキ者が仕えることを言うのではなく、神の子が人となって「仕える者となられた」ことを覚えて、私たちも、「仕える者となる」かどうか、それが肝心なことである。自ら進んでへりくだること、強いられてするのでなく、愛をもって人に仕えることである。少年イエスの知恵、そして、両親に仕えられたそのお姿、それは私たちが見習うべき、大事な生き方を示しているものなのである。私たちが日々、どのように生きているのかが問われている。