礼拝説教要旨(2015.11.29)   
キリスト者と呼ばれる人々
(使徒の働き11:19~26)

 カイザリヤの町で、コルネリオの家族の他、異邦人たちがこぞってイエスをキリストと信じる信仰に導かれたことは、その後の教会の歩みを大きく転換する、大切な出来事であった。天と地を造られた真の神の救いのご計画は、ユダヤ人や異邦人の区別なく、全世界の人々に及ぶものであって、主イエスをキリストと信じる人には、罪の赦しが与えられ、永遠のいのちが与えられるのである。人に求められているのは、自分の罪を認めて悔い改め、十字架のイエスを仰ぎ見ることである。いのちに至る悔い改めこそが求められていたのである。

1、異邦人たちも聖霊を受け、水によるバプテスマ(洗礼)を受け、確かにイエスの弟子として歩み始めたことは、その後の教会の歩みを大いに刺激していた。すなわち、迫害によって散らされていた人々を、大いに勇気づけた。散らされていた人々は、更に北へ北へと進み、地中海沿岸のフェニキヤ地方からキプロス島にまで渡ったり、シリヤのアンテオケという大都市にまで進んでいた。このアンテオケは、ローマ、アレキサンドリヤに次ぐ大都市の一つで、当時五十万人が住むほどの国際都市、地中海沿岸からは約二十数㎞入った、オロンテス川の河口に位置した交通の要所であった。シリヤの首都であり、人の行き来が盛んな町と言えば、当然のように物質的な繁栄とともに、道徳的な頽廃が付きまとう、そんな問題の多い都会であった。けれども、そのような町にこそ福音は必要であった。そして事実として、イエス・キリストの福音、たましいの救いをもたらすよき知らせは、そこに住む人々に届けられたのである。散らされた人々が、勇気をもって、ユダヤ人以外の人々、外国の人々にも主イエスのことを宣べ伝え始めた。それまでは、先ずはユダヤ人にという思いがあった。彼らは旧約聖書のことを知っていたからである。しかし、ここに至って、聖書を知らない人々にも語りかけ、イエスのことを証しした。(19~20節)

2、新しい展開を始めたのが、キプロス人やクレネ人の幾人かであったと記されている。彼らは、アンテオケに来てから、自分たちの周りにギリシャ人が多くいることに気づいたのに違いない。ギリシャ語を話すユダヤ人ではなく、異邦人であるギリシャ人である。そのような中で、少しでもイエスのことに興味を示す人が見つかったなら、時を逃さず語ろうを心掛けたのであろう。するとその証しを主が用いて下さり、たちまち、その働きは実を結んだ。「そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。」(21節)主イエスのことを、ユダヤ人以外の人々にも語ってみようと思った幾人かの弟子たちは、特別に知恵があり勇気があったのだろうか。そうではなく、彼らは、そこに住む人々の必要に心を動かされたのであろう。大都会に住む人々の多くは、どんなに物で満たされても、心は激しく飢え渇いていることがある。そのような人々にこそ、福音を届けたいと思い、そのようにしたのである。主イエスは、その町で自ら働いておられた。驚くほどの勢いで、主に立ち返る人々が起こされた。アンテオケ教会の成立である。その知らせは、ほどなくしてエルサレムに届いた。(22節)

3、エルサレムでは、新しい教会が次々と生まれ、異邦人の世界に拡がることが大きな喜びとなっていた。と同時に、新しい群れがどのように歩んでいるのか、実情を知ることが大切な務めとなっていた。ペテロはサマリヤに行ったり、ルダやヨッパを巡回し、カイザリヤにまで出かけていた。今度は、バルナバをアンテオケに遣わすことになった。彼はサウロを引き受けて、使徒たちとの仲立ちをしたり、異邦人社会のことに通じていたようで、アンテオケ視察の適任者であった。「慰めの子」と呼ばれるバルナバこそ、こうした展開の時にぴったりであった。アンテオケに着いた彼は、「神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまるようにと励ました。」神が生きて働いておられることを、はっきりと見ることができたからである。また彼は、聖霊に満ちた人で、その働きが主によって用いられ、アンテオケの教会は、益々発展することになった。(23~24節)その時、彼が考えたのは、サウロを呼んで、サウロとともに、このアンテオケ教会で仕えようということであった。異邦人が救いに導かれていた教会に必要なのは、あのサウロであると、彼は確信していた。それは、神ご自身のご計画であった。主なる神は、バルナバとサウロを用いて、ご自身の業を進めようとされた。(25~26節)

<結び> バルナバとサウロが、一年に渡ってアンテオケで労したことは、世界中に福音が宣べ伝えられることになる、大きな一歩として、殊のほか大事な出来事であった。このアンテオケで、初めて主の弟子たちは「キリスト者と呼ばれるようになった。」彼らは、何かと事あるごとに、「キリスト、キリスト・・・」と、声に出していたからであろう。教会の外の人々が、「彼らはキリストに着く者」「キリストの輩」、あるいは「キリスト党の者」と呼ぶようになった。それ位に、自分たちは「キリストに依り頼んでいる」と、彼らの覚悟が人々の目に映っていた。その証しがあって、教会は前進していた。弟子たちが、主イエスの十字架の御業を喜び、また復活のいのちに与って生きる幸いを、生き生きと証ししていたのに違いない。賛美の歌声が外にも聞こえ、教会の群れの中に自分も加わりたいと、教会の外にいる人々が思っていた・・・というのが、アンテオケ教会の姿であった。

 そう思うと、私たちの教会もぜひ、そのような証しが導かれるように祈りたい。自分から「私はクリスチャンです・・・」と、なかなか言えないと、嘆くことがあるかもしれない。けれども、私たちは、自分から言う、言わないに関係なく、キリストにあって、喜びと感謝をもって生きているかどうか、それが一番大事である。私たちが日々、どのように生きているか、その生き様を、主が見ておられるわけであり、また人々が見ていることを覚えたい。すなわち、主イエスをキリストと信じているなら、主の日に礼拝に集い、また日々、主を仰いで祈りつつ、自分の務めを果たしていること、それが大事と心したい。とりわけ目立つことなどは、全くいらず、神を信じて、神を恐れて生きること、そのような証しを導かれたい。(マタイ5:13-16)