知恵と御霊によって語ったステパノは、捕えられ議会へと引き立てられた。けれども、決して動揺することなく、裁きの場に立っていた。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。・・・」(6:13)と、偽りの証人たちの訴えによって責め立てられても心は静かで、彼の弁明は、アブラハムからのイスラエル民族の歴史をたどる、神と神の民の関係を説き明かすものであった。神と神の民イスラエルは、一体何によって結びついているのか、「聖なる所」としての神殿が、果たして、どれだけ重要なのか、信仰の本質は何なのかを、そこにいる人々に問う内容であった。
1、大祭司の問い掛けに、ステパノはためらうことなく答え始めた。アブラハムがその故郷を離れたのは、栄光の神の約束に従ってのことであった。カルデヤのウルを出て、ハランに住み、更にカナンを目指したのは、神の召しによることであり、神の約束を信じての旅を、アブラハムは迷わずに続けた。神の命令は、「あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け」であった。(1〜5節、創世記11:31、12:1-7)その命令に従い、確かに、約束の地カナンに移り住むことになったが、現実は厳しかった。アブラハムには子どもがなく、子どもが生まれると期待することもできない状態で、なお神の約束を信じることを求められる、そんな苦悩の日々を過ごしていた時、彼の子孫が他国に移住すること、そこで四百年もの間苦悩することが告げられ、その後、約束の地に戻ると告げられるのであった。(6〜8節、創世記15:1-21)アブラハムは、ほとんど確かなものを見ることなく、ただ神の約束を信じて従っていた。ステパノは、そのことに気づいたのである。アブラハムの信仰、それは、神の約束を信じ切る、真に単純な信仰そのものである・・・と。そのアブラハムに、神は割礼の契約を与え、やがてイサクが生まれ、ヤコブが生まれ、子孫が徐々に増やされることになった。神の民の歩みは、神の恵みの御手の中で、その営みが淡々となされるものであり、その視点を見失ってはならない。(創世記17:1-21、18:1-18、21:1-7)
2、「彼の子孫は外国に移り住み・・・」との予告は、ヤコブの子ヨセフがエジプトに売られることから、現実となって行った。一つの不幸がそのまま続くのではなく、試練を経て、確かな祝福へと民を導かれる神のご計画が、背後に隠されていた。ヨセフはエジプトで大臣となり、父ヤコブの家族をエジプトに呼び寄せ、飢饉の時にも、神の民イスラエルは十分に養われ、異国にあって、民族としての形を整えることが導かれるのであった。(創世記37:1-36、41:1-50:26)ところが、その民族としてのまとまりは、エジプトにヨセフのことを知らない王が着くことによって、脅かされることになった。(9〜18節)神のご計画は、やがて神の民イスラエルをエジプトから導き出すことであったが、その時まで、民はエジプトで苦悩することになる。(出エジプト1:1-22)ステパノは、そのような時にモーセが生まれたと語る。エジプトの王の命令は、イスラエルの民の家に、男の子が生まれたなら、その子を生かしておいてはならないというものであった。けれども、モーセが生まれた時、両親はその麗しさのゆえに、生かし続け、ついに川に流し、パロの娘に育てられることになった。神の不思議な御手が働き、このモーセは生かされ、神のための器として整えられるのである。(19〜22節、出エジプト2:1-10)
3、ステパノは、このモーセの生涯に関して、神の不思議なご計画のあることを、はっきりと見出していた。誕生そのものが神のご計画の中にあり、生まれた男の子を「神の目にかなった、かわいい子」と受け止める両親がいた。王を恐れず、その子を生かして育てる両親は、神を信じていたからこそ、人を恐れることがなかったのである。神は、そのモーセをパロの娘の子として育てる道を備え、万全の守りを保障し、学問も十分に受けられるようにされた。それら全て、不思議なことばかりである。そのモーセが四十歳になった時、転機が訪れるのであった。イスラエルの民の一人としての自覚から、決断して、行動を起こしたが、それは民の理解を得ることができず、彼は失意の内に、ミデアンの地に身を寄せた。確かに、はっきりとした使命の自覚があり、そのことを行動に起こした。けれども、民は受け入れなかった。モーセ個人のことで言えば、神が定めておられる時は、まだ来ていなかったのである。(23〜29節、出エジプト2:11-25)ステパノがこのことを語った思いには、神が立てておられる救いの器を、同じように退けた人々がいたことを暗示しようともしていた。すなわち、イエスを十字架に付けて退けた人々のことを、モーセに重ねていた。事実、モーセの生涯には、キリストのひな型の意味があったからである。
<結び> ステパノの弁明、また説教は、淡々と語るイスラエルの民の歴史であったが、そこここに、アブラハムの信仰は、神の約束を信じ切る信仰であって、この世で何かを報われることを願ったものではなかったこと、むしろ、この世では、報われることは何もなかった・・・と、そのように告げるものであった。その信仰がモーセにも受け継がれ、モーセを通して、神が民を救い出して下さる筈が、一度は退けるなど、自分勝手な信仰に民は陥っていることも指摘する。すなわち、旧約聖書を通して、神が人に教えておられる信仰は、目には見えない神を、心から信じることであり、神の約束を心から信じて従うこと、この世で報われることではなく、天の御国をはるかに望み見る信仰こそが、本物の信仰であるということである。ステパノは、そのことに気づいていたので、人々から猛反発を受けていたのである。
ユダヤ人の指導者たちをはじめ、人々は、結局、この世で報われること、地位や名誉を約束されることを求めていたので、十字架で死なれたイエス、その死からよみがえったイエスをキリストと信じることなど、絶対に認められないと、猛反発したのである。この世が全てと考えるのか、それとも、この世では報われずとも、天においての祝福が約束されていることを、心から信じるかどうか、そのことにかかっていた。アブラハムの信仰に倣うことを、この世で報われることと考えるのか、それとも、約束は天において果たされることと信じて、地上の生涯を生き抜くのか、その違いは、途方もなく大きい。私たちの信仰は、果たしてどのようのものなのか、大いに問われることになるのである。
(ヘブル11:13-16)
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