礼拝説教要旨(2014.11.23) 
鎖につながれ…―福音の前進―
(ピリピ1:12〜14 高木 実 教師候補者)

 私はKGK(キリスト者学生会)という学生伝道団体で、総主事として全体の責任を担わせて頂いています。KGKは、IFESという国際的な福音主義の学生伝道団体にも加盟していまして、先月(2014年10月8-12日)、東アジア地区の総主義会議(RSG)が「ある国」において開催され、それに出席してきました。
 「ある国」とあえて言いましたのは、それなりの事情がありまして、そのIFESの国際的な大会などでは、幾つかの国のことを、配布資料や公で表記したりインフォメーションする際には、その国名ではなく、「ムーブメントA」とか「ムーブメントB」とか「?C」とか、アルファベットで暗号のように表現しています。そして、それらの国の兄弟姉妹たちと写真を撮っても、彼らの写った写真をfacebookやネット上に上げないように、との注意や指示も受けます。そうでないと、その人たちの立場が困難な状況に追いやられる可能性が予想されるからです。
 今回の開催国であった「ある国」というのも、そのうちの一つの国でした。そして、その会議の4日目、実質的には最後の一日に当たりましたが、その朝の御言葉の奨励が丁度終わって、いよいよ今日の会議が始まったというところに、その国の警察と日本でいう公安警察でしょうか、さらに入国管理局の役人たち、私服と制服と合わせて20名近くが踏み込んできました。これは只事ではないことになったぞ…と思い、その日の深夜のフライトで帰国することになっていましたので、果たして、それで帰れるのだろうか?…とちょっと不安にもなりました。
 一人の制服を着た役人は、ビデオカメラをずっと回しながら、私たち一人一人の顔を写し続けていましたし、一人一人、持ち物検査や事情聴取のような取り調べが始まり、さらにはそれぞれの宿泊室にまで行って、家宅捜索のようにクローゼットの扉や引き出しや、スーツケースの中まで開けさせられて、書類とか本とか聖書とか、没収される始末です。一時的ではありましたが、ノートパソコンや携帯電話まで没収されるような状況もありました。これを取り上げられたら、説教原稿なども全部入っていますし、その段階での最新のバックアップを取っていませんでしたので、どうしよう?…仕事ができなくなる…と心配になりました。今のうちにこっそりUSBメモリーにバックアップを取ろうか?…見つかって、変に隠蔽工作したと判断されて、余計にややこしいことになっても大変だし、どうしよう?…と随分と迷いました。

 只事ではないにしても、私たちも内なる平安を頂いて、淡々として、時には和気藹々として、その時間を共有していましたが、その国の総主事が私たちの権利を守ろうとしてくれたのだと思いますが、何かを主張した途端、相手側のトップと思われる私服の刑事が、急に激昂して怒鳴り始めて、一気に緊迫した雰囲気になりました。そんなことが4時間半ほど続いて、午後2時半になってやっと昼食をとることが許されました。しかし次は、さらに入国管理局の役所にまで連れて行かれ、調書までとられました。そして最後には、椅子に座らされて、犯罪者のように写真を撮られました。
  そのような扱いを受けたのは、宗教上の理由からかと思いましたが、そうではなく政治的な理由とのことでした。その国のKGKのような学生伝道団体が、普段から信仰の自由を求め、民主化を求めて訴えていることから、反国家的、反政府的、反社会的な反逆的な団体と見做され、警戒されていました。そのため、その団体がホストとして開催している、この国際的な会議も反政府的、反社会的な違法な集会と見做された、ということでした。本来なら罰金も課せられるような事柄とのことでしたが、それは「免除してやる」とのことでした。
 こんな貴重な経験をさせて頂いて、しかも、その国の主にある兄弟姉妹たちと、ほんの少しかも知れませんが、その国の困難な現実を共有させて頂けたことを、大きな特権として光栄にさえ思いました。そんな経験をしたばかりの者として、やはり、このことは何らかの形でお分かちしたいと思い、なお学生伝道に携わる者として、今日のピリピ書1章12節から14節の御言葉から、「福音の前進」ということについて、ともに考えたいと思っています。
 パウロは、この12節で「私の身に起こったことが、むしろ福音の前進に役立つようになったことを、あなたがたに知ってもらいたい。」(口語訳)と言っていますが、その結果のうちの一つが13節…。そして、もう一つの結果が14節ということになります。まず初めに13節の一つ目の結果について、共に考えてみたいと思います。
●第一の結果  <「私の身に起こったこと」>
 さて、この「私の身に起こったこと」というのは、どんなことか?それは、「投獄」(13、14)ということです。確かにパウロは、随分前から、「囚われの身」であったことは、ピリピの人々にも知られていましたが、それよりも状況がさらに悪化したように思われます。
 例えば、使徒の働き28章16節などを見ますと「私たちがローマに入ると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された。」(使徒28:16)さらに、30、31節には「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(使徒28:30〜31)とあります。これらのことからすると、パウロは「囚われの身」とは言え、自分で家を借りて、比較的自由な待遇を受けていたことが分かります。これも、パウロがローマ市民権を持っていたが故であった、と思います。
 時間的な前後関係を言いますと、このような使徒の働きの記事は、このピリピ書が書かれる前のことです。ところが、このピリピ書を書いているこの時は、そういう優遇措置も取り去られて、今や獄中に拘留されている。ですから、このピリピ書の中の所々には、死の危険が自分の身に迫っていることを感じて、それを意識しているパウロの姿を読み取ることができます。
 このような状況の変化は、パウロの境遇を、どれほど侵害したことでしょうか。自分の借家での軟禁状態と、「投獄」されての獄中とでは、勿論、格段の違いがあったはずです。パウロの年老いた体には、特に冬にでもなれば、やはり相当に厳しいものがあったのではないか、と思うのです。ところが、パウロはここで少しも自分の苦労をほのめかすかのように、苦情や苦労話で訴えたりはしていないのです。むしろ、不自由な身ではありながらも、その獄中にあってこそ、主なるイエス・キリストに思いを馳せたのではないでしょうか…。この主なる永遠の神、御子なるキリストが、この手紙の2章6節以下に描かれているように、ご自分を卑しくし、人となられるほどに、ご自分を低くされた…ということに思いを馳せ、今こうして不当なことであるとは言え。自分が獄に繋がれていることなどは、なお勿体ないことだ…自らを奮い立たせたのではないでしょうか。
<「福音を前進させることに」>
 さて、私たちがもしパウロのような立場に置かれていたとしたら、どうでしょうか。どのようなことを手紙に書くでしょうか。きっと私なら、自分の置かれている状況の困難さ、それに伴う苦労の数々を事細かに書き列ねるのではないか、と思います。「自分はこんなに困難な状況の中で、こんなに苦労しているんだ」とばかりに…。しかも、それを書いているうちに、段々と表現が大袈裟になってきて、自分でも「これは事実よりも、少し大袈裟過ぎたかな?」と思いつつも、「まあ、嘘にならない程度なら…」と。あたかも、少しでも多くの同情を得て、「本当に大変ですね」と言ってもらいたいかのように…。

 しかし、パウロという人物は、違うのです。パウロにとっての唯一の関心は、自分がどうのこうの…ということではなくて、むしろ「福音の前進」ということなのです。だから、パウロは言うのです。12節。「さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたい(と思います)。」これは、この後「私にとって、生きることはキリスト。死ぬこともまた益です。」と告白するパウロだからこそ言えた言葉ではなかったでしょうか。 状況はどう見ても、悪化した、としか見えない訳です。それまでのパウロなら、「囚われの身」とはいえ、使徒の働きの最後を見たように「自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」(使徒28:30〜31)訳です。
 ところが今は、「妨げられることなく」どころか、自由を奪われ「投獄」されている…。このことは、福音宣教にとっては「状況悪化」としか思えない訳です。ところが、パウロは言います。 「私の身に起こった事が、むしろ福音の前進に役立つようになった」(協会訳)と。 なぜでしょうか?その理由が13節に示されています。「私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかに」なったからです。
 この厳しい状況の中でも、新しい予期しない伝道の可能性が、そこにあった…という訳です。つまり、ローマの兵士「親衛隊の全員」に福音が広まる可能性です。しかも、この「親衛隊」というのは、ローマ軍の中でも、非常に洗練された「プライトーリオン」と呼ばれる軍隊だったそうです。ですから、このパウロの「投獄」があったからこそ、このような階層の人々にも、福音が宣べ伝えられる、という道が開けた…。計らずも、そんな結果を生み出した。これこそ、まさに「福音の前進だ!」と。
<法然、土佐流刑>
 さて、ところは日本に移って、時は1207年のこと、仏教界の偉大な聖人のひとり、法然…。彼は75歳の老齢にして、四国の土佐に流刑を宣告され、島流しに遇うことになります。そのことを、法然はこのように言ったとのことです。
「前々から、私はへんぴな地方にも伝道したいと願っていた。それを、このたびの土佐流刑という機縁によって、はたすことができる。これこそお恵みというべきだ!」
 実に、このように言って喜んだ…というのです。(クリスチャン新聞福音版クリスマス特別号 他山の石(45)「憂うべきは」小畑進)こんなエピソードからも、この法然という人物も、宗教家として非常に立派な人であったことが十分に伺われます。
 パウロもまた、自分が投獄されたことを通して、「親衛隊」の兵士たちにも、福音が証される道が開けた…と喜んでいるのです。 「兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたい…。」 このようにパウロが訴えたのは、法然より1100年も前のことでした。
<鎖(ハリュシス)>
 さて、パウロは、自分の「投獄」を、しばしば「鎖につながれている」(使徒28:20、エペソ6:20)と表現しています。「鎖につながれている」などと聞くと、足首や手首が、太い鎖でジャラジャラとつながれていて、その先は真っ黒い大きな鉄の玉につながれている…そのようなイメージを持つかも知れませんが、必ずしもそうではないようです。
 ある注解者によると、この「鎖(ハリュシス)」というのは、短い鎖のことで、囚人と見張りの兵士の手首を繋ぐのに使われた手錠のようなもの、とのことです。そして、パウロには、昼も夜も、見張りの兵士がつけられ、四六時中、パウロの手首は、兵士の手首と「鎖」によって繋がれていた…ということです。勿論、この見張りの兵士たちは、次から次へと交替していきます。そうすると、どうなるでしょうか。何年かの間に、兵士たちは一人一人交替で、パウロを見張る役目につくことになります。これは、まさに絶好のチャンスでは、ないでしょうか。明らかにパウロは他の囚人たちとは違っていたはずです。
 私たちも、「あの国」で入国管理局に連れて行かれる時も、行きの車の中では、「昨日に続いて今日もアウティングだ!ワオー!」などと言って盛り上がって、到着してからも全員で「グループ・フォト(集合写真を撮ろう)!」などと言って楽しげにしていました。本当は、そこは撮影禁止の場所で、役人からは「ノー・フォト!」と窘められ、「ソーリー、ソーリー」とみんな笑顔で答えているような始末です。「本当は罰金を課してもいいのだが、態度がよいので罰金は免除してやる」と恩着せがましいことを言っていましたが、勿論、私たちは普通の犯罪者とは違う、という印象を与えていたようです。
 パウロは獄中の身でありながら、この手紙、獄中書簡であるピリピ書が「喜びの書」と言われているように、彼の生活には喜びと希望に満ちあふれていました。そして、「私にとって、生きることはキリスト…」と言い得たパウロです。そのようなパウロの姿を見て、「あなた(がた)のうちにある希望について」…それは一体何なのか?…と「説明を求める」ような兵士も、きっといたことと思います。
 第一ペテロ3章14節、15節には、次のようにあります。
「いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも弁明できる用意をしておきなさい。」
 勿論、パウロも、そのような求めに応えて「弁明できる用意」ができていた人物でした。そして、これらの兵士たちは、パウロから福音のメッセージを直接聞き、そして、さらに彼の生きた証の生活というものを、まさに身近で目のあたりにした訳です。その中のある者は、パウロの生きざまに、共感を覚え、さらにパウロの語るキリストについてのメッセージに心打たれ、そして、救いを求めていったのではないでしょうか。

 1993年8月、IFES(国際福音主義学生連盟)の東アジア地区大会が台湾で開かれましたが、それに私も参加しました。その大会のメインスピーカーの一人で「あの国」の先生がおられましたが、その先生のお証は大変印象深いものでした。この方は福音のために6年6カ月と10日の間、パウロのように投獄されていましたが、後に国外追放ということで、その当時はアメリカに在住していました。この方がこう言っていました。 「投獄される前から、週に一回、囚人への伝道のために刑務所を尋ねていた。けれども、自分も囚人になってからは、週に一回どころか、七日間丸々、24時間中、刑務所の中で伝道できるようになった。」
 ここにもパウロと同じ様な宣教のスピリットを持って、その様に生きた人が実際にいる…と思い、非常に感動しました。この先生は、自由の身にしておけば、どんどん伝道してクリスチャンを大勢作ってしまう…。投獄しても刑務所でどんどん伝道して、やはり多くの囚人をクリスチャンにしてしまう…ということで、当局は困り果てた末に、国外追放にした訳です。 今回の「あの国」への訪問の際に、Tさんという方の家に招かれ、「あの国」の学生伝道の歴史的な話を伺う機会がありましたが、その中でも、この先生の写真と話が出て来て、感慨深い思いがしました。
<「犯罪者のようにつながれ」>
 パウロはテモテへの第二の手紙2章9節で、このように言っています。「私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。」(2テモテ2:9)まさに、この御言葉の通りです。パウロは、先程も見たように確かに比較的自由であった状態から、さらに厳しい制約の中に入れられました。パウロは投獄されていましたし、「鎖」という制約の中に、縛られています。「しかし、神のことばは、つながれてはいません。」(2テモテ2:9)

<適用>
 私たちも、生きていく現実の中で、様々な制約があると思います。比較的、自由だ…と言われている大学生ですら、やはり、それなりの「制約」というものがあります。卒業して就職してみると、当然のことながら学生時代のようには、自分の自由になる時間がそれほど沢山ある訳ではなく、教会の奉仕をする時間も、集会に出る時間も、ゆっくり神様との交わりを味わう時間も、なかなか確保することができない…というのが現状ではないか、と思います。
 実際、私たちの回りには、色々な制約があって、なかなか思うようには、うまくいかない…という現実があるのも事実です。しかし、これらのことが、単なる口実に使われてはいないだろうか…。「これこれ、然々(シカジカ)という制約が、自分にはある…だから自分にはできない」と…。
 しかし、ここで私たちは、パウロの姿勢から学ぶべきところがある、と思います。パウロにも「獄中」という大きな「制約」「制限」がありました。「あの国」の主にある兄弟姉妹たちにも大きな「制約」「制限」があります。それこそ私たちの「制約」なんかとは、比べものにならない程の、大きな「制約」です。しかし、パウロは、その獄中の中でこそ、結び付けられている兵士たちに…事実、「鎖」で四六時中、結び付けられていたようですが、その彼らに、キリストを証していった…ということです。
 私たちにも、現実の中で様々な制約があります。しかし、その制約の中だからこそ、鎖で結び付けられているような人間関係があるのではないでしょうか。特に家族への伝道ということを考えると、私たちの信仰に反対している家族がいるかも知れません。同じ職場の同僚、上司、部下…等など。これらの人々には、言葉だけではなく、生活を通しても証しなくては、通用しませんが、それを逆に考えれば、そのような証ができる可能性がある訳です。そして、そういう中でこそ、人格的な信頼関係の中で、決して一方通行ではない、生きた証と伝道ができるのではないでしょうか。
 このように考えると、伝道あるいはキリストを証するということは「暇がない、忙しい、様々な束縛と制約がある…だからできない!」というようなものではない、ということです。それとは逆に「暇で、時間があって、自由ならできる」というものでも決してない…ということです。ですから、伝道するために、いろいろな制約や束縛から、開放されることばかりを、必ずしも求める必要はない…ということです。 「あの国」の兄弟姉妹たちは、勿論、信仰の自由を求めています。しかし、その信仰の自由を求めて、外国に出て行こうとはしていないのです。むしろ信仰に制約をかけてくる自分の国に遣わされていることを受けとめて、そこで福音に生きているのです。 そのように、むしろ束縛と思われるものを、逆手にとって、その制約の中でこそ、結び付けられている人間関係の中で、粘り強く、地道に証していくことの方が大事なのだと、思います。
 私も学生時代に、大教室で学内KGKの特別集会の案内チラシを配って、さらに教壇に立って「聴いてくださ?い!キリスト教特別講演会をしま?す。ぜひ来てくださ?い!」とのアナウンスを散々させられました(?)。しかし、その後に先輩から「こんなことをいくらしても、お前の語学クラスで隣に座った友人に、お前自身の証をしないなら、全然意味がない。そっちの方がずっと大事なんだ!」とよく教え込まれたものでした。実際、大教室の教壇からアピールすることくらいは、多少の慣れと度胸、さらに羞恥心をちょっと脇に置いておければ、そんなに難しいことではありませんでした。一般企業や役所に入っても、隣に座る同じ職場の人に、自分の身をもって証をすることができる…そんな生涯に渡る姿勢を持ち続けるためにも、こういうことは欠かすことのできない大事な視点であろう、と思います。
 伝道というのは、自分のことが匿名ではいられない日常的な生活の場(まさに家庭や学校や職場)で、生き方全体を通して、地道に証していくことではないでしょうか。家庭で、学校(クラスやサークルの中)で、あるいは職場(バイト先)で、隣近所といった地域社会の中で…。少なくとも、今日の聖書箇所でのパウロの姿は、そのような伝道スピリットに満ちているような気がいたします。KGKでは、このような姿勢をKGKスピリットとして「全生活的証」などと呼んでいますが、学生たち一人一人が、このような伝道スピリットを持つ証人になるように啓発し、励ましている訳です。
 なぜ、こんなことに拘るのか?…と言いますと、日本の社会を考えると特に、卒業して社会に出てしまえば、学生時代以上に大きな制約と束縛を受ける訳です。勿論、職場で伝道集会をする等ということは、まず不可能なことです。そこで結び付けられている人間関係の中で、地道に証できなければ、伝道できない訳です。そこでは、まさに生活、生き方、生き様全体というものが問われる訳です。

 さて、私たち一人一人も、現実の生活の中で、様々な制約を受けます。しかし、今日は、その中だからこそ、鎖で結び付けられたような人間関係がある、ということ…そして、そのような人間関係を、神様が与えてくださっている、ということを、ぜひ覚えたいのです。そのような制約の中で、神様が与えてくださっている人間関係というのは、きっと神様が、この私の証を通して、その人たちに福音を知らせようと、ご計画なさってのことです。
 ポール・リトルという人(アメリカIVCF元副総主事)が「恐れずにあかしをするために」という書物の中で次のようにいっています。 「彼らにとって、私たちは神の王座から延ばされた鎖、また、神が信仰に導くための鎖の最後の環であるかもしれない。彼らは、神の和解のメッセージを語ることのできる人を私たち以外だれも知らないかもしれない。そのことは、とても神聖で厳粛な責任を伴う。」(p.43)
 ですから、パウロがそうであったように、私たちも、そのような中で、自分の生活(生き方、生き様)というものをもって、主を証していく者でありたい…と思わされます。
●第二の結果 <「主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るように」>
 さて、パウロは、このように自分が投獄されていることが、かえって「福音の前進」に役立っている、もう一つの第二の結果というものもありました。それが14節です。 「また、兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。」 パウロの投獄に伴って、教会のメンバー(兄弟姉妹たち)が恐れ、ひるむどころか、むしろ「主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るように」なった、と言うのです。普通なら、このような状況の変化の中では、気持ちが萎えて、恐れを覚えてしまうのが、当たり前ではないでしょうか。特にパウロと同じ信仰の(信奉)者として、迫害や弾圧という恐ろしい結果が自分の身の上にも降りかかって来ないとも限らない訳です。にもかかわらず、14節にあるように、主にある兄弟姉妹たちの多くは、パウロの投獄によって、むしろ「主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るように」なった、と言うのです。
その理由の一つとして、13節で語られていた事柄との関連で、パウロの投獄がかえって親衛隊の全員、および他のすべての人の中にも福音が伝えられる、という結果を生んだ…。このような不思議な主の摂理的な導きを見ることによって、「主にある確信」を得て、それ故に「恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るように」なった、ということも、十分に考えられることではないでしょうか。
<鎖につながれているパウロが…ましてや>
 あるいは、パウロの生きざまを目の当たりにして、ということです。つまり、ピリピ書執筆当時、パウロの身はローマの獄中にありましたから、ローマの教会の兄弟姉妹たちは、比較的近いところで、パウロの生きざまというものを知ることができました。兄弟姉妹たちは、我が身を振り返って、自らの姿、あり方というものを反省しつつ、こんな風に思ったのではないでしょうか。 「パウロ先生の置かれている状況を普通に考えたら、福音宣教に対する熱心を挫くような事柄ばかりではないか。
そのこと故に何もしなかったとしても、誰も非難なんかできやしないにもかかわらず、ますます勇敢に堂々と福音に生きておられる。また、熱心に、そして機会をとらえて、精力的に福音を語り続けておられる。先生が、あの厳しい状況の中にあっても、そうであるなら、ましてや自由の身である我々が、どうして「神のことばを語る」ことにおいて、怠っていて良いものだろうか。」
 主にある兄弟姉妹たちは、このように口々に言いながら、福音の御業に立ち上がっていったのではないでしょうか。つまり、パウロの生きざまが、身をもって示した良き模範となり、兄弟姉妹たちを励まし、信仰の確信と勇気を与え、周りの人々に信仰の連鎖反応を呼び起こしていった、ということではないでしょうか。

 私も今回の経験で似たようなことを思わされました。  「あの国の兄弟姉妹たちの置かれている状況を普通に考えたら、福音宣教に対する熱心を挫くような事柄ばかり。にもかかわらず、彼らはますます勇敢に堂々と福音に生きている。彼らが、あの厳しい状況の中にあっても、そうであるなら、ましてや自由の身である我々が、どうして「神のことばを語る」ことにおいて、怠っていて良いものだろうか。」

このようなことが私たちの上にも実現していく時、それこそ「福音の前進」というものが一歩、また一歩と推し進められていくのではないでしょうか。このことを私たちの置かれている教会あるいはKGKの交わりという現実、文脈(コンテキスト)の中で、適用して考えたい、と思います。