問73「第八戒は、どれですか。」答「第八戒はこれです。『あなたは盗んではならない。』」問74「第八戒では、何が求められていますか。」答「第八戒が求めている事は、私たち自身と他人との富や生活状態を正当に確保し、向上させることです。」そして、問75「第八戒では、何が禁じられていますか。」答「第八戒が禁じている事は、何事であれ私たち自身また隣人の富や生活状態を不当に妨げる事、あるいはその恐れのある事です。」第六戒は、いのちの尊さについて、第七戒は、結婚の秩序の神聖さについて、そして第八戒は、私たち人間がこの世で生活する上で、身の回りにある所有物など、富についての戒めである。神は、「あなたは盗んではならない」と、明確に命じておられる。
1、神が私たちに求めておられるのは、自分自身のことだけでなく、他の人の富や生活状況に関しても、「正当に確保し、向上させること」であり、それに反して「不当に妨げる事、あるいはその恐れのある事」は、神が禁じておられると、小教理問答は明言する。この戒めを理解するためにも、万物の創造者であられる神、万物の真の所有者は神ご自身であると、はっきり覚えることが肝心である。その神が人間に、「地を従えよ。・・・すべての生き物を支配せよ」と命じられた時、全地にあった草木を、食物として人間に与えて下さった。(創世記1:28-29)人間は、地を耕し、その収穫を富として蓄えることを、神に許され、神に見守られて今日に至っている。正当な働きを積み重ね、それによって富を蓄えること自体は、神が人間のために備えて下さった生きる道、そのものである。ところが、この事柄においても、神に背いた人間の罪の問題を、決して見過ごすことはできない。堕落によって、全ての物の真の所有者は神であることは、人間の思いの中から消え去ってしまった。この世で自分が得た富、財産と呼ぶ物は全て自分のもの、自分の思うように使えるものと、そう確信して止まない。それが、ほとんど全ての人の姿となっている。
2、「盗んではならない」と、はっきり戒められねばならないのは、堕落して罪の中に生まれてくる私たち人間が、物質的な欲に誘われ、絶えず富に惑わされ、心を許すと「盗み」を犯しかねない、そんな誘惑に直面させられているからである。正当に働き、それによって得たものを使って、生活を向上させ、神の祝福を喜んで生きるのが、人間にとって本当の幸いであるとしても、そのように生きることを、全ての人に行き渡らせるまで、現実の社会が整えられているとは、決して言えない。そのために苦しむ者、悩む者、逃げ出したいと思う者さえいる。それは、この日本の社会の問題に止まらずに、世界中で似たような状況がある。だからこそ神の戒めに耳を傾けることが、今こそ大事と思われる。神が一切の富の、真の所有者であられ、私たち人間は、その富を託され、これを治め、管理することを任されている。その尊い務めを、感謝をもって果たすことを求められている。そのことを思い新たにしたい。私たちは、何とかして「何事であれ私たち自身または隣人の富や生活状態を不当に妨げる事、あるいはその恐れのある事」から、必ず遠ざかることを導かれたい。
3、けれども、この第八戒においても、禁じられているのは「何事であれ・・・不当に妨げる事、あるいはその恐れのある事」と言われると、果たして私たちは、これを守りきれるのだろうか・・・と恐れを覚える。実際に物を盗むことがなくても、富や生活状態を「正当に確保し、向上させ」ているか、いやむしろ、「不当に妨げる事、あるいはその恐れのある事」が、思い当たるのではないか。「盗み」とは、「財産の不法な獲得のこと」と言われる。(「よくわかる教理と信仰生活」G.I.ウィリアムソン) 「@贈与として自分たちに与えられておらず、Aそれを労働によって手に入れようと何かをすることもなかった、のに我が物としてしまうことです」と指摘される。そのような悪は、「日常茶飯事」であり、「賭け事」も「怠惰」も、「浪費」も「詐欺」も、それらは、「盗み」そのものと数えられている。いかに手を抜いて、自分に都合よく富を得るのか、そのような誘惑が、有りとあらゆる仕方で迫っているのが、現実である。神を恐れることによってのみ、私たちは、この世の富の惑わしから解き放たれるのである。
<結び> 「盗んではならない」との第八戒を、心に刻んで歩むため、この戒めを守る者として生きるため、天地を造られた神、生ける真の神が万物の所有者であられることを、はっきりと心に留めたい。そうする時にのみ、私たちは、この世の富に惑わされない生き方が、本当の意味で可能となる。また私たちは、神が私たちの必要をご存知であること、その必要を必ず満たして下さっていること、そのことを覚えたい。(マタイ6:25-34)今、実際の生活において、どんな必要があるのか。神が、私たちの必要を満たして下さっていると知る心こそ、真に尊いものである。神にあって、満ち足りる心で生きるなら、私たちは、決して惑わされることはない。パウロの確信に満ちた言葉は、私たちに大切な真理を教えてくれる。「・・・私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなこともできるのです。」(ピリピ4:11-13)箴言の言葉も・・・。「二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で 私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ』と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。」(箴言30:7-9)
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