礼拝説教要旨(2014.05.04) =ウェストミンスター小教理問答<65><66>=
これは正しいことだからです
(マタイ 15:1〜9)

 一ヶ月前、十戒の第五戒、「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」を心に刻んだ。その時、世の中の秩序が乱れるのは、人が自分の立場を振りかざし、富を貪り、力を誇り、他を追い落とす争いが絶えないからと覚えた。その根本原因は、神を恐れることなく、自分の知恵と力に頼る、人間の愚かさにあるのでは・・・と。私たちは、どんなことがあっても、天地を造られた創造主である神を信じ、神の命令の一つ一つに、しっかり心を留め、それに心から従いたいと願っている。その思いをしっかり持って、ウェストミンスター小教理の学びに戻りたい。今年度も、主題聖句は「幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。」を掲げている。(詩篇119:1-2)その通りに歩めるよう、祈りつつ従いたいのである。

1、第五戒、「あなたの父と母を敬え」という戒めは、それに何を付け加えることがあるのか、と思うほどに明解である。全ての人にとって、あらゆる人間関係において、互いに相手を思いやり、尊重し、相手の名誉を守り、同時にこちらの側の義務を果たす、そうした全てのことが凝縮されている。それでも人は、なかなかその戒めを守らず、それに反することに心を動かされ易い。その姿を見透かすように、問答は続く。問65「第五戒では、何が禁じられていますか。」答「第五戒が禁じている事は、あらゆる人がそのいろいろの地位と関係において持つ名誉と義務を、無視したり、それに反する何かを行うことです。」世の中の現実は、余りにもしばしば、ここで禁じられていることが、実際に行われている・・・と、そんな思いに襲われる。これは自分自身に当てはまり、大いに反省するばかりである。他の人の名誉を重んじ、その人に従うより、ついつい批判的になり、正当な敬意を払うことを忘れている。無視することも、それに反する何かを行うことも、第五戒は禁じているのである。

2、神の戒めに対しては、それが聖なる神の戒めのゆえに正しいと、理屈抜きの正しさを認めなければならない。その視点を見失うと、私たち人間は、たちまち神の戒めを疎かにし始める。主イエスが、パリサイ人や律法学者たちを責めておられるのは、そのことである。(1〜3節)神の戒めよりも、人の教え、言い伝えを重んじ、それによって他の人を裁いていた。外出から帰った時の洗いの定めがきっかけであったが、主イエスは、第五戒に踏み込み、供え物に関しての言い伝えには、重大な誤りがあると指摘された。「これは供え物(コルバン)です」と誓うなら、その誓いは破れないとする教えが、当時の人々を縛っていた。誰かが自分の持っているパンを、「これは供え物です」誓ったなら、その人の両親が飢えても、その両親に与えてはならない・・・というのである。(4〜6節)主イエスは、神の戒めと人間の言い伝えが、逆転していると言われた。残念ながら、そのようなことはしばしば起こる。いずれも、神を恐れることを忘れ、人が自分を誇る時、知らずして「神のことばを無にしてしまう」のである。知らずしてならまだしも、知りながら、そのような過ちを犯しさえする。しかし、神の戒めこそ、人がこれに従うべき、確かな規準なのである。(7〜9節)

3、問66「第五戒に加えられている理由は、何ですか。」答「第五戒に加えられている理由は、その戒めを守るすべての人に対する、(神の栄光とその人自身の益になるかぎり)長寿と繁栄との約束です。」第五戒には、「あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである」と、約束が告げられている。正しく「長寿と繁栄」である。イスラエルの民は、エジプトを出て、約束の地へと道を進んでいた。神は、神ご自身の教え、戒めに従う民を祝福しようとされた。そのことを告げることによって、民がいよいよ神に従うことを期待された。実際に約束の地に入るのは、ずっと後のことになり、長寿と繁栄を具体的に経験するのは、後の人々であった。個々の家庭が祝福され、民が栄えるのも、そして全人類が栄えるのも、いずれも、人が人として尊ばれ、互いに相手を認め合うことがなさているかどうか、そのような秩序や安定のある社会であるかがカギを握る。もし、家庭の中に争いがあり、社会も混乱しているなら、その国の存亡は危うくなる。また民と民、国と国など、争いは大きくなり、長寿と繁栄が脅かされるのは目に見えている。人と人が繋がるため、そして互いに愛し合うために、先ず、「あなたの父と母を敬え」から始めること、それは正しいことなのである。

<結び> もう一度、パウロの言葉に目を留めたい。「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。『あなたの父と母を敬え。』これが第一の戒めであり、約束を伴ったものです。・・・」と。(エペソ6:1以下)親たちには、「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい」と語り、奴隷たちにも、更に主人たちにも語る。どんな立場の人であっても、私たちは神の教えに従って、人と人との関係を整えられることがないなら、互いに尊敬と信頼を育みながら、よい関係を作り上げることは、絶対に不可能である。神を信じ、神に従うことなしに、目の前にいる人を認め、その人を愛し、その人に仕えることは、ほとんど無理に違いない。神を信じるからこそ、神の御手の中で、人との出会いを喜び、互いに受けいれ合うことが可能となるのである。

 私たちは、神の言葉を、確かに神の言葉として受け入れ、これに聞き従うことを祈り求めようではないか。神の戒めを、「これは正しいことだからです」として、これに聞き従うことを。第五戒以降は、全て、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」との教えに、必ず結びついている。そのことを覚え、その一つ一つを行うことができるよう、祈りつつ学んで行きたい。私たち一人一人が、その生き方において、確かな証しが導かれることを願いつつ。