主の2014年が始まって最初の主の日、礼拝をささげる恵みを感謝したい。主の日毎、私たちは、復活の主キリストを仰いで礼拝をささげている。十字架で死なれたお方が、死に打ち勝ってよみがえられたからこそ、キリストの教会は、この日に礼拝をささげ続けて来たのである。死の恐れは消え去り、復活のいのちに生かされ、天の御国での救いの完成を望み見て、私たちは礼拝をささげている。この感謝と喜びに、一人でも多くの方が招かれ、この年も賛美の歌声を響かせ、祈りをささげて歩み続けたい。そして今朝から、またウェストミンスター小教理問答を順次読み進むこととする。これまで、「人間が神について何を信じるべきか」について問答が続いていた。ここからは、「神は人間にどのような義務を求めておられるのか」、私たち人間が、神の前にどのように生きればよいのか、また、どう生きているのか、その実際を問われている。
1、問39「神が人に求めておられる義務は、何ですか。」答「神が人に求めておられる義務は、神の啓示された御意志に服従することです。」ここで語られる神と人間の関係は、神が創造者であり、人間は被造者という事実に基づいている。これまでの問答で明らかにされたのは、以下のことである。神が永遠のご計画によって、この世界をお造りになり、人間をそこに住まわせ、この世界を治めさせようとされた。ところが人間が神に背いて堕落し、罪と悲惨に陥ってしまった。けれども、神はキリストを遣わし、人間を滅びから救い出して下さること等々である。その問答のいずれも、神が天と地を造られ、そして人間をご自身のかたちとして造られたという、神と人間の根本的な関係を抜きに考えることはできない事柄である。神が第一であり、人間はそれに従属している。神は創造者であり、絶対者として、人間に服従を求めておられる。全ての被造物は神のもの、人間も、神のものとして服従の義務を負うのである。
2、ところが人間は、その服従の義務を目の敵のように感じるようになっている。最初の人、アダムにおいて神に背き、罪に堕ちたからである。こうした事実を踏まえた上で、私たち自身、何が良いことか、何が神の前に求められているのか、いつも心して歩むことが大切となる。小教理問答においては、私たち一人一人が、神を信じ、またキリストにあって救いに与っている者としての視点が必要である。「神が人に求めておられる義務は、神の啓示された御意志に服従することです」との答を、自分の課題として受け止めること、それが肝心となる。ミカ書の言葉も、同じ視点がカギである。神を信じている筈の民が、神を忘れ、形だけの礼拝をささげたり、人に頼ることを求めたりして、その実態は神に背くことを繰り返していた。神は、預言者を遣わし、警告を発しておられた。同時に、いつの時代も、本物の信仰者を見出し、その人を励まそうとしておられるのである。信じている者を一層励ますことを、また揺らいでいる者を立ち直らせることを・・・。(6〜7節)
3、「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(8節)「神の啓示された御意志に服従することです」を実践するのは、問答40以下、「十戒」に従うことと、詳しく説かれる。預言者ミカは、同じことを「神とともに歩むこと」と言った。どのようにしてについて、「ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって」と語る。世の人々が懸命に追い求めていることとは反対のことに、心を向けるように勧める。この世が富や権力を追求する時、公義は踏みにじられることがしばしばである。愛は冷え、誠実さはどこかへ追いやられてしまう。へりくだって人に仕えるより、上に立って、人を使うことこそ栄誉と考えるからである。神はそのようなことを、決して求めてはおられない。神を愛し、人を愛することを、また神に仕え、人にも仕えることこそ、神が私たちに求めておられる。神の御意志に、心から服従することを求めておられる。それは神が人間をお造りになった最初から、決して変わらない神の御思いである。
<結び> 「主は主の御声に聞き従うほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(サムエル第一15-22) これは、サムエルがサウル王に告げた言葉である。サウルは主なる神の言葉に聞き従わず、自分の判断で勝手に行動したからである。生ける神は、私たち人間が神の言葉に聞き従うことを、どんなにか喜ばれるのである。どんなにいけにえをささげても、神に服従する心なしには、決して喜ばれない。私たちがどのような礼拝をささげるのか、日々どのように歩むのか、それら全てが、本当に神とともに歩むものであるのか、神は見ておられる。この一年、真実をもって、神とともに歩むことが導かれるよう祈りたい。心を低くして神とともに歩む者の証しは、必ずや多くの良き実を結ぶに違いない。
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