礼拝説教要旨(2013.08.11)ウェストミンスター小教理問答25
大祭司キリストのとりなしによって
(ヘブル 7:24〜28)

 「あがない主」キリストが、「預言者」の職務を果たされるのは、「御自身の御言葉と御霊によって、私たちの救いのために神の御意志を私たちに啓示してくださることにおいてです」というのが、問24の答であった。キリストは私たちに、聖書のみ言葉を通して、神の意志を明らかにし、聖霊の導きと助けにより、それを理解し、その教えに従うよう導き続けておれる。事実、私たちは心を開くよう導かれて、今、確かに信じる者として歩んでいる。そして、この教会に集っている。主こそ、ほむべきお方!と、心から賛美するほかない。そして、問25「キリストはどのようにして祭司職を果たされますか」には、次のように答える。「キリストが祭司職を果たされるのは、神の正義を満足させて私たちを神に和解させるために、御自身をいけにえとしてただ一度ささげられたこと、また私たちのためにとりなし続けてくださることにおいてです。」

1、キリストの祭司職は、「神の正義を満足させて私たちを神に和解させるために、御自身をいけにえとしてただ一度ささげられたこと」によって果たされていた。キリストが十字架で身代わりの死を遂げられたのは、罪の代価を支払って、「神の正義を満足させる」ためのものであった。罪のないキリストの死は、罪を贖うために、唯一、十分な代価であった。それによって、罪ある私たちは、神との「和解」を与えられたのである。これは、完全な罪の赦しをもたらすものであり、旧約聖書の時代に繰り返された、動物の犠牲に優る、一度限りの、完全な犠牲、全きいけにえとして、キリストは十字架で死なれたのである。(24〜28節)全く聖にして、義なる神は、罪のない御子イエス・キリストの血潮をもって、御自身の正義を、いささかの割引もすることなく、満足させておられた。私たちは、そこに神の救いのご計画の確かさを知らされる。

2、神ご自身の「聖」「聖さ」、そして「義」そのものを満たすものとして、キリストの十字架の死があり、その犠牲が、「ただ一度」のものであったことは、ヘブル人への手紙が強調する、大切な真理である。(27節、9:12、25-26、10:10-18)一度限りの、完全な犠牲がささげられたことによって、罪の赦しの道が開かれ、この方によって、私たち信じる者は、罪を赦され「聖なるもの」とされるのである。そして、「聖なるもの」とされた一人一人は、益々「聖なるもの」とされる道を歩むことになる。その地上の生涯を歩む限りは、誰一人として、完成されているわけではないため、罪との戦いがあり、葛藤があるので、自らの不完全さに、心を騒がすことから逃れることはできない。けれども、その時、キリストは「あがない主」として、父なる神の右の座にあって、大祭司としての「とりなし」の業を果たして下さるのである。(ローマ8:33-34)

3、「また私たちのためにとりなし続けてくださることにおいてです」とは、正しく、私たちのために、キリストが「大祭司」として、今、天において、とりなし続けて下さっていることである。キリストにある私たちが、どんなに不完全で、愚かで、弱さに悩まされ、自分を情けなくなることがあっても、キリストは私たちを、支えよう、守ろうとして下さっている。「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:14-16) 私たちは、自分の本当の姿を知り、これを認めることから始めることが大切である。どんなに自分で強がってみても、私たち人間は有限であり、弱さがある。これを認めることは、多くの人にとって難しいことかもしれない。しかし、弱さを認めて、キリストの助けこそ待ち望むべきである。使徒パウロは告白している。「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべての中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)

<結び> キリストが、預言者として私たちに語りかけ、真の神への信仰に導くため、聖書のみ言葉を通して、神の御意志を明らかにして、罪の悔い改めと信仰へと導いて下さったこと、そして、大祭司として、自らを犠牲として神との和解を成し遂げて下さったこと、今は、神の右の座でとりなし続けて下さっていること、これらは、底知れない神の恵みのみ業である。私たちは、その恵みとあわれみによって支えられている。パウロが心の底から叫ぶように、私たちも「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」と、心から言うことができる。これに加えて、問26と小教理問答は続く。問26「キリストは、どのようにして王職を果たされますか。」答「キリストが王職を果たされるのは、私たちを御自身に従わせ、治め、守ってくださること、また御自身と私たちとのあらゆる敵を抑えて征服してくださることによってです。」私たちは、確かに「あがない主」のキリストにあって、守られ、支えられ、この地上でどのようなことが迫ったとしても、「圧倒的な勝利者となる」ことが約束されている。益々、信仰に堅く立つよう導かれたい!!