神の御子キリストは、神であり同時に人である方として、処女マリヤを母として世に来られた。罪のない方として地上の生涯を歩み、罪人の身代わりとなって十字架で死ぬため、この世に来られたのである。キリストは唯一の「あがない主」として、「預言者、祭司、王」としての職務を、この地上においても、そして、天に昇られた後も果たし続けておられる。私たちは、このキリストのあがないによって、滅びからいのちに移され、また堕落し腐敗した状態から、本来の神のかたちを回復させられる恵みに与るのである。小教理問答は、続く問答において、「預言者」「祭司」「王」の三つの職務について、キリストがどのように果たされるのかに触れる。問24「キリストは、どのようにして預言者職を果たされますか。」答「キリストが預言者職を果たされるのは、御自身の御言葉と御霊によって、私たちの救いのために神の御意志を私たちに啓示してくださることにおいてです。」
1、キリストが預言者の職務を果たされるのは、「私たちの救いのために神の御意志を私たちに啓示してくださることにおいてです」と、そのように答えるにあたり、「御自身の御言葉と御霊によって」と言われている。主イエス・キリストがこの地上を歩まれた時、どこに行っても、多くの人々に教えを語っておられた。その教えは、父なる神から遣わされた「真の預言者」として、神の言葉を語る教え、そのものであった。「父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである」との通りである。(18節)また、主は次のようにも語っておられる。「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことはみな、あなたがに知らせたからです。」(ヨハネ15:15)キリストが語られる時、その言葉は神からのものであり、神の「御意志」を、人々をはじめ弟子たちに啓示しておられたのである。
2、キリストが語られた言葉を、人々が神からの啓示として聞くためには、「御霊」の働きが必要であった。その「御霊」の働きは、キリストの昇天後のペンテコステの日以降に、より鮮明となったが、主が地上を歩まれ、教えを語っておられた時も、教えの言葉とともに働いていたのである。ペテロが確かな信仰告白に導かれた時、主は語っておられる。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(マタイ16:17)主が教えを語られた時、聖霊が働き、人々の心を動かしていたのである。また、その時は理解できなくても、後になって、明らかにされることを、弟子たちには、はっきりと約束しておられた。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26)
3、旧約聖書の時代、神はモーセをはじめ預言者たちを立て、ご自身の言葉を民に語らせておられた。その時も、神の言葉とともに聖霊が働いて、人々の心に神の意志が届けられていた。それらが聖書として書き記され、残されてきた。(ペテロ第二1:20-21)その聖書の中心メッセージは「キリスト」を指し示すもの、「あがない主」の到来についてであった。そして時が満ち、預言の成就としてキリストは世に来られた。その生涯と十字架のみ業、そして昇天の後のペンテコステの出来事を経て、以後、キリストの教会は、「使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です」と言われている。(エペソ2:20)預言の言葉は、キリストの到来により、その成就を見たわけで、やがて新約聖書が完成する頃には、教会の中で、預言者と呼ばれる職務はなくなって行った。キリストを通して啓示された神の御意志は、聖書によって明らかにされ、私たちが聖書を読む時、聖霊が私たちの心を照らして下さり、それによって神の御意志を悟るように導かれるのである。キリストは今も、預言者として私たちに働きかけておられることになる。
<結び> キリストが、今日も尚、真の預言者として私たちに語りかけ、真の神への信仰に導くために、聖書を通して、神の御意志を明らかにして下さっていることは、計り知れない恵みである。私たちの生まれながらの無知な心は、自分から神に向くことはないからである。聖書により、神の言葉に触れるその時、聖霊が働いて、私たちの心は開かれる。そして、イエス・キリストが私の「救い主」、また「あがない主」であることを信じるよう導かれる。私たちは、預言者キリストにお会いして、そのキリストによって、魂の救いへと導かれるのである。聖書によって、真の知識へと導かれることでもある。私たち人間が、どれだけ多くの知識を蓄え、また経験を積んだとしても、そして富を蓄えたとしても、「まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう」と、主イエス・キリストが言われる通りである。全ての人が、本当に大事にすべきこと、全てのことに勝る一番大切なこと、それはキリストを通して、真の神にこそ立ち返ることだからである。(マタイ16:26、箴言1:7、伝道者の書12:13)
真の預言者に出会った私たちは、キリストにあって、預言者として生きる務めのあることを覚えたい。今それぞれが置かれている所にあって、聖書を通して、何が善であるか、また何が悪であるかを弁えることを心掛けねばならない。人が言うからではなく、キリストの教えが何であるか、その教えを規準として、一人一人が自分で答を出すことが求められている。その時、聖霊が働いて、必ず答を下さるからである。この8月、日本中がどんなに喧しくなっても、私たちは生ける真の神を信じる信仰に立って、正しいことは正しい、間違ったことは間違っていると告白できるよう、決して世の流れに流されない者として立つことを、心に刻みたいのである。 |
|