礼拝説教要旨(2011.07.10)
イエスの涙
(ルカ 19:41〜44)

 エルサレム入城の前に、主イエスはろばの子に乗り、ご自分が王であること、それも旧約聖書に約束されたメシヤであり、戦いを止めさせた後に、真の平和をもたらす王であること等を、いわば自己主張なさるようにして道を進んでおられた。弟子たちを中心にした歓喜の歌声は、「祝福あれ。主の御名によって来られる王に。天には平和。栄光は、いと高き所に」と、王の到来をほめたたえていた。パリサイ人たちがそのことを咎めても、主ご自身は、弟子たちの叫びを歓迎しておられた。人々がどのように思おうと、「わたしは神であり、王である」と、ご自分を人々の前に示しておられたのである。

1、けれども主イエスには、エルサレムの町の人々の頑なな心の中が、手に取るように分かっていた。ルカ福音書は、なおもエルサレム入城前の事柄として、都を見て、その都のために涙されたと記している。「エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。・・・」(41〜42節)オリーブ山からの下り坂でも、エルサレムの町は一望され、またケデロンの谷からの上り坂でも、その都はもうすぐ目の前に迫っていたと思われる。主はその都のために泣かれたのである。イエスが泣かれたのは、他にはラザロが死んだ時、その墓の前で「イエスは涙を流された」と記されているだけである。それ時はただ悲しみの涙ではなく、人々が泣いているのを見て、「霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて」のことであった。(ヨハネ11:33〜35)

 今回は、エルサレムの都を見て、「その都のために泣いて、言われた。」その涙は、強い嘆きを含んだ涙であった。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。・・・」(42〜44節)「平和の王」としての入城を果たそうとしておられたが、都の人々は、平和のことを知らない、知ろうとしない、その頑なさを決して捨てないからである。およそ三年の公生涯において、真の神に立ち返るよう、人々に説き続けておられた。罪を悔い改めること、神の前に心を低くすること、仕えられることでなく、仕える者となって生きるよう教えておられた。今こそ「平和のことを知っていたのなら」との思いが、主イエスの心を揺り動かしていた。都の人々の心は、なおも頑なにイエスを拒んでいた。主は泣かずにはいられず、涙せずにはおられなかった。

2、主イエスが「平和のこと」と言う時、それは「真の平和」についてであり、神がもたらして下さる「平和」のことである。自らが「ろばの子」に乗り、「平和の主」「平和の王」としての姿を人々に見せておられた。そして、「主の御名によって来られる王に」との賛美に、群衆も加わることを知っておられた。けれども、本心からその「平和」を悟ることなく、たちまちの内に背信する群衆の心の内を、既に見抜いておられたのである。「しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。」都には、神の裁きがいよいよ迫っていた。「やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」(43〜44節)

 当時ローマは、力による平和をエルサレムにももたらしていた。多くの人々がその平和を喜び、都が騒乱の陥ることのないようにと願っていた。そのことにばかり心を向かわせるので、イエスを神とも、王とも認めることはなかった。まして「神との平和」をもたらすため、イエスが来られたなどとは、決して認めることはなかった。神の方から人に近づき、神が訪れて下さる、その「神の訪れの時を知らなかった」のである。主イエスは、正しく平和をもたらす方として、また王としてエルサレムに来られた。けれども、そのエルサレムの人々は頑なさを捨てず、裁きを招くばかりだったのである。都に対する嘆きは、以前にも発しておられた。ご自分がそこで死ぬことの重さとともに、その民の罪深さを、この時にまた思い知っておられたのである。(ルカ13:33〜35)

3、「エルサレム」という地名は、「平和の嗣業」との意味があり、そこから「平和の町」と理解されている。「シャーローム:平和」をその語源としているからである。その都が「平和のこと」を知らず、「神の訪れの時」を知らないため、神の裁きが下るのである。主イエスの嘆きの言葉には、やがて来る裁きが、どれだけ厳しく激しいものであるか、恐ろしい警告が込められていた。イエスが十字架につけられて後、紀元70年に、エルサレムはローマ軍によって囲まれて崩壊する。神に背く者に対する裁きが下った。真の平和に心を配らず、力による平和を求め、この地上での繁栄や安心にのみ心を奪われる者への裁き、それは必ず下されるのである。主イエスはその悲惨さを知って、心の底から嘆いておられたのである。

「平和の嗣業」と言われる町そのものが、敵に回りを取り囲まれ、四方から攻め込まれ、大人も子どもも地にたたきつけられ、一つの石も残されない程に崩されてしまう、そんな悲惨が待ち受けていた。同じように神殿の崩壊については、受難週に語られている。(ルカ21:6)それだけエルサレムの崩壊は切迫していることを、主イエスは気づいておられた。私たちは、主ご自身の心の嘆きや痛みを、果たしてどれだけ理解しているだろうか。その心は張り裂けるばかりに痛んでおられた。神を知らずに勝手な道を行くのではなく、神を知っていながら、神なしに生きることの愚かさ、その高慢な、身勝手で不遜な生き方を、神は見過ごすことはなさらない。しかし、そのような者のためにも、身代わりの死を遂げるために、エルサレムに向かい、その都に入ろうとしておられた。

<結び> 主イエスの涙、その嘆きの中心は、「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら」との言葉、そして「それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ」との言葉に込められている。力ではなく、柔和をもって地を治める王として世に来られた主は、この主の元へと、いつもいつも人々を招き続けておられる。それなのに、その招きに応えることなく、なおも自分勝手な道を行こうとする人々のために、主イエスは今に至るまで、嘆き悲しみ、涙を流し続けておられる。私たちは今一度、主イエスは何のためにこの世に来られたのか、そして何のためにエルサレムに向かい、その都で何をしようとなさっていたのか、何を嘆き、何を悲しまれたのか、はっきりと心に留めたい。

 生ける真の神がおられ、その神が私たちに目を注ぎ、手を差し伸べて下さっていることを決して忘れないように。この世の富や地位、そして名声に惑わされるような幸いや、また平和に心を奪われることのないように。神との平和こそ尊いこと、神の前に罪を赦されていただく真の平和を、心の底から喜ぶ者とならせていただきたいのである。