いまさらキリスト教のABCですか。ある方は信仰を持ってから既に50年以上経っているでしょう。難しい神学の議論だってよく知っていて何時間も話すことができます、という方もいるでしょう。それなのになぜキリスト教のABCですか。実はこれこそが、信仰生活が何年経ってもいつも強く覚えていなければならない重要な点として聖書に教えられているからです。一つ一つを見ていきましょう。
AはALMIGHTY ONEです。この聖書の言葉にも言われている全能の神さまです。創造者である神さまが世界ばかりでなく私を創造してくださった、ここからすべては始まります。創造者である神さまを離れては世界にも人生にも意味がないのです。
〔海中時計の話〕
完全防水の腕時計を海中に落としてしまいました。電池はまだ十分残っているので、海 中でも正確に時を刻んでいるに違いない。しかし、持主の手を離れた腕時計は、たとえ 正確に時を刻んでいても、何の意味もないものです。それが持主の手に戻って、はじめ て意味のあるものとなるのです。
罪も創造者である神さまとの関係で初めて正しく理解されます。
〔豚をお母さんと呼ぶ娘の話〕
大切に育てた娘が大人に成長しました。その娘がお母さんの言うことはきかずに、なぜ か豚小屋で、豚に向かって「いとしいお母さん」と呼びかけています。それを見た本当 のお母さんは、どう思うでしょうか。
全能であって天地万物の創造者である唯一の神さまを信じているのは私たちクリスチャンだけではありません。ユダヤ教徒とイスラム教徒もそうです。しかしユダヤ教徒は唯一の神さまを信じてもそれは旧約聖書に教えられてそう信じるのではありますが、さらに新しく与えられた啓示を受け入れないのでイエス・キリストが神のひとり子であることと聖霊も神さまであることとを信じていません。つまり三位一体を否定しています。イスラム教徒も同様にイエス・キリストが神のひとり子であることを強く否定しています。エルサレムの黄金のモスクには「神には子はない」とアラビヤ語で書かれています。私たちの罪を負って替わりに死んで下さる救い主には二つの資格が必要です。一つは罪のない者であること、そうでなければ身代わりにはなれません。もう一つは神であること、罪がないだけだったら天使も資格があるでしょう。天使は人間より力があるでしょうから一気に百人分の罪を背負って死ぬことができるかも知れません。でも被造物の一つですから有限な存在であり、罪人が百人を超したらもう一人の天使が必要になってきます。これはただ想像に過ぎませんが、イエス・キリストは人間になった永遠の神なのです。ですから一人の方が一回だけ死んで下さることによってすべての人のために永遠の贖いを成し遂げて下さいました。
BはBIBLEです。創造者である神さまが人類に語りかけてくださった言葉です。一見簡単な説明のように思うでしょうが全能の創造者である神さまがおられるということとその神さまの語りかけが聖書であるというこの二つの事実こそキリスト教信仰の揺るがない土台であり大前提です。これらが否定されたらキリスト教は存在できません。組織神学の神論と聖書論で基本になるものです。
第二テモテ3:16「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」この他にも沢山の聖句がありますがこれを見ただけでも明らかです。聖書を書いた人たちは40人以上を数えることができますが、全部の書物の究極的な著者はただ一人全能者であって創造者である神さまなのです。
使徒20:32には「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」と言われています。ここに聖書が「恵みの御言葉」といわれていることに注目してください。言葉の意味を調べるためには辞書があり、事柄を調べるなら百科事典があって確かに便利な物ですがそれだけです。そこから恵みを受け取ることはありません。聖書の場合はこの言葉を語られたお方が豊かな恵みに満ちた神さまで私たちを深く愛しておられるのでその言葉に恵みが伴ってくるのです。毎日その恵みを汲み取ってください。聖書全体から霊的世界の知識を得られるのみでなく、恵みに満ちあふれてだれが見ても魅力的な人格になっていきます。
キリスト教の基本であるABCと言えばこれにつきますが、その聖書の中心的な内容を具体的に言い表せばCになるでしょう。
CはCHRISTイエス・キリストです。この方こそが四つの福音書ばかりでなく聖書66巻全体の中心なのです。第一テモテ2:5「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」そしてその方の全生涯の中心はこれもCでありCROSS十字架にかかって私たちの罪のために死んでよみがえってくださったことです。これこそが聖書的、福音信仰です。ここから迷い出ないで下さい。
もう一つおまけにDをあげましょう。DECISION、直訳すれば決心、決断です。言い換えれば神の言葉に対するあなたの応答です。毎日聖書を読むとき「ああ、良かった」と言ってしばらくすると何が書いてあったか思い出せないというようなことはありませんか。語りかけられたら応答しなければなりません。私は今日一日これを実行して生きていこう、こんな罪には陥らないようにしよう、と固く決心して、主にそう告白して助けを祈り求めなさい。きっと助けてくださいます。hi-b.a.OBのある姉妹は会社勤めをしていて一人の男性にあなたは非常に魅力的です、結婚を前提に僕とつきあってくださいと言われました。彼女は、自分に何か魅力があると感じていらっしゃるならそれは私がイエスさまを信じているからなのであなたも教会に来て救い主イエスさまを知るように努めて下さいと答えました。彼は熱心に教会に通いやがて洗礼を受けて結婚に導かれました。この方たちの結婚式は渋谷のhi-b.a.センターでおこなわれた最初の結婚式になりました。このような例はOBの中に何人もあります。あなたが御言葉に従って生きていくなら神さまの恵みがあなたを魅力ある人物にして下さいます。神の恵みを無駄にしてはなりません。キリストを信じて生きるということは趣味や好き嫌いの問題ではなく生き方そのものなのです。
ヨハネ3:36「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」ここに人生における最も大切な選択があります。二つの道があります。私の罪のために身代わりになって死んで下さった方に対してとる態度の二つの可能性が示されています。その選択の結果は明らかです。僕は高校一年の時にこの前の方に決めてキリストを信じクリスチャンになりました。あれ以来何十年も経ちましたが、過ぎた日々を顧みてあのときに御子イエスさまを信じる方に決めて良かったとつくづく思います。
詩篇71:17、18「神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。」そのように祈りつつ今まで歩んできました。これからも神さまは私の生涯を祝福して下さるに違いありません。
以上のキリスト教ABCDを忘れないで下さい。
あなたの将来に恵み深い主の豊かな祝福があるように祈ります。
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