元旦礼拝において、私たちは主イエスの教えに心に刻んでこの年を歩み始めた。「・・・だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。・・・」私たちを見守って下さる神がおられ、私たちの日々の必要を知っておられる神が、私たちについていて下さるのである。心配や思い煩いに押しつぶされることなく、一日一日、感謝をもって歩みたいものである。そのために、今月はなお続けて同じ教えに耳を傾けてみたい。
1、主イエスの山上の教えは、イエス・キリストを救い主と信じる神の民にとって、最も大切な教えと言ってよいものである。神の民だからこそ、そのようにできる指針に溢れ、神の民の幸い、天の御国の民とされた者の幸いが明らかにされている。この視点を忘れていると、そんなこと、とても私にはできませんと叫ばずにはいられず、守ろう!行おう!とすればするほど苦しくなる、そんな教えである。主イエスは、神を信じている人々が、神の民こそが本当に幸いな人々であることを、よくよく悟るようにと語っておられたのである。
神によって義とされる生き方、それはこういうものとの実例が6章1節以下である。施しをするなら、また祈りなら、そして断食なら・・と語って、19節以下、神の民が神の民であることを忘れて、世の人々を同じように生きてしまうことについて警告が語られている。大切なこと、それは心を見ておられる神の前に生きることである。目に見えることだけで考え、目に見える所ばかりを追い求めてしまうこの地上の生活であっても、神は私たちの心の中を見ておられること、知っておられることを忘れてはならないのである。
2、私たちは、そのように教えられ、分ったつもりになっている。ところが、ふと気がつくと今の現実の生活のことが大きく心を占めている。そして今の生活のことが第一となり易い。心配事が多く、とてもやりきれない日々が続くだけでなく、何事も順調に行く時もある。その現実の生活においては、順調でも順調でなくても、どちらでも落し穴がある。しばしば順調な時、神に感謝することを忘れて自分の力を誇り、そして「地上」のことを最優先させることになるのである。目の前のことばかりに心を傾け、ほとんど神を忘れさえする。神を思いながら地上のことが第一となる場合、事態はもっと深刻である。
しかし、「地上」は、「虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗む」所であることを忘れてはならない。地上は一時的な所、虫がついたり、さびがついたり、盗まれたりする所、安全ではなく、頼りにしてはならない所であると、主は言明しておられる。頼りにならない地上を当てにして、そこに宝をたくわえるのは「やめなさい。」もしたくわえたとしても、自分の命が失われたなら、そのたくわえたものはだれのものになるのか・・・、それほどに地上に執着することは愚かであると。(実際にこの地上で宝をたくわえた人の多くが、昨年の金融バブルの崩壊で、莫大な損失を蒙ったことが報道されている。)※ルカ12:20
3、「自分の宝は、天にたくわえなさい。・・・」主イエスは、「地上」ではなく「天」にと語って、そこに「宝」をたくわえなさいと言われた。地上のことだけなら、「宝」は金銭であったり、資産価値のある物のことである。けれども、天にたくわえる「宝」は金銭や物のことではない。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」心が大切と思うもの、自分の心がそれにひかれるもの、心から離れないこと等々、そのようなものが「宝」となるというのである。従って、心を天に向けること、神のおられる天に心を向けること、心を神に向かわせること、このことを大切にせよ!と命じておられるのである。(※ヨハネ14:1以下)
自分にとって一番大切に思うもの、手放せないと思っているもの、それらは必ずしもお金や物ではない。過去の経験の記憶や今の境遇さえも手放せず、それに寄り掛かっていることがある。神の前に重荷を降ろしさえすればよいと分っても、一歩踏み出せずにいるのである。心が目の前のことに囚われ、宝を地上にたくわえることになる。だから「自分の宝は、天にたくわえなさい」と言われ、心を天に向けなさいと命じられる。神がおられると認めること、神を信じ、やがて天の御国に迎え入れられることを信じて今を生きること、それが自分にとって一番大切!と気づくように教えておられるのである。
<結び> 私たちは、自分の地上における生涯をどのように捉えているだろうか。天の御国にやがて入れられるまでの仮の時なのだろうか。そうではない筈である。今もまた尊く、二度とない時である。神が私たちを生かして下さり、用いて下さる日々である。その地上の日々において、神のおられる天に宝をたくわえる生き方、心を神に向けて、やがて天の御国に迎え入れられる日を待ち望んで生きることをしっかりと導かれたい。天の御国に繋がる地上の生涯であることを、この年の始めにはっきりと覚えておきたいのである。 |
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