「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」(2節)ヨハネはガイオのために、このように祈っていた。ガイオは教会のために、そして多くの聖徒たちのために忠実な働きをしており、彼の真実な証しがヨハネのもとに届き、大いに喜んでいたからである。(3〜4節)
1、ガイオの真実な奉仕の一つは、巡回伝道者たちをもてなすことであった。当時、パウロやペテロたちに続く第二代、三代の伝道者たちが登場する頃となり、多くの兄弟たちが福音を携えて巡回していた。偽教師たちの働きも盛んであったので、旅人をもてなすことは決して易しいことではなかった。けれども、それは全ての聖徒にとっての大切な働きであった。特に長老や教会の指導者にとっては、率先して果すべき務めとされていた。(テモテ第ー3:2、テトス1:8、ヘブル13:2、ローマ12:13、ペテロ第ー4:9)ガイオはそのようなもてなしを、真実に、また忠実に果し続けていたのである。(5節)
一言で「もてなし」と言っても、その働きにはいろいろなことが含まれていた。旅の途中に宿を貸すこと、食事を出すこと、時には病のために医者のもとに連れて行くこと、次に行く所への道案内、そして滞在中の費用を用意することや、働きの継続のための献金集め等、数限りないことがあった。送り出した後になって、十分にもてなすことができたのか、反省や悔いがあったこともあろう。しかし、それらは正しく愛の業であった。ヨハネは何人かの者からガイオの愛について聞いていた。その愛の業をこれからも続けるようにと勧めるのである。巡回していた者たちは、ガイオによってどんなにか励まされ、次の旅へと出発していたからである。(6節)
2、ガイオは「神にふさわしいしかた」で仕えていた。これは、金銭の入用に関することである。当時の教会の定めによると、偽教師を見分けるのに、金銭を要求する者は要注意とされていた。真実な教師は金銭を要求することなく、備えられたもので次の旅に出るという覚悟を持っていたという。もてなす側には、「彼らが不自由しないように世話」をすることが求められていたのである。(テトス3:13)必要なものを備えて次の旅に送り出すこと、これが教会の交わり、聖徒の交わりにとって「神にふさわしいしかた」であったので、これからもそうし続けるようにと勧めたのである。それこそ教会にふさわしい「良いこと」「うるわしいこと」であると。(※「りっぱなこと」の意)
初代教会において、献金について細心の注意を払っていたことが伺われる。福音宣教のために伝道者たちが送り出される時、「彼らは御名のために出て行く」のである。その時、「異邦人からは何も受けない」ことを原理原則としていた。キリストの御名のための宣教を、信仰の業として行うことに注意を払い、まだ信仰を言い表していない異邦人からは「何も受けない」ようにした。その分、信仰を持っている者たちが責任を自覚することが大事であった。その覚悟を持って宣教に携わる働き人をもてなし、そのようにして「真理のために彼らの同労者」となることを、ヨハネは勧めたのである。これは今日の教会も大いに学ぶべきことである。(7〜8節)
3、「福音の宣教のために、お金は必要!」これは真実としても、その必要をどのように満たすのかについて、教会は初めからとても慎重であったことが明らかである。主イエスご自身が「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と語られた時、同時に「働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです」と教えておられる。(マタイ 10:5〜15)そのことを原則とし、教会はふさわしい献金によって支えられることを目指してきた。そうすることによって、福音が売り物とされることを避け、真理が真理として尊ばれることを大切にしたのである。伝道者たちは真理のために送り出されるのであり、その伝道者を支える者、送り出す者は真理のための同労者となることを追い求めたのである。
福音は福音のために労する者がいて、またその労を共にする同労者がいて世界に広められたのである。その広がり方は、この世の富や力をふんだんに使ったなら、もっと早く、もっと広く広がったのかもしれない。けれども慎重には慎重を重ねながら、できる範囲のことを喜んで果す聖徒たちの祈りと奉仕によって今日に至ったのである。真理のために同労者となった聖徒たちがいたので今日の教会があり、私たちがいる。そして私たちもまた「真理のために同労者となれる」のである。教会は、自分が既に真理のために同労者となっていることを自覚する聖徒たちがいることによって、生き生きとした、より豊かな交わりへと進むことができるに違いない。ヨハネはそのような促しをガイオに与えようとしたのである。
<結び> ヨハネの晩年は、エペソで過ごしたことが知られている。ガイオがどこの町にいたのかは明確でなく、彼がいた教会の事情も定かではない。しかし福音は確かに広がって行った。ガイオと彼が属した教会の聖徒たちの祈りや奉仕、そして献金によって宣教の働きが続けられたからである。主ご自身は、今日この手紙を読む私たちに、私たちもまた「真理のために同労者となる」よう語り掛けておられる。教会で奉仕すること、献金をささげること、祈ること、礼拝をささげることの全てが、福音のために、真理のために同労者となってする働きとして、主ご自身によって喜ばれている。
そのように考えると、教会に連なるどんな小さな働きも、とてつもない大きな働きにつながっていることに驚かされる。その働きが、やがて実を結び、豊かなものとして次の世代や、他の地域や世界へと広がるからである。真理を尊び、真理のためにこそ同労者となって、福音が世界に広がることを祈りたいものである。 |
|