礼拝説教要旨(2007.03 04)   
共に仕え、共に祈る   (ローマ 15:22〜33)

  福音を語り続けたパウロの思いは、「キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝えることを切に求めたのです」との言葉に込められていた。パウロはそのためにこそ、神から恵みをいただき、キリストの仕え人とされていると確信して異邦人に福音を語り、主は彼を用いてみ業を成し遂げておられた。その原則を崩さなかったパウロは、ローマ行きについては、幾度も志つつ実現しなかったが、今度はそれが実現しそうと、今後の計画を告げている。それが22〜29節、そのために祈って欲しいと要請するのが30〜33節である。

1、福音は「イルリコ」にまで至っていたが、この手紙を書いたのはコリントの町と考えられている。マケドニヤ、アカヤの地方に次々と異邦人教会が起こされ、イルリコまで福音は伝わっていたので、ローマはアドリヤ海を挟んだ向うの半島の町、もう手が届く所に居たことになる。けれども、次に訪ねるのはローマ、そこから送り出されてイスパニヤに行きたいと願ったものの、現実はエルサレム行きであった。これまでも機会がなく、今また別の道を示されていたことになる。その理由は、エルサレムの聖徒たちへの奉仕のためであり、エルサレムの教会の困窮を知った異邦人の諸教会が、助けの手を差し伸べたいと「醵金することにしたから」であった。(22〜26節)

 パウロの伝道の原則は明快であったが、実際はとても柔軟であったようである。志はもちろん熱く燃えていたが、自分の願いや計画を押し通すのではなく、自ら退くことをためらわなかった。それは、常に自分一人で伝道するのではなく、他の聖徒たちと共に主に仕える思いがあったからであろう。エルサレム周辺のユダヤ人を中心とする教会において、ユダヤ人社会からの迫害は厳しく、また繰り返し起る飢饉のため、聖徒たちは困窮していた。そのことを知った異邦人教会は、心を込めて救援のため献金をささげ、これをエルサレムに届けたいと願ったのである。もちろんパウロをこの献金を勧め、代表者たちと共に届けようとした。この働きは全教会的なもの、今果たすべきこととして取り組んだのである。(27節)

2、彼の伝道旅行は、ただ新しい町で福音を語って、教会を起こすことに留まらないで、絶えずエルサレムの教会を思いやり、その弱さや不足に心配りの出来る教会を建て上げることを心に掛けていた。教会はキリストのからだであり、一つの教会でだけ充足してしまわず、互いに思いやることの出来る教会の交わりを思い描いたのであろう。異邦人の諸教会はパウロによって教えられたからであるが、しかし、自ら喜んで「醵金」することとなった。霊的な恵みを受けた感謝を、献金等の物質的な救援によって表そうとした。それは愛に溢れた献げものとなったのである。彼らは強いられてではなく、自ら決断して、喜んで献げたのであった。

 救援献金や救援物資を届けることを訴えながらの伝道旅行、ここに福音宣教の大切なカギがあった。キリストにある魂の救いは、何よりも尊いものである。けれども、それだけを伝えるのでなく、互いの弱さや困窮を覚え合い、助けの手を差し伸べ合うことを説くこと、そのようにして共にキリストに仕える道をパウロは伝えていたのである。喜びと感謝をもって、共に主に仕え、互いに仕え合う交わりを追い求める、それが教会の交わりの姿である。異邦人教会は物質的に豊かであったわけではない。霊的に豊かにされた時、その喜びは感謝となり、今困っている聖徒たちを助けたいと願い、物質的な物をもって仕えたいと願ったのである。パウロはこの尊い務めを果たし、新たな感謝と喜びに満たされて後、ローマを通ってイスパニヤに行きたいと考えていた。(28節)
3、パウロの心は、もう既にローマの聖徒たちと顔と顔とを合わせる時を思い描いていた。その日、「キリストの満ちあふれる祝福」に包まれることを確信していた。(29節)その喜びは大きかったが、実際のエルサレム行きには困難が予想され、命の危険もあったので、「私のため、私とともに力を尽くして神に祈ってください」との祈りの要請となった。この願いを告げるにあたり、「私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします」と語っている。ここにパウロの求めの切実さが込められている。「御霊」に導かれる「愛によって」と言うのは、キリストに愛されている者として、互いの愛に根ざし、共に祈って欲しいと願ったのである。共に祈り、共に労し、共に戦って欲しいと訴えていたのである。

 福音の宣教のためには、共に仕え、共に祈る友、仲間こそが力となる。エルサレムで不信仰なユダヤ人たちと相対するために、異邦人教会からの愛の献げ物が受け入れられるために、そして働きを終え、喜びをもってローマに行けるように、心を込めて「祈ってください」と訴えたのであった。パウロとて、エルサレム行きに恐れや不安もあったのは確かである。しかし恐れて躊躇うのではなく、恐れがあるからこそ自ら祈り、共に祈る祈りを要請した。「ともにいこいを得ることができるように」との願いがあったからである。共に仕え、共に祈り、共にいこいを得る、共にキリストにある交わりを平安の内に喜ぶことが、教会の交わりにとっては大きな力となるのである。

<結び> 私たちは、私たちの教会の歩みを省みて、共に仕え、共に祈る教会、群れとして福音を語り続けることを導かれたい。教会の中で共に仕える姿勢を養われるだけでなく、教会間で助けの必要を覚えること、教会の外で助けを必要としている人々のいること、これらに心を傾けつつ伝道することが大切であろう。そのためには、「神に祈ってください」、「私のために、私とともに・・・・祈ってください」と要請する謙虚な心が何よりも必要となる。私のために共に祈って下さいと求めるのは、自分の弱さや足りなさを覚えるからである。

 「どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。」パウロのこの祈りは、所沢聖書教会のために祈られた祈りでもあることを確信させられる。開拓された初期の頃、ベネット宣教師との関連で、主にカナダで祈られていたであろう。横山幹雄牧師の時代も多くに方に祈られていたのである。ソルトー宣教師や長老教会との関係が出来た頃、久我山キリスト教会を中心に祈られていた。支援献金も多く献げられた。奉仕も・・・・。そして私たちも献げることを学ばされた。これからも、共に仕え、心から献げ、共に祈り、神のみ業を期待することにおいて、心砕かれた者の歩みが導かれるように、祈りをもって歩み続けたい。共に仕え、共に祈る群れとして。