礼拝説教要旨(2007.02 11)    =信教の自由を守る日=
唯一の主権者を仰ぐ  (テモテ第一 6:3〜16)  

 一昨年の8月、戦後60年という節目にあたり、今朝と同じ聖書箇所の11節〜16節を開き、「だだひとり死のない方」と題して歴史の真の支配者なる神を心から信じる信仰を堅くさせていただいた。誰一人として死を免れることの出来ない人間を、死んだ後に神として祀る欺瞞に振りまわされることのないように、キリストを遣わされた神だけが「ただひとり死のない方」、歴史の真の支配者である・・・・と。その時から一年半が経過したが、この国の現実は、益々新たな戦前を作り上げているかのようである。私たちは、繰り返し何を信じ、何を拠り所として生きているのかを確認することが大切となっている。

1、パウロがテモテに手紙を書いて励まそうとした時、ローマ帝国の圧倒的な力によって、教会の将来には暗雲が立ち込めていた。この世の大きな力に対して教会の力は小さく、何が出来るのかはなはだ心もとなかった。教会の中にも難題は山積みで、若く、また経験の浅い伝道者テモテは、意気消沈すること度々であった。そこで色々な角度から教えを説き、揺るがずに務めを果たすよう励まし、テモテ自身が明快な確信に立って歩むようにと勧めるのであった。この世のことで、どんなに惑わされることがあろうと、迷うことなく前進するようにと。(3〜10節、1章以下)

 その勧めの締めくくりが11節以下である。パウロにとって、テモテが信仰の戦いを勇敢に戦い抜いてくれることが何よりであったが、そのためには、「すべてのものにいのちを与える神」がおられること、そして「ポンテオ・ピラトに対してすばらしい告白をもってあかしされたキリスト・イエス」がおられることを、はっきりと心に留めて欲しいと願った。神がどのようなお方であり、生ける神だけが真の主権者と信じることによって、人は自分が生きる土台を持つからである。「神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることもできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。」(15〜16節)

2、神がどのような方であるかを知ってこそ、テモテは伝道者の務めを果たせるのであるが、その働きは「主イエス・キリストの現れの時まで」続くものであった。初代教会において、キリストの再臨は今すぐにでも実現することと信じられていた。その後の二千年に渡る教会の歴史においても、教会はキリストの再臨を信じ、待ち望んで歩み続けている。私たちも、再びキリストが必ず来られ、その時救いが完成することを信じている。紀元1世紀の教会と21世紀の教会では、再臨を待ち望む緊迫感において差があるかもしれない。しかし、今日もやはり、キリストの再臨を信じて今を生きること、それが教会のあるべき姿であり、一人一人の聖徒たちの生きる道である。ところがその「再臨信仰」が、かつて日本で教会に迫害が及んだ一つの理由であったことを、今朝覚えておきたい。

 1941年11月24日、前年4月1日に施行された宗教団体法に基づいて日本基督教団の設立が認可された。それは当時の政府の意向、国を挙げて戦争へと進む政策に従ったことで、その年の3月には既に治安維持法が改正されており、翌42年6月26日に、ホーリネス系教会に対する弾圧が実行され、牧師たちが一斉検挙される事態へと進んで行った。世の終わりにキリストが王の王、主の主として来られるとの教えが、天皇を神とする国体思想と相容れないというのが、その理由であった。他の教会がその点で問われなかったのは、「再臨」を文字通りに信じているか否かであった。(※自分たちは象徴的に解釈している・・・・と言い逃れた例があったとされている。)

3、「キリストの再臨」を文字通り信じているか否か、それによって弾圧されるかされないか、そんなことが起こり得るのか。考えるとおかしな話である。聖書の神を信じればこそであり、聖書を使いながら、聖書の中身を信じないでいられることが可能なのだろうか。大切なことは、聖書が示す神を「祝福に満ちた唯一の主権者」として、この方に明確に聞き従うことであろう。心の内で確信することを、自分の生き方において表すのをためらわない潔さである。そのために「すべてのものにいのちを与える神」を示し、またピラトの前に立たれた「キリスト」を思い出させ、パウロはテモテに、キリストにこそ見習うよう教えたかったのである。

 日本の教会の歴史において、誰に聞き従うのかとの問は繰り返されている。最初に福音が伝えられた時から今日まで、「主権者」は誰であるか、それが問われている。この世の為政者にとって、「神のみを恐れ、人を恐れない」聖徒たちの揺るぎなさが、とてつもない「脅威」であると考えられている。けれども、誰しもが持つ人を恐れる弱さにつけ込んで、巧妙な弾圧がなされたのが日本に教会に対する迫害の現実である。そして明治以降昭和にかけての多くの教会が、心で信じることと外面に表れることは違っていても大丈夫!と、お墨付きを与えてしまったのが神社参拝であり、教会が「唯一の主権者」を本気で仰いでいたのか、その点が問われることであった。(※日本社会において、絶対者に対する恐れや思想を欠くからであろうか、心の内で信じる自由は認めても、外に表れる行為については制約を受けることは当然と、内面の自由をないがしろにすることがはびこっている。)

<結び> 「ナチが共産主義者を捕まえにきたとき、わたしは沈黙していた。わたしは共産主義者ではなかったからだ。ナチが社会民主党員を逮捕したとき、わたしは沈黙していた。わたしは社会民主党員ではなかったからだ。ナチが労働組合員を捕まえにきたとき、わたしは沈黙していた。わたしは労働組合員ではなかったからだ。ナチがわたしを捕まえにきたとき、抗議してしてくれる者はもうだれもいなかった。」(マーチン・ニーメラー:1892〜1984 ドイツ告白教会の神学者  ※「この国に思想・良心・信教の自由はあるのですか」いのちのことば社より)

 上記の詩は、ニーメラーが戦後になって反省を込めて書いたものとのこと。ナチスの手が自分に及ぶまで、何もしなかったことを悔いる詩である。私たちも今現に起っていることに鈍感であってはならない。誰に対して責任を持って生きるのか、目を開き、耳をすましていることが大切となる。私がお仕えすべきお方は誰か、揺るがずに身を奉げるべきお方は誰か、その答えを持っている者は真に幸いである。時代が右に左に揺れ動き、自分の立つ位置さえ定まらなくても、唯一の主権者がおられ、その方は祝福に満ちたお方と信じる者は、恐れることなく、また慌てることなく、その方を信じて歩むことが出来るからである。心で信じていることを現実の生き方に表すことの出来る、そのような生き方が導かれるように、唯一の主権者を仰ぐ信仰を、今朝もう一度明確にさせていただこうではないか。