礼拝説教要旨(2005.04 10)
神に知られている幸い (カラテヤ 4:8〜20)
主イエスを信じて義とされ、神の子とされる救いの恵みは、信じる者に約束されている大いなる賜物である。人は感謝をもってこれを受け、喜びをもって父なる神の愛に応えることが期待されている。しかるにガラテヤの諸教会において、行いによって神に応えようとする教えが人々の心を捕らえ、パウロが説く教えが退けられようとしていた。パウロは救いの教義、すなわち教理的な論述を4章7節までで終え、今度は感情を吐露するようにして訴えようとした。
1神の子とされた救いの恵みは、「もはや奴隷ではなく、子です」という大きな身分の変化である。以前の奴隷状態について、パウロは、それは「神を知らなかった当時」のことで、「本来は神でない神々の奴隷」であったと言う。異邦人のクリスチャンにとっては、様々な偶像礼拝に縛られていた状態のことで、知らずして神ならぬものを礼拝していたのは、偶像に心を奪われてしたことに他ならず、ことの悲惨ささえ気づかずにいたのである。(8節)
しかし、今や神を知ったからには、その空しさから全く解き放たれたのである。ところが、パウロは「今では神を知っているのに」言いかけ、「いや、むしろ神に知られているのに」と言い替えた。子であることは、子が父を知る以前に、父によって知られている厳然とした事実に基づいていると言うのである。神に知られているというクリスチャンの幸いは、真に大きな幸いであり、揺るがない救いの基盤である。その基盤がありながら、どうして後戻りしようとするのか、また奴隷になろうとするのかと、パウロは問いかけている。(9節)
ガラテヤのクリスチャンたちは、クリスチャンとして一人前になりたかったのだろうか。ユダヤ人クリスチャンと同じようになろうとして割礼を受け、律法が要求する行いを守ろうとした。さらには各種の日と月と季節と年を守ったのである。※日=安息日、断食日、月=新月(毎月第一日)、季節=過越しの祭り、初穂の祭り、仮庵の祭り、年=安息年(ヨベルの年)のこと等など。異邦人がユダヤ人のようになろうとして、罪の赦しという救いを受けるのに全く無力で、無価値な教えに逆戻りしていたのである。(10節)
2、パウロの悲しみと、心の痛みは大きかった。「あなたがたのために私が労したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じています。」この言葉に表されている以上に事態は深刻であったに違いない。そこで、さらに感情に訴えるように、「お願いです。兄弟たち。私のようになってください。私もあなたがたのようになたのですから」と言葉と続けた。福音を最初に伝えたその時のことを思い出して欲しいと。(11〜12節)
カギは「私もあなたがたのようになったのですから」である。異邦人の中で、異邦人と同じように過ごし、共に主イエスを見上げ、イエスをキリストと信じて救いに与って喜んだではなかったかと。パウロはユダヤ人であったが、ユダヤ人であることを止めたかのように歩んだ。そのためにユダヤ人とユダヤ人クリスチャンから激しく反発されたが、それは真理に立ち、福音の恵みに生きようとしたことである。だから異邦人クリスチャンもユダヤ人になることなど考えずに、真理にこそ生きよと。
ただ単に私を見習ってほしいというのではなく、キリストにあって新しい命に生きること、古いものに心を縛られることのない生き方をするように、キリストによって生かされていることを喜ぶ歩みをしてほしい、というのがパウロの切なる願いであった。
3、ガラテヤ地方に最初に足を踏み入れた時のことは、決して忘れられなかった。そのきっかけは、パウロ自身が予期しなかったことのようである。「私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした」とは、病のために伝道旅行のコース変更があったことを暗示している。そして彼の病とはマラリヤであったと考えられている。(使徒13:13以下に符合すると考えると、ペルガで病に伏し、療養のため高地のガラテヤ地方に移動し、そこで治療を受け、直ってから伝道したと推測できる。13〜15節))
高熱の病に加え、持病の眼病も考えられるパウロは、一見人々が近づくのをためらうかの様相を見せていたのかもしれない。熱性けいれんのような症状は悪霊の仕業という見方があり、そのような人には唾を吐いて悪霊を退けることをする、そんな地方にあってパウロは快く迎えられ、キリストご自身を迎えるかのように迎えられたのであった。人々はそれほどにキリストの福音を喜んだのである。それを思い出すのは難しくなかった筈である。それゆえ彼の思いは、今また「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています」という、うめきにも似たものであった。
(16〜20節)
<結び>子であることの幸い、それは神に知られている幸いである。このことを私たちも改めて心に刻むことができるように。信じて救われた者はもはや自分で何かを成し遂げる必要はないというほどに、神によって確かな救いに入れられているのである。
けれども教会の歴史において、人は救いの確かさを自分で確認できる方法を次々と打ち立てて来た。ありとあらゆる方法と言える位か・・・。しかしイエス・キリストの十字架と復活は、人の立てた制度や人の教えを全く打ち破っているのである。人が打ち立てたものは、必ずのように力や富を誇ることと結びついている。ユダヤ人たちがイエスに逆らい、またユダヤ人クリスチャンたちがパウロを快く思わないのは、自分たちの権威や地位が脅かされたからである。その後、プロテスタント宗教改革が起こったのも、ローマカトリック教会が富を蓄え、救いを教会が保証するかのように振る舞ったからであった。
今日もなお同じ誘惑は迫り、私たちは心してただ主イエスだけを仰ぎ続けることが求められている。その時大切なことは、私たちにとって、神に知られていることは何ものにも優る力であり、幸いであるとの確信ではないだろうか。神の知られていることによって、また神に知られていることによってのみ、私たちの歩みは決して揺らぐことはないからである。


