礼拝説教要旨(2005.02.06)
人には相談せず    (ガラテヤ 1:11〜24)
 使徒パウロがガラテヤの諸教会に関して心配していたのは、福音の理解が曲げられていたことであった。「ほかの福音」(6節)があるかのように、人々は異なる教えに走っていた。パウロは自らの立場を切々と語り始めた。「兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」
(11〜12節)

1反対者たちがパウロを非難していたことは、彼の使徒職についてである。彼の使徒職を疑い、他の使徒たちから聞いたことを宣べ伝えていながら、自分で考え出したもののように語っていると責め立てていた。こうした非難に対して、パウロは「私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません」と言い、「ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです」と言い切った。「福音」は、彼にとっては人から教えられたものではなく、自分で考えついたものでもなく、主キリストから直接受けたものだったのである。

 彼の人生で何があったのか。それはダマスコ途上での主イエスご自身との出会いであった。ユダヤ教徒として誰よりも熱心に神に仕えていた筈のパウロは、その日を境に人生の大転換をしたのである。神に仕えていたつもりが、神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていたことを思い知らされた。ショックは計り知れなかった。けれども彼は、「生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、御子を異邦人に宣べ伝えさせるために」近づいて下さったと分かると、この神の直接の介入を素直に受け入れたのである。「私はすぐに、人には相談せず」と言われている通り・・・。(13〜17節)

 人の常識によると、先輩の使徒たちに挨拶くらいあってもよかったとか、福音の内容を確かめてもよかったとかと考えるものである。「人には相談せず」と聞くと、「やはりそうか」と、一層パウロに反感を抱く人が増えるかもしれなかった。けれどもパウロの言葉は、あくまでも神に聞き従いたいとする心の表れである。神がご計画をもって自分も召して下さったのなら、その神にこそ身を任せたい、神に用いていただこうと考えたのである。生き方の根底、土台を神に据えることで、土台が一気に決まったということ・・・。

2、やがて機会が与えられたとき、パウロはケパ(ペテロ)を訪ね、主の兄弟ヤコブにも面会したと言う。誰に会い、彼に会い、と人の指示や承認を求めるのではなく、会うべき人に会ったということである。それほどに「キリストの啓示によった」ことが重要であった。彼の働きの出発点は神にあり、主キリストにあった。自分勝手な思い付きなど有りようがなかった。「私があなたがたに書いていることには、神の御前で申しますが、偽りはありません。」
(18〜21節)

 「神の御前で申しますが、偽りはありません」との言葉は、使徒職を弁明する流れで語られている。しかし、この一言にパウロの生き方の根源が込められている。神の前に偽りのない人生、これこそ彼が求め、また全ての人が求めるべき生き方である。パウロはその真実な生き方を極めようと、ユダヤ教徒として律法を守ることに懸命であったが、かえって神に敵対していたと分かって、直ちに、素直になってキリストのしもべとなったのである。迫害に燃えていた者が、今は、その滅ぼそうとした信仰、恵みの福音を宣べ伝えることに喜びを見出していた。彼の余りの変化に驚くとともに、多くの人々が、彼のことで「神をあがめる」のであった。(22〜24節)
3、パウロにとって、「人には相談せず」と「神の御前で申しますが、偽りはありません」との言葉は密接に結びついている。「人には相談せず」の直訳は「血肉には相談せず」であり、「血肉」とは霊なる神に対しての「人」を強く意識しての表現である。人のことは意に介さずとか、誰をも頼らないということではなく、神を忘れて人に頼ったり、相談したりすることなく、ということである。神に聞き従うことが先ず第一であり、その神の前に偽りなく生きることを生き方の土台としていたのである。

 全ての人にとって、神に聞くことが先行した上での「人には相談せず」が確立するなら、その人の生き方、歩み方は大いに安定し、堅固なものとなる。人を恐れず、人に媚びず、人にへつらうこともない生き方が可能となる。私たちも、自分の人生について確たるものを求めているが、そのためには神の語りかけや神の働きかけに対して、心を開き、その導きに対して「人には相談せず」聞き従うことが必要なのである。その点が定まらないと、あれを恐れ、これをためらいと、先には進めないことが起こるのである。

<結び> パウロがダマスコで主イエスと出会った後、アラビヤに出て行ったこと、またダマスコに戻ったこと、そしてエルサレムに上り、それからシリヤおよびキリキヤの地方に行ったこと、その行程の一つ一つはとても興味深いものである。「人には相談せず」であったが、神にはしっかり相談していたのである。そして、神のご計画には忠実に従っていたということである。

 アラビヤはこれからの使命を果たす上で、先ず神に祈り、神と交わりご計画を確信するための時を過ごす場所であったが、そこからダマスコに戻ったことは、彼の思いというより、神の指示と考えられる。初めの目的とは反対のことでその町に入るからである。神はより困難なところから始めよ!とパウロに命じておられたかのようである。

 その後のエルサレム行きも、シリヤやキリキヤの地方行きも、パウロにとっては困難や危険が明かな行為であった。心変わりした者としてかつての仲間と相対さなければならないのは明白であり、人としてためらいが生じることはなかったのだろうか。けれどもキリストのゆえの恥を恐れず、彼は神に従ったのである。私たちはそのようなパウロをしっかり見出すとともに、そのパウロはキリストを見出していたことを知ることが大事である。その時、この世で私たちもどのように生きたらよいかを見出すことが出来る。どこにあっても、何事があっても、主は共にいまし、最善を成して下さると信じることが導かれるからである。(ピリピ4:12〜13)