北イスラエル王国の罪にならって、南ユダ王国もまた激しく主の目の前に悪を行っていた時、主の裁きの時が近づいていた。南の王アハズヤは北の王アハブの子ヨラムとともに、アラムの王ハザエルと戦うためラモテ・ギルアデに行ったが、ヨラムは傷を負ってイズレエルという地に帰っていた。しかしその傷からか、病になり、アハズヤはヨラムを見舞いにその地に駆けつけていた。二人の意気消沈した王がそこにいたのである。
1、アラムとの戦いは一時的に休戦状態だったのであろう。その時にエリシャは若い預言者のともがらの一人を遣わし、エフーに王としての油そそぎをするよう命じたのであった。
エフーはヨラムの家来の一人で、兵たちをまとめる将校の一人であった。彼はすでにエリヤによって、やがて王となることを告げられていた人物であった。(列王第一19:16) そのことが今や実行に移されるという意味で、エリシャによる働きかけがなされるのである。戦いの最中の緊迫した時、王が傷を負って戦場を離れた時、民が動揺している時等など、いろいろな状況を考えると、その時しかない!というほどの機会を捉えて、エリシャは若い者を遣わしている。
エフー自身がどれだけ計画し、準備していたかは定かでない。しかし、若い預言者の到着と油そそぎ、そして他の家来たちへの公表によって、謀反は一気に成功し、いよいよヨラムとの対決へと向かうのであった。
2、ヨラムにはエフーの謀反のことは何も伝わらなかったようである。エフーの軍勢が迫って来るのを見ても、戦況報告に来たという位に受けとめていた。ヨラムは兵を迎えにやって労をねぎらうよう尋ねさせている。その兵が帰って来なかったので二人目を送り、二人目の兵も帰って来ないと分かった時、異変を感じて自ら出て行ったものの、それでもまだ自分の身に及ぶ事柄を悟ってはいなかった。
ヨラムはエフーと相対して言葉を交わし、エフーの激しい言葉を聞いて、ようやく謀反を知り、慌てて一緒にいたアハズヤとともに逃げ出したが、エフーが放った矢はヨラムの心臓を射抜いた。
エフーは、主がエリヤを通してアハブに告げていた言葉を思い出していた。(列王第一21:16、19以下) 彼は、アハブがナボテの畑を取り上げ、勝手に自分のものとしたその時、その場に居合わせ、エリヤからの主の言葉を聞いていた。その主の言葉の通りに行い、更にアハズヤを追い、イゼベルに迫り、かつて主が告げられた通り裁きが下されたことを、彼自身が知ることとなった。
3、一つ一つそこで繰り広げられていたことは、目を覆いたくなる惨劇であった。残忍で痛ましいことの連続である。「主がエフーを用いてユダとイスラエルに裁きを下された。」などと簡単に口にしてはならないほどの悲惨さである。私たちが知るべきことは、「あなたは殺してはならない。」との戒めであり、正しいことのために悪を退け、滅ぼしてもよい・・・・と、人が勝手に言い張ることは慎まねばならない、ということである。
私たちが学ぶべきこと、心すべきこと、それは、生きておられるまことの神がおられ、その神こそがまことの王の王、主の主であられることである。この方が一切のことを支配しておられる。この世の王たちも含めて、全ての人はまことの神にこそ服し、従い、この方の前に心を低くして生きることを最高にして最大の関心事とすべきなのである。
エフーは、この後なおも激しくアハブの家への攻撃をしている。バアル礼拝を打ち砕くことにおいて徹底していた。そのことは良いとしても、肝心なことは、彼自身がまことの王の王である方を真実の恐れることであった。けれども彼は、ヤロブアムの罪からは離れなかったと記されている。(10:30〜31)
今日の私たちにとっても、大切なことはまことの神に真実に従うかどうかでる。知らず知らずの内に自分を神の座に着けてしまう罪、それはいつの時代にも、だれでもが陥る罪である。
<結び> 箴言16:1〜5のみ言葉は、目に見える事柄の一切を支配しておられる神のいますことを明言している。「人は心に計画を持つ。主はその舌に答を下さる。人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。主はすべて心おごる者を忌みきらわれる。確かに、この者は罰を免れない。」
ユダとイスラエルの歴史を振り返る時、このみ言葉の通り神のご計画は寸分の狂いなく実現していることを知らされる。神は語られたこと、約束されたことを果たされるのである。罪に対する裁きは必ず下されていると同時に、従う者への報いは、人の思いをはるかに越えて豊かである。
私たちにとって大切なことは、裁きにおける神の真実さに心震えることではなく、罪の赦しにおける神の真実さに心安らぐことである。「恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。」と言われているように、主はご自身の恵みとあわれみの豊かさによって、ご自身に近づく者をしっかりと立たせて下さるのである。(箴言16:6)
◎まことの王の王、主の主が今も生きておられることをしっかり心に刻んで、主を恐れて日々歩む者にしていただきたい!!
(※アハズヤはエルサレムで墓に葬られている。それはダビデに約束されたともしびがなお消えていないことを示す証しであった。南の王国は罪に苦しむが、また神に立ち返る王が起こされ、その後の歴史を刻んでいる・・・・。) |
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