礼拝説教要旨(2003.11.09)
油のつぼ一つ
(列王記第二 4:1〜7)


 列王記第二4:1〜8:15は、エリシャの預言者活動について記している。必ずしも年代順というわけでなく、エリシャの働きの特徴的な出来事を記し、彼を通しての神の働きを明らかにしている。

1、エリヤそしてエリシャが活躍した当時、北イスラエル王国は栄えていた。オムリ王朝と言われ、オムリーアハブーアハズヤーヨラムと続いた王国は富を蓄えていた。しかし、一方で栄えているとき、他方では不当に虐げられたり、貧しさに苦しむ人々がいるのは世の常である。そのような不当なしわ寄せが預言者のともがらの妻のひとり、やもめとなった婦人に押し寄せていた。

 夫を亡くしたこの婦人は、貸し主からの請求に応えられず、とうとう二人の子どもを奴隷として連れて行かれるところに追い込まれていた。(1節)

 これは一体何を物語っているのか・・・・? 恐らくこのやもめ一人が困窮していたというだけでなく、預言者のともがらと言われている集団そのものが貧しく、エリシャも含めて苦労していたということである。実際、王宮付きの預言者がいて、彼らは比較的裕福にしていた反面、貧しさに耐える預言者たちは借金しながら生きていた・・・・というのである。多くの預言者たちが心を探られ、また揺さぶられながら生きていたのである。(※王自身が貸し主であったとも言われる。王宮付きの預言者でありながら、なお主を恐れるオバデヤという人もいた・・・・。列王第一18:3)

 このやもめは自分の窮状をエリシャのところに来て訴えた。困ったとき、一体だれに訴えるのか、この点はとても大事である。エリシャに・・とは、生ける神に・・に通じることであった。

2、エリシャは彼女に「何をしてあげようか」とたずね、そして「あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」と問うている。困ったとき、行き詰まったとき、人は自分では何をどうしてよいのか分からなくなるもの・・・・。自分で何をしたいのか、人に何をして欲しいのか、考えるのもイヤ! 考えたくもない!! となってしまう。それでも人にとって大事なことは、自分で考えることであり、自分が求めているのは一体何なのか、何ができるか、今何を持っているのかなどを思いめぐらすことである。

 主イエスもご自分のところに求めて来る人にたずね返しておられる。また自分の求めの定かでない人に・・・・。盲人に(ルカ18:41)、病人に(ヨハネ5:6)。

 やもめはエリシャに答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」(※この油は薬用として使うもので、暑さをしのぐために身体に塗るものという。オリーブ油のようなものか・・・・。つぼは小さな物、口語訳は「一びんの油」。2節) 彼女は何もないと言ったが、油のつぼ「一つ」があった。「一つしかありません」と言うが、神のみ業が現れるには、その「一つ」で十分であった。

3、エリシャは彼女に、外に出て行き、まわりの人々から、からの器をできるだけ多く集めて来るようにと命じた。(3節) ここでも、肝心なことは他人まかせではなく、あなたが出て行き、自分で借りて来なさい、という意味合いが込められている。(「借りて来なさい。」:あなたが、自分で・・・・)

 隣の人から一つ二つ借りて来ればよい・・・・というのではなかった。多くの人から、借りられるだけ借りて来なさい・・・・というのである。エリシャを信じ、そして生きておられる真の神を信じて、その言葉に聞き従うことが求められていた。彼女の真剣さ、忠実さ、そして必死さが問われていたのである。

 彼女はエリシャに命じられた通りにした。言われた通り、戸を閉じて、器に油を注ぎ続けた。すると残っていたわずかな油は尽きることなく、用意した器すべてを満たしたのである。エリシャが目の前にいて何かをしたというのでなく、言われた通りに彼女がしたとき、器は油がいっぱいになった。
 →言葉の通り、信じて行ったとき、奇跡が起こった・・・・。

 彼女はその油を売って負債を支払うことができた。それでもなお残った油で彼女と子どもたちの生活が支えられるというのである。(7節)神のみ業は完全かつ満ち足りるものであった。

<結び> この出来事は私たちに、困難に直面したとき、迷うことなく神に祈ること、神にこそ助けを求めることを教えてくれる。問題が生じたとき、どこに向かうのか、何に頼るのか、だれに相談するのか・・・・、それによって答えは全く違ってくるのである。信仰の仲間、信仰の先輩、そして神ご自身・・・・。

 また祈るとき、自分は何を求めているのか、どのようにして欲しいと願っているのか、自分にとって一番肝心なのは何かなどを、神の前に知っていることはとても大切である。
 ・求めが余りにも漠然としていることがある。
 ・また自分には何もない・・・・と思っているときでも、自分に有るもの、与え  られているものに気づくことはカギとなるのである。

◎やもめは、油のつぼ一つしか・・・・と言ったが、その一つを用いて神は一切の解決を与えられた。私たち一人一人にすでに与えられ、備えられている「油のつぼ一つ」を神によって示され、用いていただき、そのようにして神に従う道を歩むこと、それが私たち課題である。

◎神は私たちの人生をも、何の不足なく、守り支えようとしておられる。たとえ今持っているものは小さく、取るに足りないと見えても、神は私たち一人一人を豊かに祝し、生かしてくださる。神に信頼して、祈りつつ歩ませていただこう!!