夜明けとともに慌ただしく召集されたユダヤ人の議会は、イエスに対して神冒涜の罪による死刑判決を下した。そして直ちにローマの総督ピラトのもとへとイエスを連れて行った。ユダヤ人たちには自らの手で刑を執行する権限がなかったからである。
1、取調べはユダヤ人たちの手からローマ人の手に渡った。それはユダヤ人たちによる宗教裁判からローマ人による国家の治安に関する司法裁判に移るという内容の変化であった。ルカ福音書はこの後の裁判の方をより詳しく描いている。まずピラトの前で、次にヘロデの前で、そして再びピラトの前で・・・・。
ユダヤ人たちはあれほど神を冒涜したと怒った割には、ピラトの前では全く違う罪状でイエスを訴えている。
「この人はわが国民を惑わし、カイザルに税金を納めることを禁じ、
自分は王キリストだと言っていることがわかりました。」(2)
彼らは、イエスをキリストではない、神の子でもないとして退けたのであるが、今ピラトに訴えるには、「自分は王キリストだ」と名乗る危険人物だと言うのである。ようするに神冒涜罪ではピラトの前で死刑判決は得られないと分かっていたので、イエスはローマ皇帝に背く危険な人物で、裁かれるべき・・・・と訴えたのである。
ピラトは「あなたはユダヤ人の王ですか」と問い、イエスは「そのとおりです」と答えておられる。それは実にあっさりと「あなたの言うとおりです」と答えられただけであった。しかしそれは取調べをするピラトに向かって、「あなたはわたしのことをどう思うのか、だれと言うのか?」という問いかけを含むものだったのである。※参照ヨハネ18:34
2、ピラトはイエスを取調べたものの、ユダヤ人たちが訴える罪状を認めることはできなかった。かえって自分の内側を探られる何かを感じていたようである。そして彼が下した結論は、
「この人には何の罪も見つからない。」であった。
ピラトは、イエスが王であるかどうかを探ることなく、自らを王と言っているだけなら、そしてこれまでのイエスの行動を知る限りなら、何の害もないと考えたのである。ところがそれではユダヤ人たちは収まらず、その収まらないユダヤ人たちの手前、丁度エルサレムにヘロデが来ているというので、そのヘロデのもとにイエスを送って、取調べさせようとした。自らの責任を回避したかったのである。(他の福音書によると、妻の進言でイエスには関わらないようにしたかったようすが記されている。マタイ27:19)
ヘロデは自分のところにイエスが送られてきたことを喜んだ。何か奇跡が見られるか・・・・と。彼はいろいろ質問したが、イエスは何も答られなかった。単なる好奇心からだけ近づく者に答えることは、決してなさらないのである。腹を立てたヘロデは、兵士たちと一緒になってイエスを侮辱し、嘲ったあげく、はでな衣を着せてピラトに送り返した。自分で王と言うなら、王の衣装を着せてやろうとばかり、皮肉や嘲りを込めてはでな衣を・・・・。
ピラトもヘロデも、イエスが王なのかどうか、少しは気になったはずである。けれども、自分が考える王の姿とはあまりに異なるイエスを見て、何の恐れも関心も抱かなかったのである。王であるはずがない!とばかり・・・・。その卑しさやみすぼらしさにばかり目がいったのであろう。そしてこれ以上何の興味もないと退けてしまった。
3、ルカ福音書はこのように権力による取調べのようすを描くことによって、実際にはピラトとヘロデの側にこそ罪があったことを指摘している。そして読者に問いかけるのである。
・まことの王であるイエスを目の前にして、そのイエスを王と認めない罪は重い!と。
ピラトは早々と、イエスには何の罪も見つからない、と告げていたが、自分が出すべき答は回避していた。罪のないイエスは何者であるか、この方と今向かい合っているこのときこそ、答を見いだす幸いな機会だったのである。
・イエスはまことの王にいます方。全世界のすべての人がこの方の支配の下に服すべき・・・・と聖書は語っている。
ピラトもヘロデも自分たちが上にあるとばかり権力を振りかざしていた。その点ではヘロデの方がより露骨で、自分の興味が満たされることを求めてだけイエスに接触していた。イエスがヘロデに何も答えられなかったのは、まことの王に対するそのような態度は全くの筋違いだったからと言える。
・案外私たち自身がそのような間違いを知らず知らず、いや、時には気づいていながら犯しているのかもしれない。
<結び>この世での日々の生活、歩みにおいて、私たちの方が王になってしまっていて、主イエスを従わせようとしてはいないか・・・・という問題である。主イエスを信じますと告白しながら・・・・。
主イエスは一貫して、ムリヤリ私たちを従わせようとはなさらない。そのことをいいことにして、私たちの側は自分の思いのままを突き進んでいることがある。そのようなことが多い・・・・。
自分に仕えてくれる神を求め、自分に幸いをもたらしてくれるようにと祈ってしまう。それは自分が王になっているからであり、そのようなとき、必ず高ぶりの罪を犯すことになる。※参照コリント第一 4:7〜8
◎私たちは生きているすべてのところで、イエスを王として認め、この方に従う信仰を追い求めたい。その信仰が私たちを導き、イエスの清さや愛の豊かさなど、イエスに似る者と私たちを変えてくれるのである。変えていただきたい!
◎所沢聖書教会はイエスを王と信じ、告白して歩んで来ただろうか?
・1957年〜・・・・:ベネット宣教師 1968年〜:横山幹雄師 1969年〜:ソルトー宣教師
・1970年〜:横山師 柳:'70年5月から奉仕に関わり、'71年4月から伝道師に。
・1975年2月:長老教会加入。1979年5月20日:長老を立てて教会設立。
=丁度この'75年から'79年の間が「激動の時代」だったか・・・・=
土地購入(77〜78年)、会堂建設:第一期(78.4)と第二期(78.11)、教会設立と 続く(79.5.20)。
・1986年4月:川越開拓伝道開始、7月:伝道所開所式。
・1994年4月:川越独立、 7月:川越分裂。
◎この出来事以来、少々臆病になっているかもしれない。何か特別のことをすることには消極的になっている。そんな状況の中で、2001年12月隣地購入がなり、2002年7月14日牧師館が与えられ、感謝礼拝をささげた。
◎特別に何かをすることより、主に従ってしっかり歩み続けることが求められているのか・・・・。また、何かを残すこともいらないのかも・・・・。
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