
天と地を造られた神が、本当の意味で私たちを守る方であることを知る
毎年、お正月にはどこそこの神社仏閣に大勢の人たちが詰めかけて、チャリンとお賽銭を投げ入れては、パンパンと手をたたき、神妙な顔をして手を合わせる光景がテレビなどで映し出されます願いは人それぞれでしょうが、やはり新しい年、つつがなく、災いに合わずに過ごせるように、神仏のご加護を祈る人が多いのではないでしょうかハイテクの時代になっても、心のどこかには、人間の力を超えた何かにすがりたい、そのご加護を願う気持ちがあるのではないでしょうか尊いことです現代人にも、そのような「信心」が残されていることは、神の恵みです文明が進み、技術が発展すると、人は、何でもできるような錯覚に陥り、傲慢になって、まるで自分の力で生きているかのように思ってしまいがちですしかしイエス様は言われましたルカ12:25-2612:25 あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか12:26 こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですかいのちは、神のものです神に生かされて、初めて生きることのできる人間です
いのちを支える環境や、自分自身の健康など、神が全部お膳立てしてくれて、舞台が整った上で、人はあれをやり、これをやり、と自分がよいと思うこと、やりたいことができるわけです体の仕組み一つとっても、寝ている間にも心臓を動かし、呼吸が止まらないようにしているのは、自分の意思ではありません神が、私たちを愛し、私たちのいのちを慈しんで、そういう仕組みを与えておられるのですですから、いのちの与え手また支え手である神に、改めて感謝を捧げるとともに、また新しく明けた2023年の年に、いっさいをお造りになった神の守りを祈り、神のご愛を覚え、神への信頼をもって歩み出したいと願います
今日の詩篇121篇は「都上りの歌」と表題がありますこれは巡礼のためにエルサレムに上る人が作った詩と言われます昔、イスラエルには三大祭りというものがあって、イスラエルの人々は、年に三回、各地からエルサレムに上ってきて、そこあった幕屋、または神殿で、神の救いのみわざを思い、あるいは収穫をはじめとする、日ごろ受けている恵みを感謝して、特別な礼拝を捧げることになっていましたその巡礼者の歌と言われています古来、これは信仰者が、天の都を目指す地上の旅路と重ねられてきました私たちは、天の都―真の礼拝所―に向かって、この世の旅路を歩んでいる者この世では寄留者と言われます年の初めに当たり、まずこのことを覚えたいと思います人生の方向性、向かっている目的地を確かめましょう人生には、目指すべき目的地があるのです人生の終着点、それは天です神の御前で永遠に神を喜び、礼拝するのです天地を造られた神は、最終的にはすべてのことが神の栄光に流れ込むようにと定めておられます信仰者の地上の歩みは、天の真の礼拝所に向かう巡礼の旅心を天のゴールに向けて、一歩一歩、歩を進めましょう
121篇の本文に入ります旅を進めていくうちに、あるとき、目の前に立ちはだかる山々(原語は複数形)を見て、ふと、不安がよぎったのでしょうか巡礼者は「私は山に向かって目をあげる私の助けは、どこから来るのだろうか」(1節)と思わずつぶやきます注解書などは、この「山」をシオンの山(エルサレムを指すことが多い)とするものが多いようですが、私は、単に目の前に立ちはだかる山々ととった方がシックリ来るように思います目的地がもうすぐというという所に来て、私の助けはどこから来るのだろうか…、という思いが起こるのは、不自然な感じがしますまだまだ道半ば。目の前に立ちふさがるこの山を越えていかなければならない当時の旅は危険がいっぱいでした快適な交通手段も宿もレストランもありませんお巡りさんもいません。山賊が出没し、狼のような獣もいます泊めてくれる人が見つかればいいですが、そうでなければ野宿ですそれに、食べるもの、飲む水も、ちょうどよい具合に補給することができるか…私たちもそういうときがないでしょうか何かの時に、ふと、不安がよぎるということ特に今の時代、世界情勢、経済情勢、社会情勢は、テレビやネットでも不安をあおるものが多いようです
そういうときにこそ、私たちは天地を造られた神に立ち返って、改めて、神を拠り所とする必要があるのではないでしょうかこの巡礼者は、不安がよぎったその次の瞬間、そうだ、そうだった、と主に立ち返りました2節「私の助けは、天地を造られた主から来る」目の前にそびえる山々から目をさらに上にあげて、それらの山々を含めてすべてのものをお造りになった神に目を向けるそしてそこから、助けが来る神は私を助けられる!との信仰に至ったとき、彼の魂は息を吹き返しました3節「主はあなたの足をよろけさせず、…」主は、私の足を強めて、山を越えさせてくださる私たちの信仰の歩みにおいても、フラフラとよろめくことがあるかもしれませんしかし主はそのときにも、全能の御力と尽きない慈しみによって、守り、支えてくださるたとえいったん、倒れたとしても、また立ちあがらせてくださるそして巡礼の旅を続けさせて、全うするまで守ってくださる「…あなたを守る方は、まどろむことがない見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない」当時の旅で一番、危険なのは夜でした眠っている間は無防備になります盗賊や悪い獣に、寝込みを襲われたら、ひとたまりもありません
かといって、眠らないわけにはいかないしかし、彼は自分が眠っている間も、自分を守る方は、まどろむこともない、と思い至りました自分の力だけで、身を守っているのではなかった一人ではなかった天地を造られた主が、二四時間365日、眠らずに守っておられるまるで、全世界を造られた方のご愛を一身に受けているかのように、神が片時も離れることはなく、一瞬のスキもなく、守っておられると思い至ったのでしょうそのことを自分に言い聞かせるように、神への信頼を鼓舞するように、自分の心に向かって語りかけます5節以下、続けて、主が、自分を守る方であることを覚えます「主は、あなたを守る方…」遠く離れて無関心でいるのでなく、守る方守る力と意志をもっている方として、主を覚えます「主は、あなたの右の手をおおう陰」「右の手」は利き腕「陰」は保護を表します6節「昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。」激しい暑さによる熱射病の危険からの守りまた古代、月の光は人の理性を狂わせるという言い伝えがあったそうです詩的な表現ですが、実際に身近なことでもあったでしょうそして最後7-8節主の守りの確信は極まります
「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる主は、あなたを行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる」まだ巡礼の地に向かう途中ですが、巡礼の旅の帰りまでも、いやその先も、いついつまでも、とこしえに守ってくださる、と主の確かな守りを誇らしげに歌います私の助けはどこから来るのだろうか、とつぶやいた巡礼者は、いつしか、ここまで主の守りを確信するように変えられていました聖霊なる神のみわざです
8節の「いのち」とは、単に地上のいのちのことではなくて、神とともにある永遠のいのちのことでしょうその真の、永遠のいのちを与えるために、天地の造り主なる神は、御子を救い主としてお遣わしになりました主はご自身の民を徹底的に、絶対に守る方どれほど高価な犠牲を払ってでも、「あなたのいのちを守られる」方です主が私たちを守ろうという、その御意志の真剣さ、本気度ですから、誰も神の御手から、私たちを奪い取ることはできませんヨハネ10:28-29、新約p. 19910:28 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません10:29 わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大ですだれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません神の愛する民の真のいのちは、天地がひっくり返っても、失われることがありません使徒ペテロも言いましたペテロの手紙第一1:5、新約p. 452あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いをいただくのです
「 真実(まこと)なる主の手に ただ任せよ 汝が身を 」新聖歌 298番このわずか8節の詩篇の中に、6回も「守る」という言葉が出てきますそれは一面、巡礼者が感じていた不安の大きさを表すものでもあります何の心配も恐れもない人は、こういうことは言いませんこの巡礼者も、自分のうちに恐れや不安を抱えながらも、神の恵みにより、このような信仰へと導かれて、旅を続けることができたのでしょう2節がターニングポイントでした聖霊がそのとき、働かれたのでしょう私たちもそのような聖霊の助け、導きの豊かにあらんことを、と願いますカルヴァンは、「『神は常に私たちのために見張りをしておられる』というこの教えが、私たちの心の奥深く根を下ろすようになり、ただ神の保護にのみ拠り頼む者となる」ようにと勧めています神の守りは、私たちが意識しているよりも、ずっと身近に、リアルに働いていますイエス様も仰いました神のお許しなしには、雀一羽、地に落ちることはないまた私たちの髪の毛の数まで、みな、神は数え上げておられる空の鳥を見よ神は空の鳥をさえ養っておられる野のゆりを見よ神は野のゆりさえ、美しく着飾っておられる
ましてや、あなたがたに、よくしてくださらないはずがあろうか、、、とイエス様は至るところに神の御手を見ておられましたもちろん、天の都に向かう巡礼の旅の道中に、さまざまな経験をすることでしょうあのこと、このこと、巡礼の旅の途中に心に積みあがった、すべての思いを抱えて、最後に神の御前に出ますそのとき、それら地上で経験したことがすべて、本当の意味で神の守りの中にあった事を知り、本当の意味で守ってくださる方として、神を心から礼拝するに至るでしょう詩篇84:5-7、旧約p. 99084:5 なんと幸いなことでしょうその力が、あなたにあり、その心の中にシオン(ここでは神の御座)への大路のある人は84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします初めの雨もまたそこを祝福でおおいます84:7 彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れますまたローマ8:28、新約p. 302神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています天地を造られた神は、御子をくださるほどに、私たちを愛しておられますこれは確かなことです
そして神は、私たちの父となってくださり、私たちに対して慈しみにあふれている方です天地を造られた全能の神である方が、私たちを愛してやまない天の父ですこの神に、心を尽くして拠り頼め、と聖書は命じます神は御子をさえ、私たちのためにお与えくださった方だから、また御子自身、私たちのためにいのちを捨ててくださった方だからです「主よあなただけが、私の拠り所です」と告白して、主にお委ねしつつ、歩みましょう