礼拝説教要旨 2004年10月31日
=宗教改革記念日=
地上の王国の滅亡
列王記第二 24章1節~25章30節

ヨシヤ王の改革によって、南ユダ王国に真の神礼拝が取り戻されたかに見えたものの、主の激しい怒りは静まることはなかった。

国中に広がった偶像礼拝や主への背きは、もはや取り返しのつかない状態に陥っていたからである。

アッシリヤに代わってエジプトとバビロンが勢力を増した中、ヨシヤ王はエジプトに反抗して敗れた。

次に王となったエホアハズとエホヤキムの時代、ユダはエジプトの属国となってしまった。

主に頼る道を選び取ることなく、近隣の強国を頼ることに心を傾けていたのである。

一、主に頼ることを後回しにした王たち

主はこの時代にも預言者を立て、あくまでも主に頼ることを説いておられた。

エレミヤ、ハバククなどの預言者たちである。

そして裁きとしての近隣諸国からの攻撃を通して悔い改めを迫り、主への立ち返りを促し続けておられた。

にもかかわらず、王たちは諸国の力を当てにして、主に頼ることは後回しにし続けていた。

エホヤキムは、エジプトの力の空白を突いて攻め上って来たバビロンの王ネブカデネザルの勢力下に入ったのも束の間、三年後に反逆した。

そのためにバビロンは一層激しくユダを攻撃することになり、もはや抵抗の余地がないくらいに攻められ、ユダ王国は敗北した。

最初の攻撃の時、すでにユダの人々がバビロンに連れ去られており、これが第一回バビロン捕囚である。

今回はエホヤキムもバビロンへ引いて行かれたと記されている。

二、エルサレムの陥落へ

ユダの人々はなおもエホヤキンを王として立て、王国の存続を図った。

しかし彼もまた主の目の前に悪を行い、主の怒りは静まることはなかった。

バビロンの王はエルサレムを攻め、これを包囲し、降伏したエホヤキンと家来たちを捕虜とした。

ネブカデネザルの治世の第八年のことである。

これが第二回バビロン捕囚であり、紀元前597年のことであった。

この時の敗北は壊滅的であり、人も財宝もバビロンへ捕らえ移されてしまう激しいものであった。

ユダ王国の主要な人々と財宝をバビロンに移した後、バビロンの王はエルサレムに残った人々を治めさせるため、ゼデキヤを王として立てた。

彼はバビロンの意に従う王であったが、やがて反逆して、彼もまた退けられてしまうことになった。

ネブカデネザルはエルサレムの宮はもちろん、家々を焼き、建物や城壁を取り壊した。

主の宮の器具などあらゆるものを奪い、多くの人々とともにバビロンに捕らえ移してしまった。

これが第三回バビロン捕囚であり、紀元前586年のことである。

三、滅亡の中で知らされる真の拠り所

ダビデに始まった神の民イスラエルの統一王国は、分裂を経て、とうとう滅亡を迎えてしまったのである。

神に立ち返る王が何人も起こされていながら、罪を繰り返し、主なる神の怒りは静まらなかったのである。

「ユダを主の前から除くということは、実に主の命令によることであって、それは、マナセが犯したすべての罪のためであり、また、マナセが流した罪のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たした。そのため主はその罪を赦そうとはされなかった。」

裁き、そして王国の滅亡は主の命令によること、ご計画のとおりということは何を意味しているのだろうか。

国を滅ぼすことがよしとされているとは、何ということだろうか。

国の存続や繁栄は、心を低くして主に拠り頼む者に約束されているというのが、預言者たちによる一貫した神からのメッセージであった。

諸国による脅威に遭う時、王も民も真に神に拠り頼むことへと招かれていたのである。

すなわち今ついに国が滅んだなら、今こそ頼るべきは真の神のほか何もないことを知るように、主は人々を招いておられたのである。

結び

私たちは、神が聖書を通して明らかにしておられるメッセージ、救いへの招きは、本来どのようなものなのか、改めて確認することが大切と気づかされる。

神の民にとっての真の幸い、人としての最も肝心なことは何かと、よくよく考える必要がある。

この地上の事柄にすべてを任せてよいのか否か、問われているのである。

王たちのほとんどが地上の王国の繁栄を求め、そのためには自らの力や諸国の富や力を当てにした。

しかし主は預言者を遣わして、「わたしに頼れ」と語っておられた。

主に拠り頼む者は、地上の命が尽きたとしても天のみ国に入れられる、真の命に生きる者となると。

私たちは知らずして、地上の命こそすべてと勝手に思い込んでいるのではないだろうか。

しかし、地上の命、地上の国は一時的なものと知るべきである。

一時的ではなく、永遠に続くもの、永遠の命にこそ心を傾け、永遠に滅びない事柄に目を向けるように、主は人々を招こうとしておられるのである。

国が滅びるなど、あってはならないこと、認めたくないことと私たちも考えるかもしれない。

また人が突然のように死を迎えるなど、神は一体どこにいるのかと叫びたくなる。

けれども神ご自身は、「あなたの本当の拠り所はどこにありますか」と問うておられる。

永遠に続くものにこそ目を留めるよう導いておられる。

地上の国が滅びても、そして地上の命が尽きたとしても、永遠のみ国に招いてくださる神がおられるのである。

その神を信じて地上の生涯を全うする者として歩ませていただくこと、それこそが私たちにとっても、主の言葉に聞き従う道なのである。