主に忠実な王として歩んだヒゼキヤに代わって、その子マナセは全く正反対に主の目の前に悪を行い、父の改革を台無しにした。
その悪政は五十五年に及び、さらにアモンに引き継がれ、ついに民衆はアモンに謀反を起こした家来たちを退け、八歳のヨシヤを王として立てた。
民衆の中には主を呼ぶ人々がなお残されており、そのような民衆が新しい王の登場に期待を寄せることになったのである。
「長い背教の治世が続いた後、干からびた大地に、恵みの雨が降り注ぐような治世が、アモンの子ヨシヤによって行われた。」
このように表現されるほどに、ヨシヤの登場は歓迎されていた。
国中が偶像礼拝の悪に染まり、主の宮に異教の祭壇が築かれていた中での登場だったからである。
先に七歳で王となったヨアシュにはエホヤダという後見人がいたが、このヨシヤにはそのような立場の人物がいたとは記されていない。
それは導く者がいなかったということではなく、かえって周りに複数の導き手がいたことを暗示しているのかもしれない。
こうして彼は主を恐れる信仰を育まれ、主の道からそれることなく成長し、十六歳になって、はっきりと神を求め始めたと記されている。
さらに二十歳になって偶像の一掃に着手し、二十六歳になって、すなわちヨシヤ王の十八年に主の宮の破損の修理に取り掛かった。
彼は自らの責任において、一つ一つ主の目にかなう改革を進めようとした。
書記シャファンや大祭司ヒルキヤら、その名を記されている人々はヨシヤの改革に重要な働きをしていた。
しかし、ヨシヤ自身の明確な信仰と、その信仰に基づく改革の意志が、すべての鍵を握っていたのである。
偶像の一掃と主の宮の修復に表されたヨシヤの改革の意図は、真実な神礼拝の回復であった。
主の宮が汚され、偶像が国中にはびこってしまった現実を、何としても改善したいと考えたのである。
資金が必要となり、資材も、そして働き手となる人々も必要であったが、みな備えられ、人々は仕事を忠実に行った。
その仕事を果たす中で、大祭司ヒルキヤは主の律法の書を発見したのであった。
見つかった「律法の書」は、神殿用のもので、神殿の金庫の底に隠されていたようである。
「私は主の宮で律法の書を見つけました」との報告は、それまでその律法の書が失われ、ないがしろにされていたことを意味している。
神殿での神礼拝は形式だけで、空しく繰り返されていただけであった。
ヨシヤは、書記シャファンがそれを読み上げた時、主のことばとしてそれを聞き、自分の衣を裂いて罪を悔いるのであった。
読まれたのは、申命記28章1節以下のような箇所と思われる。
驚きをもって主のことばを聞いたヨシヤは、国の現状は、主に聞き従わない国に対する主の裁き、主の怒りの現れと気づいた。
それゆえに、今こそ正しく主のみこころを知りたいと、ヒルキヤやシャファンたちを女預言者フルダのもとに遣わした。
フルダは主の御告げを告げた。
主のことばのとおり、エルサレムとそこの民に裁きが下ること、しかし主の前にへりくだったヨシヤの願いは聞かれるということであった。
この頃、預言者エレミヤも活動していたが、ヨシヤの思いはエレミヤの主張と少しずれがあったのかもしれない。
主の前に罪を悔い、心砕かれたヨシヤは、長老たちを集め、エルサレムの住民のすべて、民のあらゆる人々を集めた。
そして主の宮で、律法の書に記された主の契約のことばを彼らに読み聞かせた。
主がよしとしたもうことに、国を挙げて従いたいと願ったのである。
彼は一層偶像を退け、高き所を取り除き、主の宮にあった異教の祭壇を壊し、主が忌み嫌われることを止めさせることを徹底した。
ヨシヤ王の改革のクライマックスは、過越しのいけにえをささげることであった。
真の神礼拝は過越しの祭りにあることを悟り、生ける真の神、主が民を救い出してくださったことを代々にわたって覚え続け、祝い続けることを取り戻そうとしたのである。
過越しの小羊による神の民の救いは、主キリストの十字架のみ業による罪の赦しと救いを指し示すものである。
この過越しの祭りを国を挙げて行うことは、大きな意味を持っていたのである。
「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王はいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。」
これは最高の賛辞である。
しかし、彼の貢献にもかかわらず、南ユダ王国もまた滅びの道を免れることはできなかった。
国中に広がった罪は根深く、神は怒りを鎮めようとはされなかったのである。
ヨシヤはエジプトとの戦いに敗れ、命を落とした。
エホアハズ、エホヤキムと王位は継承されたが、彼らはエジプトの支配下にあり、国は弱体化していた。
アッシリヤの脅威は弱まり、エジプトやバビロンが勢力を増していたのである。
ヨシヤは「主に立ち返った王」として賞賛されている。
若い時から主を求め、主に忠実に歩もうとしていた。
改革の実も結んでいた。
けれども国は滅びの道から逃れられなかったという事実は、とても重いものを私たちに突きつけている。
私たちは何を学ぶことができるだろうか。
彼は確かに「主に立ち返った王」であるが、民の服従を求めるあまり、その手法がやや強引であったと考えられている。
過越しの祭りはこれまでにない盛大な祭りとなったが、それは国家的な行事としての祭りとなった。
一人一人の家庭や個々人の心の内で主を礼拝することを尊ぶという配慮は、欠けていたのである。
心ある民の家庭での過越しの祭りは行われていたと考えられる。
制度的な官製の礼拝が王によって強制されるより、一人一人の信仰の大切さを改めて心に留めることができる。
今日、私たちは一人一人が自ら聖書に聞き従い、心の内を主によって探っていただき、日々の歩みを正していただくことが肝心なのではないだろうか。
他人から強いられて歩みを正すのではなく、自らみことばに聞き従い、主に立ち返ること、そのことを日々繰り返すことが力になるのである。
そのようにして「主に立ち返った」一人一人が共に集い、力を合わせて歩み続ける時、主のみ栄えが現されるのではないだろうか。