礼拝説教要旨(2021.01.24)
旅を続け
(創世記35:1−15) 横田俊樹師 
<今日の要点>
どんなときにも、主とともに人生の旅を続ける。

<あらすじ> 
シェケムでのあわや一家全滅…というところを、神の方から語りかけて下さったおかげで、眠っていた信仰が目を覚まし、一族の宗教改革を決行したヤコブ。
今にも飛びかかってくるかと思われた周囲の住民たちが取り囲む中、神の守りのうちに脱出することができ、主のご指示通りにベテルに行くことができました。
そこで祭壇を築いて神への感謝の礼拝をささげたヤコブに、神は改めて、祝福の言葉を与えられました。

物質的な豊かさを求めるうちに、いつのまにか、危うく主のもとから迷い出て滅びの道に行ってしまいそうなところを、羊飼いなる主が引き戻して下さったのでした。
ヤコブは悔い改めて、仕切り直しです。
仕切り直しをさせて下さる主の恵みをありがたく思います。

それからどれくらい経った頃でしょうか。
ヤコブはそこからエフラテという所、のちのベツレヘム方面に向けて出発しました。
どういう理由でかは書いてませんが、遊牧民ですから、牧草がなくなったのか、群れが増えすぎて手狭になったかでしょうか。
いづれにせよ、このとき、ラケルは待望の二人目をおなかに宿していましたから、すでに高齢でもあり、本来なら無理をさせないところでしょうから、やむにやまれぬ事情だったのでしょう。

ベテルからエフラテまで約20キロ。
時速4キロで歩いて5時間で着く程度の距離ですから、それほど遠いわけでもなく、休み休み行けば、と思い切って出発したのかもしれません。
しかし、その無理がたたってしまったのでした。
途中、エフラテまでまだだいぶ距離があるところで、ということは、出発して間もなく、でしょう、ラケルは産気づき、ひどい陣痛に襲われました。
出産は命がけと言いますが、当時のことですからなおさらでしょう。
助産婦が懸命に励まし、手を尽くしますが、力及ばず。
最期にラケルは、「この子はベン・オニ」(「わが苦しみの子」の意)と呼んだと言います。

どういうつもりで言ったのか。
しかしヤコブはいくら何でもそれでは、、、ということで似たような発音の「ベニヤミン」(「右手の子」の意)と名付けました。
右手は力、栄光を表します。
力也くん、栄太郎くん、と言ったところでしょうか。
こうしてラケルの魂は、彼女の体から離れ、地上から去って様ったのでした。
まさか、まさか、まさか、、、。
こんなことがあるはずがない。
頭が混乱して、呆然と立ち尽くすヤコブでした。

ヤコブは不幸な行きがかり上、4人の妻をもちましたが、このラケルが最愛の妻でした。
そのラケルにようやく二人目の子どもが宿ったということで、大いに喜び、楽しみにもしていたでしょう。
それが、この新しく与えられた息子と引き換えにラケルを失うこととなって、一瞬にしてヤコブは深い悲しみに突き落されました。
ヤコブは嘆きの中で、彼女を葬り、墓の上に石の柱を建てて、天を仰いだでしょう。
旧約の時代は、まだはっきりと復活の希望が示されていませんでしたが、彼女の魂はきっと神のもとで憩っているに違いない、という希望を慰めとしたのではないかと思います。
ラケルと言えば、姉のレアには子どもが次々と与えられ、自分には与えられないといってヤコブに向かって
「私に子どもを下さい。でなければ私は死んでしまいます。」
などと無茶なことを言ってきたり、あるいはまたラバンの家を出るときにはテラフィムという偶像をコッソリ盗んで、ヤコブは知らなかったとはいえ、もし追いかけてきたラバンに見つかったら、とんでもないことになるところでした。
そんな危険にヤコブをさらすこともしました。
またそのテラフィムによって、神の民たるヤコブ家に偶像崇拝の悪習を持ち込みました。
そしてこの最後の時には、いくら自分が苦しいからと言って、我が子を「私の苦しみの子」と(いまいましげに?)呼んで…。
ラケルという女性は、容貌は美しかったようですが、内面に関してはクエスチョンマークがつくように思われます

カルヴァンは、レアを聖なる女性とする一方、ヤコブがこのラケルに首ったけだったことを、彼の欠点だったとしています。
内面より容貌で心を奪われていたということでしょうか。
しかしそれでもヤコブにとっては、かけがえのない存在でした。
この数十年後、ずーっと後の48章7節で、ヤコブが死ぬ直前に「私がパダンから帰ってきたとき、その途上のカナンの地で、悲しいことに、ラケルが死んだ。
そこからエフラテに行くにはなお道程があったが、私はエフラテ、すなわちベツレヘムへの道のその場所に彼女を葬った。」
と述懐していました。
いつまでたってもラケルを失った悲しみを忘れられないヤコブだったのでした。

 しかし、ヤコブは深い悲しみを背負いながらも、再び、立ち上がり、杖を手にして、旅を続けました。
そしてエフラテ近くにあるミグダル・エデルというあたりまで来て宿営しました。
「ミグダル」が塔、「エデル」が家畜の群れの意で、家畜の群れを見張る塔という意味でしょうか。
牧草が豊富にあって、塔を建てて見張らなければならないほど、広大な場所だったのでしょうか。
もしこの塔を建てたのがヤコブで、後にこの場所がこう呼ばれるようになったのだとしたら、ヤコブはここでもそこそこ長い間、留まって、家畜を殖やしたことになります。

 しかし、そこに留まってどれくらい経った頃か、ヤコブ家にスキャンダルが起きます。
今度は長男ルベンが、ヤコブのそばめ、かつラケルの女奴隷であったビルハと通じてしまったというのです。
どうしてこんなことになってしまったのか。
ある人は一夫多妻の弊害だと言います。
ヤコブ家はもうぐちゃぐちゃです。
ただでさえラケルを失って、悲嘆に暮れているところへ、追い打ちをかけるような出来事。
ヤコブの人生は、心を押しつぶすような出来事の連続でした。
金が炉で精錬されるように…。

 しかし、です。
一方ではヤコブの身の回りには容赦なく、試練が降りかかっていましたが、他方では着々と神の救いの計画が実現に向かって進展していました。
ここでベニヤミンの誕生をもってイスラエル12部族がそろったので、23節以下、改めてヤコブの12人の息子たちの名が、母親ごとに分けてリストアップされます。
このイスラエル民族が、旧約の時代、すなわちイエス様がお生まれになるまでの準備期間に重要な役割を担う器となります。
救い主の預言、また律法、その他御言葉を託され、また出エジプトなど歴史上の出来事を通して神の救いをあかしする役割を担うイスラエル民族の原型がそろいました。
人の目には悲しみ一色に彩られているようなときでも、神の救いのご計画は遅滞なく進んで、実現に向かっているのです。

 さらに22節以下、歴史の舞台からイサクが姿を消します。
イサクの一生は180年でした。
柔和な人イサクは、アブラハム、ヤコブより長生きしました。
このときを去ること数十年前、目もかすみ、体力も衰えて、もう長くないと思ったエサウは、今のうちにと神の祝福の契約をエサウに継がせようとしましたが、そのあと、何十年でしょうか、ずい分と長生きしたのです。
自分では弱ってきたと思っても、案外、その後何十年も生き長らえたりして、人の寿命はわからないものです。
最期は、エサウとヤコブが無事、和解した姿を見届けて、イサクは平安のうちに召されたでしょう。

イサクもまた試練の中を神の恵みによって支えられて、地上の役割を終え、信仰の遺産を次の世代にバトンタッチして、世を去り、神の民のところに集められました。
イサクは、アブラハムとその妻サラ、それにリベカ(それとレアも)が葬られている、マクベラの墓地に葬られました。
(創世記49:30‐32)。
こうして歴史は、人の喜怒哀楽を織り交ぜながら、神の計画に従って、ゴールに向かって進展していくのでした。

「ひと足 ひと足 主にすがりて 絶えず 絶えず われは進まん」(新聖歌355番)
それにしても、です。
偶像を一掃して再出発し、ベテルで神の祝福の言葉を改めて頂いて、仕切り直しをしたヤコブを待っていたのは、この世的な幸いとは程遠いものでした。
何と言ってもヤコブにとって一番こたえたのは、ラケルの死だったでしょう。
ベテルからエフラテまでほんの数時間の距離だからと、無理をさせてしまったのが、悪かったのか。

家畜に食べさせる牧草がなくなったから、やむを得ないと思ったが、自分の判断が間違いだったのだろうか…。
悔やむ思い、責任を感じる思いもヤコブには、あったかもしれません。

しかしそれと同時に、最終的には、それも神の御手の内にあること、と神に開けるのが信仰者です。
神は、ラケルというご自身の賜物をヤコブから取り上げられました。
そう、元はと言えば、ラケルも神が与えたもう賜物。
それを神が取り上げられたのです。

「主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。」
(ヨブ1:21、旧約p850)。

ヤコブも、それが神の御手によるものとわきまえていたと思います。
神のお許しなしには、雀一羽、地に落ちることはない。
どんなにつらい出来事であっても、それが神の手によるということが、支えになるのです。

その信仰に支えられて、大きな悲しみを抱えながらも、ヤコブは旅を続けました。
21節「イスラエルは旅を続け」ここで「イスラエル」という呼び名が突然、出てきます。
「神が戦われる」という意味のイスラエル。
以前、神がヤコブのもものつがいを打たれて、肉の力を奪い取り、それでヤコブは必至で主にすがりついたことがありました。
そのときに与えられた名前でした。
ここでもラケルを取り去られたのは、神ご自身だということを暗示しているのでしょうか。
それはあたかも、神がヤコブと戦っておられたように感じられたかもしれません。
隠された理由によって、神はラケルをこの時、取り去る必要があったのでしょう。
それはもものつがいを打たれたのとは、比べ物にならない痛撃の一打だったでしょう。
この一撃を受けて、ヤコブは何を思ったか。
ラケルが残していったベニヤミンを抱きながら、その顔を見ながら、どんなことを考えたのか。
聖書は黙して語りません。

ヤコブはただ、ラケルを葬り、お墓の上に石を立て、区切りをつけて、そして旅を続けました。
大きな悲しみを背負いながらでも、人生の旅は続けなければならない。
ラケルが残していったベニヤミンもいる。
どんなに悲しみを背負ってでも、旅を続けていかなければならない。
こうして、振り払っても振り払ってもついてくる悲しみを背負いながら、思い出しては人知れず泣きながら、心は満身創痍でヨタヨタしながらでも、それでも信仰の杖を握って旅を続けるヤコブの姿は、何か、神聖な光を放っているように見えます。
きっと神の御目にも、尊く写っているのではないかと思います。

ご利益信者ならとっくのとうに、一抜けたと離れ去ってしまうところです。
神は祝福して下さったはずではなかったのか?それなのにその後のヤコブの生涯はどうだ!と、すぐさま目を三角にしていきりたつところでしょう。
こういう試練にあったときに、その人の信仰が問われるのです。
こんな神の言葉なんか嘘っぱちだ!と捨て台詞を吐いてオサラバする人。

他方、神の約束の御言葉だからこそ、これで終わるはずはない、必ず神の祝福の約束は成る、と神の真実を心の支えとして、神の御言葉を支えとして、試練を耐え忍ぶ人。
最後まで結末を見届けることをせずに、たたきつける人と、神の言葉なのだから、きっと最後には神の御真実があかしされるに違いない、自分の頭では理解できないけれども、神は真実な方だから、神に信頼する、と信仰をもって旅を続けて、最後の最後に神が用意しておられた本当の祝福を手にする人と。

 神はこのとき、聖霊によって、ヤコブの信仰を支えていました。
以前、引用したカルヴァンのたとえにならえば、神は右の手でヤコブに試練を与えながら、左の手で彼を支えておられた、ということです。
神が試練を与えられるとき、ご自身は遠く離れて、私たちを一人、放っておかれることは、決してありません。
必ず近くに、ともにおられます。
私たちが自分の足で立てないときには、背負って下さいます。
いやむしろ、生まれる前から私たちを背負って下さっているのです。

イザヤ46:3-4(旧約p1202)
46:3わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。
胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。

46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。

このとき、悲しみに沈むヤコブのそばにも、神はともにおられ、聖霊によって彼を支えていた。いわば彼を担っておられたのです。
最後に今年の主題聖句もお読みしておきましょう。

イザヤ41:10(旧約p1190)
恐れるな。
わたしはあなたとともにいる。
たじろぐな。
わたしがあなたの神だから。
わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。