礼拝説教要旨(2018.11.04)  
神のことば
(ペテロの手紙第一 1:22-25)横田俊樹師
 今日は、二人の姉妹が洗礼を受けられる、大変大きな喜びの日である。天地万物を造られた唯一の神を信じ、その御子イエス・キリストを救い主として信じ、聖霊により頼みつつ従う決心を表明されて、公にクリスチャンとしての歩みを始められる。聖書によると、クリスチャンは、新しく生まれた者と言われている。
<新しく生まれた!>
 23節に「あなたがたが新しく生まれたのは」とある。クリスチャンは、新しく生まれた者。新しいいのちを与えられ、新しいいのちを生きる者なのである。これはまことのいのちであり、永続するいのち、すなわち永遠のいのちである。この永遠のいのちは、地上のいのちを引き延ばしたようなものではない。まったく異質のいのちである。地上のいのちは、オギャーと生まれて、成長し、大人になり、青年期、壮年期を迎えるが、その後、放物線を描くようにやがて衰え、そして終わりを迎える。しかし新しいいのちは終わる事がない。キリストを信じる者は、終わる事のないいのちを生き始めているのである!それどころか、むしろその後に、計り知れない栄光に輝くいのちである。クリスチャンは、一方では地上のいのちに生きながら、他方では終わる事のないもう一つのいのちに、栄光に向かっているもう一つのいのちに生き始めているのである。
それゆえ、聖書は、地上に宝を積むのではなく、天に宝を積む生き方へと励ましている。すなわち、神に喜ばれる生き方を心がける事で、22節にある兄弟愛もその一つである。永続するいのちを与えられているからと言って、地上の生活をおろそかにするのではない。むしろますます神の御前に価値ある業に励むのである。
<どのように?―神のことばによって>
 では、どのようにして新しく生まれるのか。それはまず「朽ちる種からではなく、朽ちない種から」と言われている。「から」は、起源をあらわす。朽ちる種から生まれるのは、地上のいのち。朽ちない種から生まれるのは、新しいいのち、永遠のいのち。種にはいのちがある。発芽し、生長して、やがて花を咲かせ、それぞれの種にしたがって実を結ぶ。りんごの種はりんごの実を結び、柿の種は柿の実を結ぶ。そのように、朽ちる種は朽ちるものをならせ、朽ちない種は朽ちないものをならせる。朽ちる種から生じた地上のいのちは、たとえ一時は隆盛を極めたとしても、やがて朽ちる。しかし朽ちない種から生まれた新しいいのちは、永続する。
その朽ちない種は「生ける、永遠に変わる事のない、神のことば」とも呼ばれる。神のことばを信じ、受け入れたという事は、その人の心に朽ちない種がまかれた状態。あとは種自身の中にある生命力のゆえに、生長して、実を結ぶ。
この神のことばは「生ける」ことばと言われている。いのちに満ちた、またいのちを与えることばである。またそれは、「永遠に変わることのない」ことばである。新改訳第3版では「永遠に変わることのない」と訳されている語は、一番新しい新改訳2017では「いつまでも残る」と訳されている。また第一ヨハネ2:17「世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。」で「ながらえます」と訳されているのと同じ言葉である。つまり、たとえ天地がひっくり返ろうが、蒸発して消えてなくなろうが、神のことばは立ち続ける、永遠に残るという事である。
朽ちていく地上のいのちと、いつまでも変わることのない神のことばとの対比が24,25節。これは旧約聖書のイザヤ書40:6−8からの引用。24節は諸行無常の響きを感じさせる。地上の無常観を語る平家物語も一面の真理を突いており、意義深いと思う。だがそこに救いはない。しかし聖書には25節がある。ここの「変わることがない」と訳されている言葉も、さっきと同じ永続するという意味の言葉で、やはり最新の新改訳2017では「永遠に立つ」と訳している。
<神のことば:イエス・キリストの福音>
 では、その神のことばとは、具体的にはどんな事を言っているのか。最後の所に「あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。」とある。福音、字義通りには良い知らせの意。いろんな表現の仕方があるが、今日は、いのちの源である神との関係回復の道の事と表現したい。教会と言えば十字架。天地万物の造り主であられる方、すべての生きとし生けるものにいのちを与えた方、人間が作った神ではなくて、人間を造ったお方。この神に対して背を向けて、罪あるものとなってしまった人間。いのちの源である神と人との間には、罪という隔てる物が生じてしまった。聖なる神との関係が断絶してしまった。それで人は死ぬべき存在となってしまったのである。しかし神の方で、人間を愛し、失いたくないと思われたので、関係回復のための手段を取ってくださった。それは罪なき神の御子イエス・キリストを人として世に遣わし、キリストが、信じる全ての人の罪を背負って身代わりに十字架で刑罰を受けて下さった事、そして三日目に私たちの初穂として事実、復活されたという事である。この十字架の故に、信じる者は全ての罪が赦され、神との隔てがなくなり、神との関係が回復し、神の子どもとされた。永遠に尽きる事のないいのちの源である神につらなる者とされた。神は、私たちの内に住んで下さり、私たちとともに住んで下さり、永遠に導いて下さる。キリストのおかげで、神なしのいのちから神とともにあるいのちになった。これが、新しいいのちであり、永遠のいのちであり、まことのいのちなのである。
<神は語っておられる。あなたの応答は?>
神は、イエス・キリストによって、私たち人間に対する御心を明らかにされた。そういう意味で、神は私たち一人一人にキリストによって語り続けておられる。わたしは、あなたがたを愛した。だから、ひとり子を犠牲にしてでも、あなたの罪を処分して、あなたとの関係を回復し、あなたがわたしとともに永遠のいのちの道を歩んでくれるよう、願っている。この、わたしの語りかけに、あなたはどう応答してくれるのか、と。まだ信じておられない方は、ぜひよく考えて、生ける神に応答して頂きたい。また、すでにクリスチャンの方も改めて神の語りかけを思い巡らし、神とともなる新しいいのちの歩みをさせて頂きたい。