礼拝説教要旨(2005.01.01)
恐れるな。わたしはあなたとともにいる   (イザヤ 41:8〜13)
 主の2005年、大晦日の大雪が止んで迎えることが出来た。この一年の何を告げる大雪なのか・・・。「暖冬」という予報を喜んでいたが、いきなりの雪景色は勝手な期待を戒められているかのようである。

 さて、元旦礼拝や年の始めを迎えるに当たって、主のみ心を探りながら1月の暗唱聖句にイザヤ41:10が与えられたが、そのみ言葉を今朝心に留めるようにと導かれている。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」

 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」との主の言葉は、聖書全体を貫く主なる神からの主要なメッセージである。神は折にかなってご自分の民に、このように語り掛けてこられた。アブラハム、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、ギデオン、ダビデ、王たち、民の全ての者たち、弟子たちの一人一人に・・・。

 よくよく考えてみると、繰り返し繰り返し「恐れるな」と語られるのは、人の一生には恐れや不安、悲しみや痛みがつきまとっていること、その中で人は苦しみ、時に叫びながら生きているという現実のあることを物語っている。人は苦しみがないこと、悩みがなくなることを期待するものの、現実は次から次へと難問がふりかかるのである。やりきれなくなって、もはや耐えられないと思ってしまうことさえある。しかし、神はそれら全てを見ておられ、「わたしはあなたとともにいる。わたしがあなたの神だからである。」と語って下さるのである。

 神ご自身は、どんなことがあってもご自分の民を見捨てることはなく、見離すことはなさらない。(創世記28:15) そのことはイザヤ書において「恐れるな。・・・」と繰り返されていることによって、より明かである。神は、預言者によって、背信の民に向かって、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」と語り掛けておられたからである。民に悔い改めるを迫り、目の前にどんなに恐れと不安があろうとも、わたしを頼れ、わたしがあなたを守ると語り続けておられたのである。(参照:詩篇121:1〜8)

 私たちが今日抱えている恐れや不安はどのようなものか。社会にあって将来に希望を見出せない現実は深刻である。世界情勢を始め、国の政治や経済はますます不透明である。災害は世界のいたるところで起こり、私たちを戦慄と恐怖に陥れる。年末のスマトラ沖地震と津波による被害はけた外れで、何をどのように考えたらよいのか、戸惑いが増し加わるばかりである。他方、一人一人の生活においては、健康の不安があったり、職場の人間関係や家庭での自分の生活はこれでよいのか、また将来を神はどのように導いて下さるのか、いろいろ考えると、あれこれ心配が頭をもたげて来るのである。

 けれども、様々の恐れや不安、そして悲しみや痛みからは逃れられないとしても、私たちは、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」と語って下さる方に全幅の信頼を寄せること、その信仰をはっきりと心に刻んでこの年を歩み始めたいものである。これこそが肝心である。神に目を向けないなら、恐れに押しつぶされてしまうに違いない。神は「わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」と語って、わたしに頼れと招いて下さっている。主なる神に強められ、助けられて生きる幸いを私たちは約束されているのである。何と力強く、幸いなことか!!