礼拝説教要旨 2019年6月23日
心を尽くして
詩篇 119:1~8

「心を尽くして」主に尋ね求める・・・ 心を尽くせる物ってこの世にあるのか。

「幸いなことよ」とありますが、非常に身近な言葉です。

幸いであることを誰もが求めています。

だれも、破滅的人生を「幸せ」と言って求めはしないでしょう。よ

この詩篇はダビデの作と言われることがあります。

彼自身、人の裏切りをも体験しています。

いや、彼自身、誰よりも人を愛し、神の助けと神の聖い愛に導かれた人はありません。

しかし彼の理性はあるとき、突然破綻(はたん)します。

119:1 主の御教えによって歩む人々こそ「幸いな人」との定義は見方によっては皮肉っ ぽく聞こえてきます。

119:2 幸いなことよ。主のさとしを守り、「幸い」の意味の深みを知ったからと言って、心を    尽くして主を尋ねるとか、

119:3 不正を行わず、主の道を歩むとか、

119:4 あなたは堅く守るべき戒めを仰せつけられたからと言うとか、

119:5 私の道を堅くして、あなたのおきてを守るようになるとか、

119:6 そうすれば、私はあなたのすべての仰せを見ても恥じることはない、などと言う。そんなことができるでしょうか。

119:7 また、「あなたの義のさばきを学ぶとき、私は直ぐな心であなたに従います。」と、

言い得るでしょうか。

119:8 「あなたのおきてを守ります。」から、「どうか私を見捨てないでください。」はあり得 ます。

何年か前の出来事はショックを禁じ得ませんでした。立派なクリスチャンの家庭に起こっ た出来事です。悲劇は突然に訪れました。NHKのニュースで報じられました。

多くのキリスト者を臆病にさせました。

じゃあ、幸せの条件を どのようにして実現しますか。

実は、ペンテコステがその答えでした。何故ですか。