礼拝説教要旨(2021.11.28)
今にわかる
(出エジプト記6:1) 横田俊樹師 
<今日の要点>
そのときは、わからないことがあっても、神は、わかるときを用意していると信じる。

<あらすじ> 
 出エジプト記6章に入ります。
主が、モーセに最初に語られたのが3章でしたから、4つめの章に入ります。
主が語られてからも、なかなか思うように事態は動きません。
モーセが何度も尻込みして固辞したり、せっかく勇気を振り絞ってパロに告げても、かえってパロを怒らせ、イスラエル人に無理な労働を負わせることとなり、その結果、モーセは民から恨まれることになってしまったり。
じれったい。
快適な世の中に慣れていると、もっとサクサク行かないものか、と思ってしまいます。
次の7章以降、いったん動き出すと、次々と主のみわざが繰り出されて、一気にパロを屈服させ、イスラエルを解放するに至りますが、今はその前に、念入りに土台を据えているということでしょうか。

出エジプトの指導者として召したモーセは、目の前の壁にすぐにあきらめてしまうのでなく、また民心が離れたからと言ってあきらめるのでもなく、ただ主お一人により頼まなければならない。
その信仰の土台をしっかりと据えている、いわば基礎工事の期間なのかもしれません。
家を建てるのでも、土台工事が一番、時間がかかるとか。
ここがしっかりしていないと、後々、甚大な被害を招くことになります。
内村鑑三は、容易に引き受ける者は、容易にやめ、容易に引き受けない者が引き受けたら、容易にはやめない、と注釈しています。
最初の所に時間をかけるのは、偉大な天の建築家の分別によるものだったのかもしれません。

ともかく、主に従って、パロに対して語った結果、民から恨みを買ったモーセは、主の所に戻って、話が違うじゃないですか、どういうことですか、と訴えた。
それが前回までのところです。

5:22から6:1をお読みします。
「それでモーセは【主】のもとに戻り、そして申し上げた。
「『主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。
何のために、私を遣わされたのですか。
私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。
それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。』
それで【主】はモーセに仰せられた。
『わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。
すなわち強い手で、彼は彼らを出て行かせる。
強い手で、彼はその国から彼らを追い出してしまう。』」

6章1節は「強い手で」ということが強調されています。
原文でも頭に置かれ、二回繰り返されています。
ここで問題は、誰の手かということ。
新改訳3版は確かに原文通りの直訳なのですが、このまま読むと、パロが強い手でイスラエルの民を出て行かせることになります。
その場合、今は絶対行かせないと言っているパロが、今度は自分から強制的にイスラエルの民を追い出すようになる、今は信じられないだろうが、そこまで劇的に変えられてしまう、という意味になるでしょうか。
が、しかし、ほとんどの注解書は、これは主の強い御手と取って、主の強い御手によって、強いられて、パロはイスラエルの民を出て行かせる、という意味にとります。
中には「強い手と言ったら、主の手だ」と問答無用の説教もありました。
確かに聖書全体の思想からすると、それもわかる気はします。

いづれにせよ、直前に「わたしがパロにしようとしていること」とあるので、どちらにとっても、主がパロをそのようにさせるということは変わりません。
「出て行かせる」と訳された言葉は「投げ出す」とも訳される言葉ですから、パロが心底、イスラエルがイヤになって、一刻も早く出て行ってくれと思うようになるということでしょう。事実、このままいられたら、エジプトにどんな災いが下るか、わからないと心底、恐れて、とっとと出て行け、と追い出すようになります。

パロが笑顔で、今までよく働いてくれたね、と送り出すのでない。
円満にお暇できるのではない。
パロに対しては、あくまでも対決。
パロもああ言ってくれているんだから、こっちもこれくらいは折れて、などと弱気になってはならない。
パロに対しては、これっぽっちも妥協してはならない。
神の言葉は、一点一画も地に落としてはならないのです。

当時の大国エジプトで絶対的な権威を振るっていたパロ自身、力づくで、時には人の命を奪って恐怖を植え付けて、人々を支配してきた者です。
力こそ、正義という信念が骨の髄まで沁み込んでいます。
パロが人々に対して行ってきたように、パロ自身が力づくで従わせられるのです。
あなたが人に対してしたように、あなた自身もそのようにされるというのは、公平、正義に基づく霊的原則です。
神はこの後、次々と災いを下して、イスラエルの民を虐げてきたパロに裁きを下し、ついには解放させます。
それは6節の最後の方にあるように「さばき」でもあるのです。

「忍びて 春を待て 雪は解けて 花は咲かん」(新聖歌 298番)
なぜですか?と訴えるモーセに、主は「今にわかる」と主は答えられました。
パロににらまれ、同胞の民から呪われて、生きた心地もしないモーセに対して、主は、余裕すら、感じられます。
神はすでに、結末をご存じ、用意しておられましたから、あわてることは全くありません。
私たちも、たとえば前に見てうれしい結末がわかっている映画とか、ひいきのチームが勝った野球の試合の録画を見ていたら、時にハラハラする場面があっても、安心してみていられるでしょう。
神にとってはすべてがそうです。
神はご自身でこれからなさろうとすること、その結末がイスラエルを祝福し、幸いにあずからせるものであることをご存じでした。
神ご自身がその結末をご用意下さっていました。

今はわからなくても「今にわかる」。
そういうことが、人生にもあります。
ある人が釣具店に行って、まず道具箱を選び、そして釣り道具一式を選んでレジに行きました。
店主が釣りの経験を尋ねると、ないと答えたので、救急セットも購入するように勧めました。
その客は、なぜ釣具店で救急セットを?とちょっと不思議に思いましたが、支払いを済ませて釣りに行きました。
しかし、その日はまったく釣れず、釣り針で指を切っただけでした。
そのとき、その人は、釣具店の店主のアドバイスが的確だったことがわかりました。
ああ、こういうことだったのか、と。

「今にわかる」ということは、確かにあります。
しかし、「今にわかる」と言われても、試練の真っただ中にいるときは、生身の人間ですから、いろんな感情が湧いてきます。
今にわかると言われたって、わからないものは、わかりません!どうなっているんですか!としか、思えないこともあるでしょう。

フジコ・ヘミングさんという名前をご存じの方も多いかと思います。
ピアノの演奏家で、ラ・カンパネラで一躍、時の人となった方です。
ロシア系スウェーデン人の父と日本人ピアニストの母の間にベルリンで生まれた方。
幼少期に日本に移住しましたが、父はある日突然、家族を残して一人スウェーデンに帰国してしまいます。

以来、母と弟と共に東京で暮らし、貧しい生活でしたが、5歳から母親の手ほどきでピアノを始めました。
どんなに貧しくても母親は、ピアノだけは、絶対に手放さなかったそうです。
スパルタの母親からは、ヘタクソと言われ続けたそうですが、実際は才能に恵まれていて、小学校3年生の時にラジオに生出演して、天才少女と騒がれ、高校生のとき、17歳でデビューコンサートをしました。
以後、数々のコンクールで多くの賞を受賞しました。

あるとき、ピアノ留学を望みましたが、パスポート申請時に無国籍であったことが発覚しました。やむなく、その後しばらくは、国内で音楽活動を行っていましたが、やがて、駐日ドイツ大使の助力により、赤十字に認定された難民として国立ベルリン音楽大学へ留学を果たしました。
卒業後、ヨーロッパに残って各地で音楽活動を行うも、生活面では母からのわずかな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたそうで、とても貧しく苦しい状況が長く続いたと言います。
また、ヨーロッパでは、どこへ行っても難民と見られ、日本人社会でも受け入れられず、「この地球上に私の居場所はどこにもない。
天国に行けば私の居場所はきっとある。」
と自身に言い聞かせていたそうです。

しかしやがて、彼女の実力は徐々に認められるようになり、バーンシュタインやブルーノ・マデルナといった世界的な指揮者からも認められるようになりました。
ところが、でした。
大きなひのき舞台となるリサイタル直前に風邪をこじらせ(貧しくて、真冬の部屋に暖房をつけることができなかったためとのこと)、聴力を失うというアクシデントに見舞われました。
やっとの思いでつかんだ大きなチャンスを逃すことになりました。

既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていましたが、この時に左耳の聴力も失い、演奏家としてのキャリアは閉ざされてしまいました。
失意の中、ストックホルムに移住して、耳の治療を受けるかたわら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続けました。
その後、左耳は40%程度、回復したそうです。
やがて、母親の死後、1995年に日本に帰国。
母校の東京芸大などで地道にコンサート活動をしていましたが、あるとき、近くの教会でお祈りをしていると紙が配られ、そこには次の聖書の言葉が書かれていました。

ハバクク2:3、旧約p1534。

…もしおそくなっても、それを待て。
それは必ず来る。
遅れることはない。

この御言葉を見たとき、彼女は「知ってますとも、神様。
けどね。あんたは私を忘れた。もうダメ。信用できない」と思ったそうです。
ところが、その1週間後、テレビ局が来たのです。
そしてドキュメンタリー番組で放映されて大きな反響を呼び、彼女のCDは日本のクラシック界では異例の大ヒットとなりました。
彼女が60代後半になってからのことでした。
やがて、東京オペラシティ大ホールでの復活リサイタルを皮切りに、本格的な音楽活動を再開し、数年後にはカーネギー・ホールでのリサイタルも行ったそうです。

彼女のインタービュー記事によると、彼女は、波乱万丈の人生を「祈りがあったからやってこられた」と言っていたそうです。
また、「芸術家は信仰と宗教なしにはうつろなものです。」
と言っています。
また、彼女にとって、人生で最も大切なものは何ですか?との問いには、「信仰と祈り、それに愛です。
私は波乱万丈の人生の終わりに幸運を勝ち得ましたが、『もしおそくなっても、それを待て。
それは必ず来る。』という聖書の言葉が、私に訪れたのです。」
と言っていました。
彼女が、あの御言葉を読んで、もう神様なんか、信用していない、と思ったとき、神は「今にあなたにわかる」と思われたでしょうか。

イスラエルの民が、出エジプトして約束の地カナンに入る時のことを記したヨシュア記という書があります。
カナンの地にはエリコという、頑丈な城壁で囲まれた町がありました。
そのとき、神は不思議な命令を与えました。
1日に1回、エリコの城壁の周りをまわれ。
一言も言葉を出してはならない。
兵士たちに囲まれて、祭司たちが、神の臨在を表す契約の箱をもって、一緒に回れ。
そして7日めは7回、回るのだ。

そして祭司たちが角笛を吹き鳴らしたら、ときをの声をあげ、城壁の壁が崩れたら、みな、まっすぐに攻め込まなければならない、と。
6日間は、城壁の周りをぐるぐる回るだけです。
ここからある人は、人生には、グルグル回っているだけのように思えるとき、堂々巡りをしているように思えるときもあると言っていました。
何をやっているんだろう、こんなことをしていて、何になるんだろう、こんな状態がいつまで続くんだろう、と。

フジコさんも、聴力を失ってからの数十年は、そう思われたかもしれません。
人生は、ある人にとっては、もしかしたら、わからないことだらけかもしれません。
しかし、時が満ちたら、壁は崩れるのです。
そのときは、臆せずまっすぐに上っていかなければなりません。
大切なのは、イスラエルの民が6日間回っている間も、契約の箱が真ん中にあったことです。
つまり、神がともにおられるということです。
彼らは、神とともに、城壁の周りをまわっていたのです。

私たちは、みんながみんな、フジコさんのようになるわけではありませんが、しかし、主に向かて祈り、従うときに―主とともに歩むときにー主がその人のために備えておられる道へと導かれます。
そして私たちが「今にわかる」という時を、神は定めておられます。
私たちの人生は、「偶然」に支配されているのではなく、恵み深く、憐れみ深く、私たちを愛してやまない父なる神がご支配なさっているのですから。
ここに私たちの希望があります。